ウッディ・ウィリアムズ
セントルイス・カージナルス時代 (2004年8月7日) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | テキサス州ヒューストン |
生年月日 | 1966年8月19日(58歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 200 lb =約90.7 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1988年 ドラフト28巡目 |
初出場 | 1993年5月14日 |
最終出場 | 2007年9月22日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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グレゴリー・スコット・ウィリアムズ(Gregory Scott "Woody" Williams、1966年8月19日 - )は、アメリカ合衆国・テキサス州ヒューストン出身の元プロ野球選手(投手)。
経歴
[編集]プロ入りからメジャー昇格まで
[編集]アルビン・コミュニティ・カレッジ(英語:Alvin Community College) 、ヒューストン大学(英語:University of Houston) を経て、1988年6月1日にトロント・ブルージェイズからドラフト28巡目で指名され、同年6月5日に契約を結んだ[1]。入団後は、マイナーリーグのニューヨーク・ペンリーグ (A - 級) のチームであるセントキャサリンズ・ブルージェイズ (英語:St. Catharines Blue Jays) に所属し、先発投手として12試合に登板。防御率1.54・8勝2敗・WHIP0.91という好成績を残した。そして、当時ブルージェイズ傘下のチームであったサザンリーグ (AA級) ノックスビル・ブルージェイズに昇格し、ここでは6試合中4試合に先発登板して、防御率3.81・2勝2敗・WHIP1.38を記録した。プロ1年目のマイナーでの通算成績は、18試合の登板 (うち16試合が先発登板) で防御率2.16・10勝4敗・33四球・83奪三振・WHIP1.04であり、いきなり2ケタ勝利を挙げて活躍した。
翌1989年は、フロリダ・ステートリーグ (A + 級) のダニーデン・ブルージェイズからスタートし、9試合に先発で・11試合にリリーフで登板して防御率2.32・3勝5敗・3セーブ・WHIP1.11を記録した。次いでノックスビルに昇格すると先発に戻り、14試合中12試合が先発登板だった。成績は、防御率3.55・3勝5敗1セーブ・71.0イニングで33四球・51奪三振・WHIP1.32だった。2チーム計では、34試合に登板・うち21試合が先発登板で、防御率2.89・6勝10敗4セーブ・WHIP1.21であり、負け越したものの通年の防御率は、2年連続で2.00台にまとめ上げた。
1990年はノックスビルでシーズンを迎え、リリーフでの登板に比重が置かれた。42試合中30試合がリリーフ登板で、防御率3.14・7勝9敗5セーブ・WHIP1.19をマーク。そして、インターナショナルリーグ (AAA級) のシラキュース・チーフス (当時ブルージェイズ傘下) に昇格したが、3試合・9.0イニングに投げて15被安打10失点と炎上して1敗を喫し、防御率10.00・WHIP2.11だった。通年では、45試合の登板 (12先発登板) で防御率3.60・7勝10敗5セーブ・WHIP1.25という成績であり、2年連続で2ケタ敗戦を喫したものの、リリーフがメインながら135.0イニングを投げた。
1991年、前年と同じくノックスビル所属でスタート。同年はリリーフでの起用に拍車が掛かり、先発登板したのは18試合中1試合のみだった。ノックスビルでは防御率3.59・3勝2敗3セーブ・WHIP1.31を記録し、シラキュースに合流。シラキュースでは31試合でマウンドに登り、防御率4.12・3勝4敗6セーブ・WHIP1.45を記録。ノックスビルとシラキュースの通算では、49試合中48試合のリリーフ登板で防御率3.88・6勝6敗・97.1イニングで41四球・74奪三振・WHIP1.39を記録したほか、キャリアハイの9セーブを挙げた。
1992年は年間通じてシラキュースでプレー。また、役割も先発メインに戻った。同年は25試合中16試合が先発登板であり、6勝8敗と負け越したものの、過去2シーズン連続で3.60を超えていた防御率を3.13まで改善し、成長の跡を残した。なお、同年はリリーフで投げた試合で1セーブも記録した。
