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エティエンヌ1世 (サンセール伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エティエンヌ1世
Étienne Ier
サンセール伯
サンセール伯家の紋章
在位 1151年 - 1190年

出生 1133年
死去 1190年10月21日
エルサレム王国アッコ
配偶者 アデレー・ド・ドンジー
  ベアトリス
  アエノール
子女 ギヨーム1世
家名 ブロワ家
父親 ブロワ伯ティボー4世
母親 マティルデ・フォン・ケルンテン
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エティエンヌ1世フランス語:Étienne Ier, 1133年 - 1190年10月21日)は、サンセール伯(在位:1151年 - 1190年)。父の死によりサンセールを継承した。兄アンリ1世シャンパーニュを、ティボー5世ブロワを継承した。エティエンヌの領地は兄弟の中で一番小さかった(ただし弟ギヨームは領地は与えられず、聖職者となった)。

生涯

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エティエンヌは1133年にブロワ伯ティボー4世マティルデ・フォン・ケルンテンの三男として生まれた[1]

エルサレムへの旅

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1169年、エルサレム王アモーリー1世の娘シビーユの結婚相手を探すため、ティルス大司教フレデリック・ド・ラ・ロシュ英語版に率いられた代表団がフランスに到着した[2]。エティエンヌはこの申し出を受け、1170年にブルゴーニュ公ユーグ3世とともに東方に向かった[3][4]。エティエンヌは1166年のフランス王ルイ7世の税で徴収された税金を携えていたが、この税は4,5年間にわたり課税されていたものであった[4]

エティエンヌはいずれ妻となるシビーユの権利によりエルサレム王となることが予想されていた(アモーリー1世の唯一の息子ボードゥアン4世ハンセン病の疑いがあった)。このため、エルサレム高等法院は息子のいないアンリ・ド・ミリーフランス語版の領地を3人の娘で分割する件について決定をエティエンヌに依頼した。エティエンヌは3人で等しく分割したが、2人の妹が長姉に臣従の礼を取ることを命じた。聖地で数ヶ月過ごした後、エティエンヌはシビーユとの結婚を拒否し、フランスに戻った。

フランスへの帰還

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エティエンヌは領地の丘に6つの塔を持つ城を建設し、サンセールの町の要塞化をすすめた。1153年、エティエンヌはジョフロワ3世・ド・ドンジーの娘アデレー(1160/9年没)と結婚した[5]。1155年までに、エティエンヌはロリスの関税を町の商人とおそらく他の7人に与えた。エティエンヌは1181年から1185年まで起こったフランス王フィリップ2世に対する貴族の反乱において、事実上の指導者であった。1184年、エティエンヌとブラバンソンの傭兵団はフィリップ2世、および領地争いを抑えるために1182年にル・ピュイで結成された戦士集団コンフレール・ド・ラ・ペに敗北した。エティエンヌは1190年までに自領内で農奴制を廃止した。

十字軍

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アッコ包囲戦

エティエンヌと兄ティボー5世は1190年に第3回十字軍に参加したが[6]、エティエンヌは1190年10月21日にアッコ包囲戦で戦死し[7]、兄ティボー5世も1191年1月に死去した[8]

子女

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2番目の妃ベアトリスとの間に2男をもうけた。

  • ギヨーム1世(1176年 - 1217年) - サンセール伯[9]
  • ジャン(1178年 - 1200年頃)

3番目の妃アエノールとの間に1男をもうけた。

  • エティエンヌ2世(1180/90年 - 1252年) - 1248年よりフランス大執事

脚注

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  1. ^ Cline 2007, p. 501.
  2. ^ Edbury & Rowe 1988, p. 16.
  3. ^ Hamilton 2000, p. 30.
  4. ^ a b Kedar 1974, p. 343.
  5. ^ Evergates 2016, p. 42.
  6. ^ Bennett 2021, p. 57.
  7. ^ Bennett 2021, p. 243.
  8. ^ Baldwin 1991, p. 80.
  9. ^ Richard 1992, p. xxvi.

参考文献

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  • Baldwin, John W. (1991). The Government of Philip Augustus: Foundations of French Royal Power in the Middle Ages. University of California Press. ISBN 0520073916. https://books.google.com/books?id=3IojohYAe4EC 
  • Bennett, Stephen (2021). Elite Participation in the Third Crusade. The Boydell Press 
  • Cline, Ruth Harwood (2007). “Abbot Hugh: An Overlooked Brother of Henry I, Count of Champagne”. The Catholic Historical Review (Catholic University of America Press) 93, No. 3 (July): 501-516. 
  • Edbury, Peter W.; Rowe, John Gordon (1988). William of Tyre: Historian of the Latin East. Cambridge University Press 
  • Evergates, Theodore (2016). Henry the Liberal: Count of Champagne, 1127-1181. University of Pennsylvania Press 
  • Hamilton, Bernard (2000). The Leper King and his Heirs: Baldwin IV and the Crusader Kingdom of Jerusalem. Cambridge University Press 
  • Kedar, Benjamin Z. (1974). The General Tax of 1183 in the Crusading Kingdom of Jerusalem: Innovation or Adaptation?. 89, no. 351. Oxford University Press. 339–345 
  • Richard, Jean (1992). Lloyd, Simon. ed. Saint Louis, Crusader King of France. Cambridge University Press. https://archive.org/details/saintlouiscrusad0000rich