コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

エドゥアルト・ツェラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Eduard Zeller

エドゥアルト・ゴットロープ・ツェラー(Eduard Gottlob Zeller, 1814年1月22日 - 1908年3月19日)は、ドイツ哲学者哲学史家・神学者[1]ギリシア哲学史研究の草分けの一人。

人物

[編集]

1814年ヴュルテンベルクシュタインハイム・アン・デア・ムルに生まれる[2]テュービンゲン大学に学び[3]1836年プラトン法律』についての論文で博士号取得。1840年からテュービンゲン大学の私講師を務め[2]1847年からベルン大学1849年からマールブルク大学1862年からハイデルベルク大学1872年から1895年ベルリン大学で教授を務める[3]1908年シュトゥットガルトにて没する[2]

神学者のフェルディナント・バウアはテュービンゲン大学での師にして妻の父[2]、哲学史家のクーノ・フィッシャーはハイデルベルク大学の後任にあたる[4]。ベルリン大学での受講生に社会学者のゲオルク・ジンメルがいる[5]

業績

[編集]

哲学者としては、ヘーゲル学派第二世代およびヘーゲル中央派、のち新カント派に属する。神学者としてはテュービンゲン学派ドイツ語版に属する[6]

哲学史家としては、ソクラテス以前の哲学者[7]ヘレニズム哲学ローマ哲学新プラトン主義などの叙述を開拓したことで知られる[8]

日本との関わり

[編集]

同時代人のフィッシャーシュヴェーグラーと同様、ツェラーの哲学史は日本の学界にも影響を与えた。とくに、ドイツに留学した井上哲次郎[9]桑木厳翼[10]はツェラーに直接師事した。その他、大西祝[11]蟹江義丸[4]大島正徳[12]川田熊太郎[13]らに受容された。

著作

[編集]

日本語訳

[編集]
  • Grundriss der Geschichte der griechischen Philosophie, 1883 (12th ed. 1920)

脚注

[編集]
  1. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『ツェラー』 - コトバンク
  2. ^ a b c d Zeller, Eduard” (ドイツ語). hls-dhs-dss.ch. スイス歴史事典. 2022年9月3日閲覧。
  3. ^ a b 岩波書店辞典編集部 編『岩波 世界人名大辞典』岩波書店、2013年。ISBN 978-4000803151 1724頁。
  4. ^ a b 中島隆博「桑木厳翼と中国哲学」、廖欽彬;伊東貴之;河合一樹;山村奨 編著『東アジアにおける哲学の生成と発展 間文化の視点から』法政大学出版局、2022年 ISBN 978-4-588-15123-1 635頁。
  5. ^ 北川東子『ジンメル 生の形式』講談社〈現代思想の冒険者たち〉、1997年、268頁。
  6. ^ テュービンゲン学派』 - コトバンク
  7. ^ 内山勝利《ソクラテス以前》ということ:初期ギリシア哲学の思考様式」2012年、1頁
  8. ^ 大谷長「訳者序言」『ギリシャ哲学史綱要』NDLJP:2974314/6
  9. ^ ふるさと人物誌36 近代日本哲学の父 「井上 哲次郎(巽軒)」(いのうえ てつじろう(そんけん)) | 朝倉市”. www.city.asakura.lg.jp. 2022年9月3日閲覧。
  10. ^ 林正子「桑木嚴翼の<文化主義> : 提唱の必然性と歴史的展開」『岐阜大学国語国文学』第27巻、岐阜大学教育学部国語教育講座、2000年5月、48頁、CRID 1050001337862061440hdl:20.500.12099/3714ISSN 02863456 
  11. ^ 藤井義夫「我国に於けるギリシャ哲学研究の発展」『一橋論叢』第32巻第1号、日本評論新社、1954年7月、7頁、CRID 1390853649794730624doi:10.15057/4251hdl:10086/4251ISSN 0018-2818 
  12. ^ 大島正徳「批評紹介 エドアルド、ツェラーに就て」NDLJP:3558119
  13. ^ 川田熊太郎『哲学概論』NDLJP:2967255