メジャー昇格から引退まで
[編集]1993年5月14日、敵地での対ニューヨーク・ヤンキース戦でメジャーデビューを果たし、0.2イニングで3被安打1四球2失点という、ほろ苦い投球内容だった[2]。同年は全てリリーフで30試合に登板し、防御率4.38・3勝1敗・WHIP1.68というイマイチの成績だった。
メジャー2年目の1994年も、リリーフ専業で38試合に登板。防御率3.64・1勝3敗・WHIP1.30という成績を残し、負け越したものの防御率やWHIPを改善して成長の跡を示した。なお、38試合はチーム2位の登板試合数だった[3]。また同年は、59.1イニングで56三振を奪う力投を見せ、ウィリアムズのキャリアで最高となる奪三振率8.5も記録した。1995年は23試合の登板で、デビュー以来では最小の登板試合数ながら、3試合で先発登板した。同年は、防御率3.69・1勝2敗・WHIP1.34を記録した。
1996年から先発での起用がメインとなり、12試合中10試合が先発登板だった。同年はキャリア初の完投を記録したほか、防御率4.73・4勝5敗・21四球・43奪三振・WHIP1.44等の成績を残した。翌1997年にはフルシーズン先発ローテーションに定着し、31試合に先発登板。194.2イニングを投げてア・リーグワースト5位タイの31本塁打を浴び、防御率4.35・9勝14敗とイマイチの成績に終わった。1998年は6月25日の対モントリオール・エクスポズ戦でキャリア初完封を記録[4]。被本塁打の多さは相変わらずで、32の先発登板・209.2イニングでリーグワースト2位の36本を浴びたが、防御率4.46・10勝9敗・WHIP1.32を記録し、自身初の2ケタ勝利を挙げた。同年オフの12月12日、ジョーイ・ハミルトン投手とのトレードにより、ピート・トゥッチ外野手 (メジャー経験なし) 及びカルロス・アルマンザー投手と共にサンディエゴ・パドレスに移籍した[1]。
パドレス加入1シーズン目の1999年、33試合に先発登板してチームトップ[5]の208.1イニングを投げた。防御率4.41・12勝12敗・WHIP1.37という成績を残し、ブルージェイズ時代から2年連続で2ケタ勝利を挙げた。2000年は23試合の先発登板に留まったが、ナ・リーグ8位タイの4完投を記録して規定投球回 (162.0イニング) には到達。規定投球回に達したシーズンとしては、いずれも結果的にキャリアハイの防御率3.75・WHIP1.23を記録して、3年連続2ケタ勝利 (10勝8敗) をマークした。また、同年は打者としても活躍し、58打数15安打 (打率.259) ・1本塁打 (メジャー初本塁打) ・9打点を記録した[6]。翌2001年は、前年と同数の23試合に先発登板した時点で防御率4.97・8勝8敗・WHIP1.43という不安定な成績だった。その後、同年8月2日にレイ・ランクフォード及び金銭とのトレードで、セントルイス・カージナルスへ移籍した[1]。
カージナルス移籍後は11試合に先発登板。いずれもリーグ7位タイの3完投・1完封を含む、防御率2.28・7勝1敗・WHIP0.97と大活躍した。パドレスとの合算では、34先発登板・220.0イニングで防御率4.05・15勝9敗・56四球・154奪三振・WHIP1.27という成績で、15勝は4年連続2ケタ勝利且つ自己最高 (当時) となる数値だった。同年、キャリア初のポストシーズンでの登板を経験。アリゾナ・ダイヤモンドバックスとのNLDSで1試合に先発登板し、7.0イニングを4被安打1四球1失点9奪三振にまとめる力投を見せ、勝利投手となった (チームは敗戦) 。
2002年は、側胸部の筋肉痛を含む2度のDL入りがあった[7]為、17試合の先発登板に留まり、6シーズンぶりに規定投球回未達だったが、防御率2.53・9勝4敗・WHIP1.06という好成績で、投げられれば高い実力がある事を示した。ポストシーズンでは、サンフランシスコ・ジャイアンツとのNLCSで1試合に先発登板。6.0イニングで6被安打2被本塁打3失点と打ち込まれて敗戦投手となった。
2003年は前半戦で12勝3敗と[8]勝ち星を荒稼ぎし、初めてオールスターのメンバーに選ばれた。オールスターの試合ではナ・リーグ5番手で登板したが、ギャレット・アンダーソンにホームランを浴びた[9]。後半戦は打ち込まれる事が多くなり、15試合の登板 (先発登板は14試合) で防御率5.23・6勝6敗という成績だった[8]。それでも、前半戦で勝ち星を貯金した事が効いて、キャリアハイ且つリーグ2位タイの18勝 (9敗) を挙げた。
