コルド・アルバレス
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名前 | ||||||
本名 | Jesús Luís Alvárez de Eulate Güergue | |||||
ラテン文字 | Jesús Luís Alvárez de Eulate | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | アンドラ | |||||
生年月日 | 1970年9月4日(54歳) | |||||
出身地 |
スペイン アラバ県ビトリア=ガステイス | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
代表歴 | ||||||
1998-2009 | アンドラ | 79 (0) | ||||
監督歴 | ||||||
2010- | アンドラ | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
コルド(Koldo)ことヘスス・ルイス・アルバレス・デ・エウラテ・グエルギ(Jesús Luís Alvárez de Eulate Güergue, 1970年9月4日 - )は、スペイン・ビトリア出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。選手時代はアンドラ代表として79試合に出場し、2010年よりアンドラ代表の監督を務めている。ポジションはGK。
経歴
[編集]スペインのアラバ県ビトリアに生まれ、1989年にCDアウレラ・デ・ビトリアからデビューした。1991年1月にアトレティコ・マドリードの下部組織に移ったが、アトレティコ・マドリードBでさえ出場機会を得るのに苦労した。1990-91シーズンのコパ・デル・レイ決勝・RCDマヨルカ戦では、アベル・レシーノの負傷のためにトップチームのベンチに入った。その後は下部リーグのCDトレドやUDサラマンカに在籍したが、2番手か3番手のキーパーにすぎなかった。1994年、アンドラに本拠地を置きながらスペインのリーガ・エスパニョーラに加盟しているFCアンドラに移籍すると、2006-07シーズンを除く14シーズンもプレーし、2009年に現役引退した。
1996年に初の国際試合を経験したアンドラ代表には、1998年6月3日のブラジル戦(0-3)でデビューした。2003年11月、欧州サッカー連盟(UEFA)が主催してアンドラサッカー連盟が選出したUEFAジュビリーアウォーズ(過去50年で最も優秀なアンドラ人選手)に選ばれた[1][2]。2009年6月10日に行われた2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のイングランド戦が代表でのラストゲームとなった。この試合ではマン・オブ・ザ・マッチ級の活躍を見せ、ロスタイムにベンチに退いた際には、対戦相手のサポーターからもスタンディング・オベーションを贈られた[3]。イングランド戦が79試合目となり、この間に3勝を挙げている。
所属クラブ
[編集]- 選手
- 1989-1990 CDアウレラ・デ・ビトリア
- 1991-1992 アトレティコ・マドリードB
- 1991 アトレティコ・マドリード
- 1992-1993 CDトレド
- 1993-1994 UDサラマンカ
- 1994-2006 FCアンドラ
- 2006-2007 CFバラゲール
- 2007-2009 FCアンドラ
- 指導者
- 2010- アンドラ代表
個人成績
[編集]- 代表での年別出場試合数[4]
アンドラ代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1998 | 8 | 0 |
1999 | 8 | 0 |
2000 | 8 | 0 |
2001 | 3 | 0 |
2002 | 6 | 0 |
2003 | 7 | 0 |
2004 | 7 | 0 |
2005 | 8 | 0 |
2006 | 5 | 0 |
2007 | 10 | 0 |
2008 | 5 | 0 |
2009 | 4 | 0 |
通算 | 79 | 0 |
脚注
[編集]- ^ [1][リンク切れ]
- ^ Jubilee Awards RSSSF
- ^ Griffiths, Frank (10 June 2009). “Andorra loses 6-0 to England but prevents ridicule”. USA Today. 2013年1月1日閲覧。
- ^ “Player - Koldo Álvarez”. 2011年8月24日閲覧。
外部リンク
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