ウォーリー山口
ウォーリー山口 | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ウォーリー山口 ヤマグチ・サン ミスター・トヨタ |
本名 | 山口 雄介 |
身長 | 160cm |
体重 | 63kg - 64kg |
誕生日 | 1958年5月5日 |
死亡日 | 2019年3月10日(60歳没) |
出身地 | 日本・東京都港区 |
ウォーリー山口(Yusuke "Wally" Yamaguchi、本名:山口 雄介(やまぐち ゆうすけ)、1958年5月5日 - 2019年3月10日)は、日本のプロレス関係者。東京都港区出身。
来歴
[編集]日本スポーツ出版社発行のプロレス専門誌『月刊ゴング』および『週刊ゴング』のライター(ピラニア山口のペンネームを使用)を経て、レフェリー、マネージャー、コメンテーターなどで幅広く活躍する。
ヒールのマネージャーとしては、1990年代にインディー団体においてミスター・トヨタ(Mr. Toyota)を名乗り、みちのくプロレスのデルフィン軍(スペル・デルフィン、新崎人生、愚乱・浪花)などを担当。顔にペイントを施し、WARではミッシング・リンクとも共闘した[1]。1998年にはヤマグチ・サン(Yamaguchi-San)の名義でWWFに登場し、カイエンタイのマネージャーを務めた[2][3]。
1999年から2000年にかけては、ブッカーとしてインディー団体『世界のプロレス』を主宰[4]。ビル・アーウィン 、バリー・ダーソウらを招聘した。2000年7月には、プロレスリング・ノアとの分裂騒動で選手やスタッフが大量離脱した全日本プロレスにレフェリーとして参加した。
2017年12月、脳梗塞により緊急入院。そのまま闘病生活を送っていたが、2019年3月10日、60歳で死去[5]。
家族
[編集]実弟のシュン山口は、2020年3月までWWEネットワークのPPV特番の、2023年10月からはABEMAでのWWE中継の日本語版実況を務めている[7][8][9]。
息子の山口橋之介は、ウォーリー没後の2019年9月19日に行われたTCW新宿FACE大会において、「HASHINOSUKE」のリングネームでプロレスラーとしてデビューしている(後にローマ字から漢字の「橋之介」に表記を戻した)[10][11]。
脚注
[編集]- ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P268(1996年、日本スポーツ出版社)
- ^ “Yusuke “Wally” Yamaguchi passes away”. WWE.com (2019年3月10日). 2023年3月25日閲覧。
- ^ “Kaientai”. Online World of Wrestling. 2011年2月20日閲覧。
- ^ 『Gスピリッツ Vol.13』P58「ウォーリー山口インタビュー 『ハブの牙』から始まる最底辺の物語」(2009年、辰巳出版、ISBN 4777807150)。
- ^ “ウォーリー山口さん死去60歳「海援隊」マネジャー”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. (2019年3月10日) 2019年3月10日閲覧。
- ^ 湯川博士『将棋巷談 一手劇場』(毎日コミュニケーションズ)P.152
- ^ “Yusuke "Wally" Yamaguchi passes away” (英語). WWE (10 March 2019). 2020年1月15日閲覧。
- ^ “ウォーリー山口さん逝く! 元ゴング記者、WWFのKAIENTAIマネージャー、インディー団体レフェリー”. 週刊ファイト (2019年3月10日). 2020年1月15日閲覧。
- ^ 『Gスピリッツ Vol.65』P32「対談 シュン山口×小佐野景浩 WWEの『これまで』と『これから』」(2022年、辰巳出版、ISBN 4777829618)。
- ^ 酒井隆行「71歳・タイガー戸口が「心房細動」で引退を覚悟、10月に米国で精密検査へ…金曜8時のプロレスコラム」『スポーツ報知』2019年9月27日。2020年1月15日閲覧。
- ^ “【TCW】9.19新宿大会<全試合結果>リック・スタイナー登場! 諏訪魔が異種格闘技戦に勝利! 戸口が年内休業へ! HASHINOSUKEデビュー!”. プロレスTODAY (2019年9月20日). 2020年1月15日閲覧。