2004年11月4日に、FAになる。同年12月9日に、古巣パドレスへFA移籍。
2006年は、12勝5敗で2年振りの2ケタ勝利を記録し、リーグトップの勝率7割6厘を記録した。同年10月31日に、FAとなる。同年11月25日に、ヒューストン・アストロズへ2年総額1,250万ドルでFA移籍。
2007年はリーグワーストの35被本塁打を記録し、リーグワースト3位の15敗だった。
詳細情報
[編集]年度別投手成績 (MLB)
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1993 | TOR | 30 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | - | .750 | 172 | 37.0 | 40 | 2 | 22 | 3 | 1 | 24 | 2 | 1 | 18 | 18 | 4.38 | 1.68 |
1994 | 38 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | - | .250 | 253 | 59.1 | 44 | 5 | 33 | 1 | 2 | 56 | 4 | 0 | 24 | 24 | 3.64 | 1.30 | |
1995 | 23 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | - | .333 | 232 | 53.2 | 44 | 6 | 28 | 1 | 2 | 41 | 0 | 0 | 23 | 22 | 3.69 | 1.34 | |
1996 | 12 | 10 | 1 | 0 | 0 | 4 | 5 | 0 | - | .444 | 255 | 59.0 | 64 | 8 | 21 | 1 | 1 | 43 | 2 | 0 | 33 | 31 | 4.73 | 1.44 | |
1997 | 31 | 31 | 0 | 0 | 0 | 9 | 14 | 0 | - | .391 | 833 | 194.2 | 201 | 31 | 66 | 3 | 5 | 124 | 7 | 0 | 98 | 94 | 4.35 | 1.37 | |
1998 | 32 | 32 | 1 | 1 | 0 | 10 | 9 | 0 | - | .526 | 894 | 209.2 | 196 | 36 | 81 | 3 | 2 | 151 | 2 | 1 | 112 | 104 | 4.46 | 1.32 | |
1999 | SD | 33 | 33 | 0 | 0 | 0 | 12 | 12 | 0 | 0 | .500 | 887 | 208.1 | 213 | 33 | 73 | 5 | 2 | 137 | 9 | 0 | 106 | 102 | 4.41 | 1.37 |
2000 | 23 | 23 | 4 | 0 | 1 | 10 | 8 | 0 | 0 | .556 | 700 | 168.0 | 152 | 23 | 54 | 2 | 3 | 111 | 4 | 0 | 74 | 70 | 3.75 | 1.23 | |
2001 | 23 | 23 | 0 | 0 | 0 | 8 | 8 | 0 | 0 | .500 | 632 | 145.0 | 170 | 28 | 37 | 4 | 5 | 102 | 4 | 0 | 88 | 80 | 4.97 | 1.43 | |
STL | 11 | 11 | 3 | 1 | 1 | 7 | 1 | 0 | 0 | .875 | 290 | 75.0 | 54 | 7 | 19 | 1 | 3 | 52 | 1 | 0 | 22 | 19 | 2.28 | 0.97 | |
'01計 | 34 | 34 | 3 | 1 | 1 | 15 | 9 | 0 | 0 | .625 | 922 | 220.0 | 224 | 35 | 56 | 5 | 8 | 154 | 5 | 0 | 110 | 99 | 4.05 | 1.27 | |
2002 | 17 | 17 | 1 | 0 | 0 | 9 | 4 | 0 | 0 | .692 | 412 | 103.1 | 84 | 10 | 25 | 2 | 4 | 76 | 2 | 0 | 30 | 29 | 2.53 | 1.06 | |
