ウワナベ古墳
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ウワナベ古墳 | |
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墳丘全景(左に前方部、右奥に後円部) | |
別名 | 宇和奈辺古墳 |
所属 | 佐紀盾列古墳群 |
所在地 | 奈良県奈良市法華寺町 |
位置 | 北緯34度41分51.45秒 東経135度48分32.47秒 / 北緯34.6976250度 東経135.8090194度座標: 北緯34度41分51.45秒 東経135度48分32.47秒 / 北緯34.6976250度 東経135.8090194度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 |
墳丘長270-280m[1] 高さ19.8m |
出土品 | 円筒埴輪 |
築造時期 | 5世紀中頃 |
被葬者 | (宮内庁推定)八田皇女 |
陵墓 | 宮内庁治定「宇和奈辺陵墓参考地」 |
特記事項 | 全国第12位[1]または第13位(墳丘長255mとする場合)[2]の規模 |
地図 |
ウワナベ古墳(うわなべ こふん、宇和奈邊古墳、宇和奈辺古墳)は、奈良県奈良市法華寺町にある前方後円墳。佐紀盾列古墳群(ウワナベ古墳群)を構成する古墳の一つで、古墳群の最東端に位置し、もっとも大きい巨大古墳。
5世紀中頃に作られたとされており、応神天皇の娘、仁徳天皇の皇后である八田皇女の陵墓参考地として治定されている。
構造と規模
[編集]墳丘は三段で、斜面に葺石が敷かれ、一段目の周囲は埴輪が並べられていた。墳丘は宮内庁が、周囲を取り巻く周濠は地元の農家組合が管理しており、現在は上部を植生が覆っている。
測量図から全長255メートルと推測されてきたが、宮内庁や奈良県立橿原考古学研究所、奈良市教育委員会による発掘調査結果が2020年11月20日発表され、後円部側周濠の北東と東の葺石の先で見つかった基底石を含めた全長は270-280メートルで、同じ佐紀古墳群の五社神古墳(全長267メートル)を上回り、日本国内で第12位になることが明らかとなった[1]。
- 前方部幅 129.5メートル
- 後円部径 128メートル
- 全長 270-280メートル[1]
- 前方部高 16メートル
- 後円部高 19.8メートル
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3DCGで描画。東方向から見る
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3DCGで描画。前方部正面から見る
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3DCGで描画。後円部方向から見る
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3DCGで描画。西方向から見る
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3DCGで描画。真横から見る
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鰭付円筒埴輪
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館展示。
地勢
[編集]6世紀に奈良盆地で栄えた平城京(奈良市、大和郡山市、天理市他)の最北端に位置する佐紀盾列古墳群は、東西約12町のあいだに、東からウワナベ古墳、コナベ古墳[1]、水上池、市庭古墳(平城天皇楊梅陵)が並び、北側にはヒシアゲ古墳(仁徳天皇の前皇后磐之媛命の平城坂上陵)[注釈 1]、ヒシャゲ古墳外堤埴輪列(復元)などが並ぶ。
上記古墳のうち市庭古墳以外は周囲に堀がめぐらされており、遊水地の島といった様態である。
脚注
[編集]- 注釈
- 出典
- ^ a b c d e 「ウワナベ」全長280メートル 奈良 佐紀古墳群最大規模『毎日新聞』朝刊2020年11月21日(2020年12月13日閲覧)
- ^ 古墳大きさランキング(日本全国版)堺市ホームページ(2019年11月14日更新版)2020年12月13日閲覧
参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 『奈良県史跡名勝天然記念物調査抄報 奈良市法華寺町ウナワベ古墳群 大和第三、第四、第五、第六号古墳調査』奈良県 1949年
- 佐紀陵山古墳(さき みささぎやま、奈良市山稜町)「前期末葉の巨大古墳の実態」- 奈良県立橿原考古学研究所(2020年12月13日閲覧)
- 「5.ウワナベ古墳の調査 UN第2次」『奈良市埋蔵文化財調査年報』奈良市教育委員会文化財課埋蔵文化財調査センター、2023年、22-39頁。doi:10.24484/sitereports.130938 。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 「平成29年度 墳丘外表面調査の成果報告 -宇和奈辺陵墓参考地-」『書陵部紀要 陵墓篇 第70号』宮内庁書陵部、2019年 。
- 「宇和奈辺陵墓参考地整備工事予定区域事前調査」『書陵部紀要 陵墓篇 第73号』宮内庁書陵部、2022年 。
- 「附 宇和奈辺陵墓参考地にみられた石材の石種について」『書陵部紀要 陵墓篇 第73号』宮内庁書陵部、2022年 。
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、ウワナベ古墳に関するカテゴリがあります。