ウフル・ケニヤッタ
ウフル・ケニヤッタ Uhuru Kenyatta | |
任期 | 2013年4月9日 – 2022年9月13日 |
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任期 | 2008年4月17日 – 2013年4月9日 |
首相 | ライラ・オディンガ |
任期 | 2009年1月23日 – 2012年1月26日 |
首相 | ライラ・オディンガ |
任期 | 2008年4月17日 – 2009年1月23日 |
首相 | ライラ・オディンガ |
任期 | 2003年1月 – 2012年12月 |
出生 | 1961年10月26日(63歳) ケニヤ植民地、ナイロビ |
政党 | ケニア・アフリカ民族同盟 (2000年以前) 国民連合 (2000年 – ) |
出身校 | アマースト大学 |
配偶者 | マーガレット・ガクオ・ケニヤッタ (1991年 - ) |
子女 | ジョモ ンギナ ジャバ |
宗教 | ローマ・カトリック |
ウフル・ミガイ・ケニヤッタ(英語: Uhuru Muigai Kenyatta、1961年10月26日 - )は、ケニアの政治家。2013年から2022年まで同国大統領(第4代)、2001年から2002年まで地方行政担当相、2002年から2007年まで野党院内総務、2008年から2013年まで副首相の任にあった。2002年から、ガトゥンドゥ南選挙区から国会議員に選出されている。国家統一党の一翼をなすケニア・アフリカ民族同盟 (KANU) の議長でもあった。
2007年の大統領選挙後の暴動をめぐり、人道に対する罪などに問われ、現職の国家元首として初めて国際刑事裁判所(ICC)に出廷した。
経歴
[編集]父は1964年から1978年まで、ケニアの初代大統領だったジョモ・ケニヤッタである。キクユ人の出自が、彼の政治生命に重要な役割を果たした。ファーストネームのウフルは、スワヒリ語で「自由」を意味する。ナイロビのセント・メアリーズ・スクールで学んだ。幼少期については、彼の支援団体が公表している断片的な情報しかなく、よくわかっていない。それによると1977年、成績優秀だったウフルは当時のムワイ・キバキ財相からあるご褒美をもらった。また、10歳のウフルがセント・メアリーズ・スクールでの生活をつづった父宛ての手紙が残っている。1979年から翌年までの短期間、ケニヤ商業銀行に勤務[1]。ジミー・ワンジギやアルフィー・ゲトンガといった何人かの同級生とは、現在も親密な関係にある。
セント・メアリーズ・スクールを卒業すると、アメリカ合衆国のアマースト大学に留学し、政治学を学んだ。この時期についてもわかっていないことが多く、噂や憶測が幅を利かせている。大学を修了してケニアに戻ると、農産物を流通・輸出するウィルハム・ケニヤ・リミテッド社を創業した[2]。
2001年に国会議員に選ばれ、ダニエル・アラップ・モイ大統領のもとで地方行政担当相に就任した。さらに、政治経験のほとんどないままモイ大統領の後継に指名され、KANUから2002年12月の大統領選に立候補。野党のムワイ・キバキに大差で敗れた。その後、国会の野党院内総務となった。2007年12月の大統領選ではキバキの再選を支援し、翌年1月に地方行政担当相に任命された。また、4月には連立政権の一員として、副首相兼貿易相に就任した。
2009年から2012年まで、ケニヤッタは副首相を兼務のうえで財相を務めていたが、国際刑事裁判所 (ICC) から2007年の選挙後に発生した暴動に関連して、人道に対する罪で告発されたため、2012年1月26日に財相を辞職した。
2013年3月の大統領選では、第一回投票でライラ・オディンガを僅差で下し、当選した。就任演説でケニヤッタは、ヴィジョン2030を通じた経済改革、全てのケニア人の統合、母子保健の無償化を公約し、全てのケニア人のために尽くすと述べた。また、ケニアの教育水準の向上も掲げた[3][4][5]。今後は高い生活費や、ふくらむ国債などの問題に対処することになる[6]。
2017年8月の大統領選挙でも当選し再選を果たしたが[7]、その後9月1日に最高裁判所が選挙での不正を認定、再選を無効とし60日以内の再選挙の実施を命じた[8]。同年10月26日に実施された再選挙ではオディンガ陣営が選挙をボイコットし、得票率98%で再選。再選挙にまつわる異議申し立ては11月20日に最高裁判所がすべて棄却し結果が確定、11月28日に就任宣誓を行った[9]。
2021年10月にはパンドラ文書に名前が載っていることが公表された。それによれば、タックス・ヘイヴンであるパナマやイギリス領ヴァージン諸島にあるペーパーカンパニーを利用して、母親や兄弟姉妹など家族合わせて3,000万USドルに及ぶ資産を隠し持っているとされる[10]。
脚注
[編集]- ^ http://vimeo.com/31199736
- ^ http://vimeo.com/31198883
- ^ John Kamau (9 April 2013). “Uhuru Kenyatta puts economy and unity top of his government agenda”. Business Daily 10 May 2013閲覧。
- ^ Oliver Mathenge (April 10, 2013). “I Will Serve All Kenyans, Says Uhuru”. The Star May 12, 2013閲覧。
- ^ Eric Shimoli (April 9, 2013). “Uhuru pledges to unite country as he takes over reins of power”. Daily Nation May 12, 2013閲覧。
- ^ Uhuru should tap into the services of the information and communications technology[1]
- ^ “ケニア大統領選、現職再選 野党は不正主張、暴動懸念”. 東京新聞 (2017年8月12日). 2017年8月12日閲覧。
- ^ “ケニア大統領選、60日以内に再選挙 最高裁が不正認定”. 朝日新聞. (2017年9月1日) 2017年9月2日閲覧。
- ^ “ケニアやり直し大統領選、最高裁が現職の当選認める”. AFPBB News. フランス通信社. (2017年11月20日) 2020年2月4日閲覧。
- ^ “Pandora Papers expose African leaders' offshore secrets”. ドイチェ・ヴェレ. (2021年10月4日) 2021年11月25日閲覧。
外部リンク
[編集]公職 | ||
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新設 | ケニア共和国副首相 2008年 - 2013年 |
次代 廃止 |
先代 ムワイ・キバキ |
ケニア共和国大統領 2013年 - 2022年 |
次代 ウィリアム・ルト |