エウセビオ・ペドロサ
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基本情報 | |
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本名 | エウセビオ・ペドロサ・シルバ |
通称 | El Alacrán |
階級 | フェザー級 |
身長 | 177cm |
国籍 | パナマ |
誕生日 | 1956年3月2日 |
出身地 | パナマ県パナマシティ |
死没日 | 2019年3月1日(62歳没) |
死没地 | パナマ県パナマシティ |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 49 |
勝ち | 41 |
KO勝ち | 25 |
敗け | 6 |
引き分け | 1 |
無効試合 | 1 |
エウセビオ・ペドロサ(Eusebio Pedroza Silva、1956年3月2日 - 2019年3月1日)は、パナマのプロボクサー。パナマシティ出身。元WBA世界フェザー級チャンピオン。空手の黒帯を持つ有段者。
元WBA世界ジュニアバンタム級王者ラファエル・ペドロサはいとこ。
来歴
[編集]1973年デビュー。1977年、メキシコのKOキングアルフォンソ・サモラの持つWBA世界バンタム級王座に挑戦したが、2回KO負けで敗退する。
1978年4月15日、セシリオ・ラストラ(スペイン)の持つWBA世界フェザー級王座に挑戦。13回TKO勝利で戴冠以来、1985年6月8日、バリー・マクギガン(イギリス)に15回判定で敗れ陥落するまで、7年に渡って同タイトルを19度防衛した。防衛の相手には怪物ルーベン・オリバレスや、後の世界王者ロッキー・ロックリッジも含まれる。これはフェザー級における世界タイトル最多連続防衛記録で、今なお破られていない。
日本でも後楽園ホールで2度試合を行っており、ロイヤル小林(国際)やスパイダー根本(草加有沢)の挑戦を受け、いずれも退けている[1]。
2019年3月1日、膵臓がんのためにパナマシティにて死去[2][3]。62歳没。
通算戦績
[編集]- 50戦42勝(25KO)6敗1分1ND(世界戦戦績:22戦19勝(11KO)2敗1分)
脚注
[編集]- ^ ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年
- ^ “Panamanian world champion boxer Eusebio Pedroza dead at 62”. The Washington Post. The Washington Post. (2009年3月1日) 2019年3月2日閲覧。
- ^ “Muere Eusebio Pedroza ex Campeón Mundial panameño a los 62 años de edad” (スペイン語). La Verdad Noticias. 2019年3月2日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]前王者 セシリオ・ラストラ |
WBA世界フェザー級王者 1978年4月15日 - 1985年6月8日 |
次王者 バリー・マクギガン |