エスマ・レジェポヴァ
エスマ・レジェポヴァ (Есма Реџепова) | |
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2010年 | |
基本情報 | |
出生名 | エスマ・レジェポヴァ |
生誕 |
1943年8月8日(81歳) ブルガリア王国・スコピエ |
出身地 | 北マケドニア |
職業 | シンガー・ソングライター |
活動期間 | 1956年 - |
レーベル |
Monitor Records、ユーゴトン PGP-RTB |
共同作業者 | ステヴォ・テオドシエフスキ |
公式サイト | 公式サイト |
エスマ・レジェポヴァ(マケドニア語:Есма Реџепова、1943年8月8日 - 2016年12月11日)は、マケドニア共和国出身のロマの歌手、ソングライター、慈善活動家である。1956年に歌手となって以来、夫のステヴォ・テオドシエフスキとともに30か国で9千を超えるコンサートをこなしてきた。43人の子どもの里親となったことをはじめ数多くの慈善活動を展開し、評価を受けてきた[1]。自身による作品は500を超え[2]、108のシングル、20のアルバム、6本の映像作品を制作した[3]。
来歴
[編集]1943年8月8日、ブルガリア王国のスコピエ(現在の北マケドニア首都)に生まれた。ロマの家族のもとに生まれ、6人の兄弟姉妹のうち下から2番目であった。エスマ・レジェポヴァの父は荷役人夫、歌手、ドラマー、サーカス・ストロングマン、靴磨きなど様々な職業を経験した。両親は、6人の兄弟はいずれも小学校を卒業しているとしている。エスマの兄のひとりが彼女をロマ音楽の団体に紹介し、その一員として彼女はすぐにロマ音楽の複雑なリズムを身につけた。エスマと兄はともには学校の民俗歌舞のグループに加わっている[4]。
1957年、14歳のころ、ラジオ・スコピエの児童向け音楽コンテストに彼女個人として招待された。コンテストでは他の57校の代表団を破って1位となり、9000ユーゴスラビア・ディナールの賞金を得た他[5]、後に夫となるステヴォ・テオドシエフスキと出会うなど、レジェポヴァの人生の大きな転換点となった。その後両親の許しを得て彼女はテオドシエフスキの合奏団とともに各地をツアーすることとなった。この時、1着のドレスと1着のチョチェクの衣装が入ったケース1つで旅立ったと伝えられている。
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2000年代
[編集]エスマ・レジェポヴァはその後長期にわたってバルカン半島一円で高い知名度を保つ。2002年にはマケドニアの国民的歌手トシェ・プロエスキとの共演曲「Magija」を収録し同曲はプロエスキのアルバム『Ako Me Pogledneš Vo Oči』に収録された。
レジェポヴァの代表曲のひとつ「Čaje Šukarije」が2006年の映画「ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」に使用されたことについて、彼女は自身の許可なく楽曲が使用されたと主張した。コチャニ・オルケスタルのナート・ヴェリオフとともに、映画の製作者を相手取り80万ユーロの賠償金を求める訴訟を起こした。後にレジェポヴァの関知しないところで彼女のプロダクション・チームが映画制作陣に許可を出していたことが明らかになり、裁判では2万6千ユーロの賠償金で決着が図られた[6]。
2006年の映画『ジプシー・キャラバン(Gypsy Caravan)』では、アメリカ合衆国をツアーする5つのロマ音楽家グループの1として彼女が取り上げられた。ルイ・ムーシェ監督の2008年の映画『Rromani Soul』は、ロマ語学者のマルセル・クルチアード(Marcel Courthiade)とともにインド・ウッタル・プラデーシュ州のカナウジにてロマの源流を探る旅のガイドとしてエスマを起用した。
2012年12月28日、マケドニア・ラジオ・テレビジョンは、ヴラトコ・ロザノスキとともにエスマ・レジェポヴァが、2013年5月にスウェーデンのマルメで開催されるユーロビジョン・ソング・コンテスト2013のマケドニア共和国代表となることを発表した[7]。
政治活動
[編集]レジェポヴァは民主同盟の一員であった。民主同盟の解党後は保守政党である内部マケドニア革命組織・マケドニア国家統一民主党(VMRO–DPMNE)に入党する。2009年のスコピエ市議会選挙に当選し市議となる[8]。
ディスコグラフィー
[編集]スタジオ・アルバム
[編集]題 | 発表年 | レーベル | Contributing artists |
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Ansambl Teodosievski | |||
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Duke B. | |||
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Ferus Mustafov | |||
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EP
[編集]題 | 発表年 | レーベル | Contributing artist |
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Ansambl Teodosievski | |||
Ansambl Teodosievski | |||
Ansambl Teodosievski ; Enver Rasimov | |||
Ansambl Teodosievski ; Nikola Badev | |||
Ansambl Teodosievski | |||
Ansambl Teodosievski | |||
Ansambl Teodosievski ; Krste Kitanovski | |||
Ansambl Teodosievski | |||
Ansambl Teodosievski | |||
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Ansambl Teodosievski |
コンピレーション・アルバム
[編集]題 | 発表年 | レーベル | Contributing artists |
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Usnija Jašarova | |||
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シングル
[編集]題 | 発表年 | レーベル | Contributing artists |
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Ansambl Teodosievski ; Boris Angelkovski | |||
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Ansambl Teodosievski |
脚注
[編集]- ^ Sasa Petejan. “Esma Redzepova Teodosievska - second time Nobel Peace Prize nominee”. 2006年8月2日閲覧。
- ^ “Esma.com Repertoire”. 2006年8月2日閲覧。
- ^ Snezana Lupevska. “A role model for all: Esma Redzepova”. Media Diversity Institute. 2006年8月3日閲覧。
- ^ Garth Cartwright (2005年). “Extract from "Princes Amongst Men: Journeys with Gypsy Musicians"” (Book). Serpent's Tail. 2006年8月2日閲覧。
- ^ “Esma's Personal Website - Concerts”. 2006年8月2日閲覧。
- ^ “Esma wins lawsuit against Sacha Kohen”. makfax.com.mk (2009年7月29日). 2009年7月30日閲覧。
- ^ “FYR Macedonia: Vlatko and Esma to Malmö”. escxtra.com. 28 December 2012閲覧。
- ^ Večer Online
外部リンク
[編集]- 公式サイト
- ウィキメディア・コモンズには、エスマ・レジェポヴァに関するカテゴリがあります。