ボビー・ムーア
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オランダ戦にて(1969年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ロバート・フレデリック・チェルシー・ムーア Robert Frederick Chelsea Moore | |||||
愛称 | ザ・キャプテン | |||||
ラテン文字 | Bobby Moore | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イングランド | |||||
生年月日 | 1941年4月12日 | |||||
出身地 | バーキング | |||||
没年月日 | 1993年2月24日(51歳没) | |||||
身長 | 178cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
バーキング | ||||||
1956-1958 | ウェストハム | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1958-1974 | ウェストハム | 554 | (24) | |||
1974-1977 | フラム | 124 | (1) | |||
1976 | → サンアントニオ・サンダー(loan) | 24 | (1) | |||
1978 | シアトル・サウンダーズ | 7 | (0) | |||
1978 | ヘアニング・フレマズ | 9 | (0) | |||
1983 | カロライナ・ライトニン | 8 | (0) | |||
通算 | 716 | (26) | ||||
代表歴 | ||||||
1960-1962 | イングランド U-23 | 9 | (2) | |||
1962-1973[1] | イングランド | 108 | (2) | |||
監督歴 | ||||||
1980 | オックスフォード・シティ | |||||
1981-1982 | 東方足球隊 | |||||
1984-1986 | サウスエンド・ユナイテッド | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ロバート・フレデリック・チェルシー・"ボビー"・ムーア OBE(Robert Frederick Chelsea "Bobby" Moore OBE, 1941年4月12日 - 1993年2月24日)は、イングランド・バーキング出身の同国代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDF(センターバック)。
経歴
[編集]イングランド最高のディフェンダーの一人。高いディフェンス力やキャプテンシーを持ち常に冷静沈着にプレーし、フィードの能力にも優れていた。ウェストハム・ユナイテッドFCのシンボルであり、紳士的な態度から周囲の信頼も厚かった[2]。
1958年のマンチェスター・ユナイテッドFC戦でデビュー。1961年からレギュラーに定着する。1964年、23歳のときにFAカップ初優勝。同年のリーグ年間最優秀選手賞を受賞。さらに翌年にはUEFAカップウィナーズカップ優勝に貢献した。
代表では1962年5月20日のペルー戦でデビュー。ワールドカップには1962年大会から3大会連続で出場。1966年の自国開催時には、アルフ・ラムゼイ監督の下キャプテンとして出場。ウェストハムでのチームメートであるジェフ・ハーストやマーティン・ピータースらと共に母国の初優勝に貢献した。同大会では最優秀選手に選ばれている。ジュール・リメ・トロフィーを掲げた唯一のスリーライオンズ主将となった。
イングランド代表キャプテンとしての出場試合数90は、ビリー・ライトと並び2020年2月現在でも最多記録として残っている。また、同代表キャップ数108[3]は当時の最多記録である。後にピーター・シルトンやデイヴィッド・ベッカムに更新されたものの、現在でも第3位の記録となっている。
1993年2月24日、大腸癌のため死去。51歳だった。同年には妻のステファニーにより、がん研究を目的とした「ボビー・ムーア基金」が設立された[4]。
2008年8月4日、ウェストハムは彼が背負っていた6番を永久欠番にすると発表した[5]。
人物
[編集]- 1970年にメキシコで開催されたワールドカップに参加するためホテルに滞在中、宝石店でエメラルドをあしらった金のブレスレットを窃盗した容疑で逮捕された[6]。4日間の拘束の後に釈放されるも結局そのショックを引きずり、不調のままチームはベスト8で敗退した。真相は明らかではないが、中南米と欧州の国々の貿易摩擦を背景とした捏造事件と言われている[7]。
- FIFAワールドカップ、FAカップ、UEFAカップウィナーズカップの優勝を全てウェンブリー・スタジアムで達成している。
- 1980年、ジョン・ヒューストン監督の映画『勝利への脱出』に連合国チームのディフェンダー役としてアシスト出演。当時、ほとんどの観客がペレと主役のシルベスター・スタローンの「夢の共演」を楽しみにして観に行ったが、サッカー通の人達は、連合国側の選手として端役出演した往年の名プレイヤーたちを懐かしみに映画館へ行った。当時、サッカーがまだメジャーなスポーツでなかった日本においては、これらのスーパースターの動く映像を実際に見ることが出来るという出来事は貴重な体験で、明石家さんまも「ムーアを見るために映画館に足を運んだ」と述懐している[要出典]。エンドクレジットでは、スタローン、ペレ、マイケル・ケインに次いで、スライディングタックルを決める勇姿と共にイングランド代表として紹介されている。
- 1999年、 ワールドサッカーの20世紀の偉大なサッカー選手100人で14位に選出された。
- ウェストハムの本拠地ブーリン・グラウンドの傍らに、ハーストやピータースらを従えジュール・リメ・トロフィーを掲げる姿の自身の銅像が建てられ2003年に除幕された[8]。
個人成績
[編集]クラブ
[編集]クラブ | シーズン | リーグ戦 | FAカップ | リーグカップ | その他 | 合計 | ||||||
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ディヴィジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
ウェストハム・ユナイテッド | 1958-59 | フットボールリーグ | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 6 | 0 |
1959-60 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 15 | 0 | ||
1960-61 | 38 | 1 | 2 | 0 | 2 | 1 | - | 42 | 2 | |||
1961-62 | 41 | 3 | 1 | 0 | 2 | 0 | - | 44 | 3 | |||
1962-63 | 41 | 3 | 5 | 0 | 1 | 0 | - | 47 | 3 | |||
1963-64 | 37 | 2 | 7 | 0 | 6 | 0 | - | 50 | 2 | |||
