エドワード・ジョセフ・ブロックホイス
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エドワード・ジョセフ・ブロックホイス(Edward Joseph Blockhuys、1860年/1862年12月6日 - 1931年2月24日)は、明治時代にお雇い外国人として来日したベルギーの教育者である。
経歴・人物
[編集]ブリュッセル首都圏のスカールベークの生まれ。幼少の頃にアントワープに移住し、同地の商業高校を卒業する。後にアテネ・ローヤル大学に入学し、卒業後に優秀な成績を収めたとして同大学修士を取得した。後にオーストラリアのシドニーに転勤する。
1892年(明治25年)11月、日本政府の招聘により来日した。高等商業学校(現在の一橋大学)で会計学の教鞭を執った。1898年(明治31年)には明治天皇から勲五等旭日章を授与され、勲四等瑞宝章も授与される等、日本とベルギーの関係の向上に貢献した。1902年(明治35年)、学制改革によりこの商業学校は東京高等商業高校と改名される。
1913年(大正2年)から1930年(昭和5年)までは東京帝国大学(現在の東京大学)で教鞭を執り、後に同大学の名誉教授となった。この業績により晩年の1928年(昭和3年)には昭和天皇より勲二等瑞宝章が授与され、多くの勲等を授与された数少ない外国人教師であった。1931年(昭和6年)日本で死去し、多磨霊園に葬られた。