エッマ・アンドリエーヴシカ
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エッマ・アンドリエーヴシカ(ウクライナ語:Емма Андієвська;1931年3月19日 - )はウクライナのドネツィク市出身の詩人、作家、シュルレアリスムの画家である。1949年以後、ミュンヘン在住。ウクライナ国立作家連盟、ウクライナペン・クラブ、ミュンヘン自由アカデミとドイツ画家連盟の一員。
概要
[編集]ウクライナのドネツィクに生まれた。父は化学者で、母は作物学者だった。エッマは幼いころより病弱であったため、学校に通うことができなかった。子供の治療のために、エッマの家族はヴィーシュホロド(1937年)、それからキエフ(1939年)に移住した。1941年に独ソ戦が勃発し、エッマの父はドイツ軍に登用されないように、キエフから撤退していくソ連軍に射殺された。キエフに残されたエッマとエッマの母は1943年にドイツに移住し、ドイツの町々を周って1949年についにミュンヘンにたどり着いた。
1957年にエッマはミュンヘンにあるウクライナ自由大学を卒業し、ニューヨークに移り住んだ。そこでエッマは、1959年にウクライナ出身の文学評論家、イヴァン・コシュルィーヴェツィと結婚し、1962年にエッマはアメリカの国籍を獲得した。1955年から1995年にかけてエッマはミュンヘンにおけるラジオ『自由』のウクライナ部のアナウンサー、シナリオ作者と部長を務めた。
現在はミュンヘンに在住している。
著作
[編集]小説
[編集]年 | 題名 | ウクライナ語の題名 |
---|---|---|
1971年 | ヘロストラトスたち | Герострати |
1973年 | 善人についての諸説 | Роман про добру людину |
1982年 | 人の運命についての小説 | Роман про людське призначення |
短散文
[編集]年 | 題名 | ウクライナ語の題名 |
---|---|---|
1955年 | 旅 | Подорож |
1962年 | 虎たち | Тигри |
1962年 | ジャラピタ | Джалапіта |
2000年 | 童話 | Казки |
2000年 | 頭の問題 | Проблема голови |
詩集
[編集]年 | 題名 | ウクライナ語の題名 |
---|---|---|
1951年 | 詩 | Поезія |
1958年 | アイドルの誕生 | Народження ідола |
1961年 | 魚と大きさ | Риба і розмір |