エフゲニー・イワノフスキー
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エフゲニー・イワノフスキー Евгений Ивановский | |
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生誕 |
1918年3月7日 ロシア社会主義連邦ソビエト共和国(ドイツ軍占領下) モギリョフ県チェレヤ |
死没 |
1991年9月22日 (73歳没) ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 モスクワ |
所属組織 | ソ連地上軍 |
軍歴 | 1936年 - 1991年 |
最終階級 | 上級大将 |
墓所 | モスクワ ノヴォデヴィチー墓地 |
エフゲニー・フィリポヴィチ・イワノフスキー(ロシア語: Евгений Филиппович Ивановский, ベラルーシ語: Яўген Піліпавіч Іваноўскі, ラテン文字表記の例:Yevgeni Filippovich Ivanovski;1918年3月7日 - 1991年11月23日)は、ソ連の軍人。上級大将。
経歴
[編集]モギリョフ県(現在のベラルーシ・ヴィツェプスク州)チェレヤ村出身。1936年から赤軍に入り、1938年、サラトフ装甲戦車学校を卒業。1939年、ポーランド侵攻、冬戦争に従軍。
独ソ戦時、装甲戦車兵軍事アカデミーの促成課程を修了し、1941年10月から戦車中隊長、大隊長、戦車旅団参謀次長、戦車軍団参謀部の情報課長、作戦課長、自走砲連隊長を歴任。モスクワの戦い、スターリングラード攻防戦、クルスクの戦い、ドニエプルの戦い、ウクライナ、ポーランドの解放、東プロシア作戦、オーデル渡河作戦に参加。
戦後は、軍参謀部課長(1946年)、自走砲担当白ロシア軍管区装甲戦車・機械化兵副司令官(1953年)、戦車師団参謀長、師団長(1953年)を経て、1958年に参謀本部アカデミーを卒業した後、極東軍管区参謀第一次長(1958年)、軍司令官(1961年)、モスクワ軍管区第一副司令官(1965年)、モスクワ軍管区司令官(1968年)を歴任。1972年7月から駐独ソビエト軍集団総司令官。
1971年4月からソ連共産党中央委員会委員。第8期、第9期ソ連最高会議代議員。
晩年はモスクワで過ごした。死後は市内のノヴォデヴィチー墓地に葬られた。
回顧録を1作残している[1]。
受勲
[編集]- ソ連邦英雄 2度(1981年、1985年)
- レーニン勲章 3度
- 赤旗勲章 4度[2][3][4]
- クトゥーゾフ勲章一等(1982年)
- スヴォーロフ勲章三等
- 祖国戦争勲章
- 一等 2度
- 二等[5]
- 赤星勲章 2度
- ソ連軍勤務時祖国奉仕記章三等
- レニングラード防衛記章
- スターリングラード防衛記章
脚注
[編集]- ^ Ивановский Евгений Филиппович, Атаку начинали танкисты, Воениздат, 1984
- ^ Архивный реквизит на сайте «Подвиг народа» № 35516069.
- ^ Архивный реквизит на сайте «Подвиг народа» № 31595575.
- ^ Архивный реквизит на сайте «Подвиг народа» № 11648828.
- ^ Архивный реквизит на сайте «Подвиг народа» № 19834876.