1964-65 | 28 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | 35 | 1 | ||
1965-66 | 37 | 0 | 4 | 0 | 9 | 2 | 6 | 0 | 56 | 2 | ||
1966-67 | 40 | 2 | 2 | 0 | 6 | 0 | - | 48 | 2 | |||
1967-68 | 40 | 4 | 3 | 0 | 3 | 0 | - | 46 | 4 | |||
1968-69 | 41 | 2 | 3 | 0 | 3 | 0 | - | 47 | 2 | |||
1969-70 | 40 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | - | 43 | 0 | |||
1970-71 | 39 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 | - | 42 | 2 | |||
1971-72 | 40 | 1 | 4 | 0 | 10 | 0 | - | 54 | 1 | |||
1972-73 | 42 | 3 | 2 | 0 | 2 | 0 | - | 46 | 3 | |||
1973-74 | 22 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 24 | 0 | ||
クラブ通算 | 544 | 24 | 36 | 0 | 49 | 3 | 18 | 0 | 647 | 27 | ||
フラム | 1973-74 | ディビジョン2 | 10 | 1 | - | - | - | 10 | 1 | |||
1974-75 | 41 | 0 | 12 | 0 | 3 | 0 | - | 54 | 0 | |||
1975-76 | 33 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | - | 37 | 0 | |||
1976-77 | 40 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | - | 47 | 0 | |||
クラブ通算 | 124 | 1 | 15 | 0 | 11 | 0 | 0 | 0 | 148 | 1 | ||
キャリア通算 | 668 | 25 | 51 | 10 | 60 | 3 | 18 | 0 | 795 | 28 |
代表
[編集]出場大会
- 1962年 - 1962 FIFAワールドカップ (ベスト8)
- 1966年 - 1966 FIFAワールドカップ (優勝)
- 1968年 - UEFA欧州選手権1968 (3位)
- 1970年 - 1970 FIFAワールドカップ (ベスト8)
試合数
- 国際Aマッチ 108試合2得点(1962年 - 1973)
イングランド代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1962 | 8 | 0 |
1963 | 9 | 0 |
1964 | 9 | 0 |
1965 | 9 | 0 |
1966 | 15 | 2 |
1967 | 6 | 0 |
1968 | 9 | 0 |
1969 | 9 | 0 |
1970 | 11 | 0 |
1971 | 7 | 0 |
1972 | 6 | 0 |
1973 | 10 | 0 |
通算 | 108 | 2 |
得点数
# | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
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1 | 1966年1月5日 | リヴァプール、グディソン・パーク | ポーランド | 1-1 | 親善試合 | |
2 | 1966年6月29日 | オスロ、ウレヴォール・スタディオン | ノルウェー | 1-6 | 親善試合 |
タイトル・受章
[編集]- クラブ
- ウェストハム
- FAカップ : 1963-64
- FAチャリティ・シールド : 1964
- UEFAカップウィナーズカップ : 1964-65
- イングランド代表
- 個人
- FWA年間最優秀選手賞 : 1964
- ウェストハム・ユナイテッドFC最優秀選手 : 1961, 1963, 1968, 1970
- FIFAワールドカップ・オールスターチーム : 1966
- 大英帝国勲章 (OBE) : 1967
- ワールドサッカー誌選出年間ベストイレブン : 1968, 1969
- FIFAワールドカップ歴代ベストチーム: 1994
- 20世紀ワールドチーム : 1998
- フットボールリーグ100レジェンズ: 1998
- イングランドサッカー殿堂 : 2002
- 100名の最も偉大な英国人 : 2002
- UEFAジュビリーアウォーズ : 2003
- PFA過去100年最優秀選手 : 2007
- ワールドサッカー誌選出歴代ベストイレブン : 2013
脚注
[編集]- ^ “Robert Frederick Chelsea "Bobby" Moore - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ “ボビー・ムーア ~いつも心にリスペクト Vol.54~”. 日本サッカー協会 (2017年11月20日). 2020年9月2日閲覧。
- ^ “ベッカム スペイン戦でボビー・ムーア氏の出場記録に並ぶ”. AFPBB News. (2009年2月12日) 2020年3月18日閲覧。
- ^ “Bobby Moore Fund - Tackling bowel cancer”. West Ham United (2020年2月24日). 2020年9月2日閲覧。
- ^ “West Ham retire Moore's number six shirt”. The Independent (2008年8月4日). 2020年9月2日閲覧。
- ^ “Bobby Moore and the mystery of the missing Bogotá bracelet”. The Guardian (2020年5月28日). 2020年9月2日閲覧。
- ^ “開催国を敵に回したイングランド”. 日刊スポーツ. 2020年9月2日閲覧。
- ^ “West Ham to honour Bobby Moore, Geoff Hurst and Martin Peters with statue”. BBC Sport (2020年6月30日). 2020年9月2日閲覧。
外部リンク
[編集]- Bobby Moore Online
- Bobby Moore Hall of Fame Profile - 国立サッカー博物館
- Football-Heroes.net
- Bobby Moore - Player profile - Transfermarkt
- B. Moore - Soccerwayによる個人成績
- ボビー・ムーア - National-Football-Teams.com