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ウォーレリック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウォーレリック
欧字表記 War Relic
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1938年
死没 1963年
Man o'War
Friar's Carse
母の父 Friar Rock
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Samuel D. Riddle
馬主 Glen Riddle Farm
調教師 George Conway
Walter A. Carter
競走成績
生涯成績 20戦9勝 (9-4-2-5)
獲得賞金 $89,495
勝ち鞍

Governor's Handicap (1941)
Kenner Stakes (1941)
Massachusetts Handicap (1941)

Narragansett Special (1941)
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ウォーレリック(War Relic) はアメリカ合衆国生まれのサラブレッド競走馬および種牡馬)である。
マンノウォー産駒の中で最も成功した種牡馬であるといわれており、産駒のレリックインテントから父マンノウォーの系統を広げた。

出生

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ウォーレリックは父マンノウォーの馬主であったサミュエル・ドイル・リドルの自家生産馬で、母フライアーズカースは1925年の米2歳牝馬チャンピオン、その父フライアーロックは1916年ベルモントステークス優勝馬でその年の年度代表馬であった。
ウォーレリックは当初ジョージ・コンウェイの下で調教されたが、1939年6月20日に彼が亡くなると、その後はウォルター・A・カーターの下で調教された。

競走成績

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3歳となった1941年にはいくつかの大レースに優勝した。特にナラガンセットスペシャルでは三冠馬ワーラウェイを、マサチューセッツハンデキャップでは古馬を破っている。

引退後

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引退後は種牡馬として活躍し、1948年生まれのBattlefieldは1950年の2歳チャンピオンに輝き、 インテント (Intent)やMissileも2歳戦で活躍した。
産駒のうちレリックはフランスに渡り、Buisson Ardent(シルバーシャーク(Silver Shark)の父)とヴェンチア(Venture VII)の兄弟、Texana、Relance (Relkoなどの母)、カロ(Caro)の母父となるEl Relicarioなどを輩出し、インテントもIntentionallyなどを輩出し種牡馬として成功したことで、それぞれレリック系インテント系と呼ばれるサイアーラインを発展させている。
ウォーレリックの系統は近年でもTiznow、Colonel John、Well Armed、Bertrandoらの活躍馬を輩出しており、父マンノウォーの血を伝えている。
ウォーレリックは1963年に25歳で亡くなり、ケンタッキー州レキシントン近郊のファラウェイファームに埋葬されたが、その亡骸は同父の三冠馬ウォーアドミラルや父マンノウォーとともにケンタッキーホースパークに移されている。

血統表

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ウォーレリック血統(父系:マンノウォー系/牝系:F-No.1-o / Fairy Gold S3×M3=25%、Rock Sand S3×M3=25%、Bend Or S4×M4×M5=15.63%) (血統表の出典)

Man o'War
1917 栗毛
父の父
Fair Play
1905 栗毛
Hastings Spendthrift
Cinderella
Fairy Gold Bend Or
Dame Masham
父の母
Mahubah
1910 鹿毛
Rock Sand Sainfoin
Roquebrune
Merry Token Merry Hampton
Mizpah

Friar's Carse
1923 栗毛
Friar Rock
1913 栗毛
Rock Sand Sainfoin
Roquebrune
Fairy Gold Bend Or
Dame Masham
母の母
Problem
1914 栗毛
Superman Commando
Anomaly
Query Voter
Quesal


外部リンク

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