2003 | 34 | 33 | 0 | 0 | 0 | 18 | 9 | 0 | 0 | .667 | 944 | 220.2 | 220 | 20 | 55 | 2 | 11 | 153 | 3 | 0 | 101 | 95 | 3.87 | 1.25 | |
2004 | 31 | 31 | 0 | 0 | 0 | 11 | 8 | 0 | 0 | .579 | 817 | 189.2 | 193 | 20 | 58 | 3 | 9 | 131 | 12 | 1 | 93 | 88 | 4.18 | 1.32 | |
2005 | SD | 28 | 28 | 0 | 0 | 0 | 9 | 12 | 0 | 0 | .429 | 697 | 159.2 | 174 | 24 | 51 | 1 | 3 | 106 | 1 | 0 | 92 | 86 | 4.85 | 1.41 |
2006 | 25 | 24 | 0 | 0 | 0 | 12 | 5 | 0 | 0 | .706 | 624 | 145.1 | 152 | 21 | 35 | 3 | 7 | 72 | 4 | 1 | 68 | 59 | 3.65 | 1.29 | |
2007 | HOU | 33 | 31 | 0 | 0 | 0 | 8 | 15 | 0 | 0 | .348 | 833 | 188.0 | 216 | 35 | 53 | 5 | 12 | 101 | 1 | 2 | 114 | 110 | 5.27 | 1.43 |
通算:15年 | 424 | 330 | 10 | 2 | 2 | 132 | 116 | 0 | *0 | .532 | 9475 | 2216.1 | 2217 | 309 | 711 | 40 | 72 | 1480 | 58 | 6 | 1096 | 1031 | 4.19 | 1.32 |
- 「-」は記録なし。
- 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す。
- 太字はリーグ1位。
獲得タイトル・表彰・記録
[編集]- オールスターゲーム選出:1回 (2003年)
- ピッチャー・オブ・ザ・マンス:1回 (2001年9月)
背番号
[編集]- 54 (1993年 - 1997年途中)
- 20 (1997年途中 - 同年途中)
- 30 (1997年途中 - 1998年)
- 18 (1999年 - 2001年途中)
- 19 (2001年途中 - 2004年)
- 17 (2005年 - 2006年)
- 29 (2007年)
脚注
[編集]- ^ a b c Woody Williams Statistics and History - Transactions - Baseball-Reference.com (英語) . 2017年2月7日閲覧。
- ^ May 14, 1993 TOR vs NYY Box Score and Play by Play - TOR pitching - Baseball-Reference.com (英語) . 2017年2月8日閲覧。
- ^ 1994 Toronto Blue Jays Pitching Statistics - Baseball-Reference.com (英語) . 2017年2月8日閲覧。
- ^ Woody Williams 1998 Pitching Gamelogs - Baseball-Reference.com (英語) . 2017年2月8日閲覧。
- ^ 1999 San Diego Padres Pitching Statistics - Baseball-Reference.com (英語) . 2017年2月8日閲覧。
- ^ Woody Williams Statistics and History - Standard Batting - Baseball-Reference.com (英語) . 2017年2月8日閲覧。
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2004』廣済堂出版、2004年、317頁頁。ISBN 4-331-51040-9。
- ^ a b Woody Williams 2003 Pitching Gamelogs - Baseball-Reference.com (英語) . 2017年2月8日閲覧。
- ^ July 15, 2003 All-Star Game Play-By-Play and Box Score - Baseball-Reference.com (英語) . 2017年2月8日閲覧。