エマヌエーレ・セッラ
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基本情報 | ||||
本名 |
Emanuele Sella エマヌエーレ・セッラ | |||
生年月日 | 1981年1月9日(43歳) | |||
国籍 | イタリア | |||
身長 | 165cm | |||
体重 | 54kg | |||
選手情報 | ||||
所属 | アンドローニ・ジョカットーリ | |||
分野 | ロードレース | |||
役割 | 選手 | |||
特徴 | クライマー | |||
プロ経歴 | ||||
2004–2008 2009–2010 2011– |
CSF カルミオーロ・Aスタイル アンドローニ・ジョカットーリ | |||
主要レース勝利 | ||||
ジロ・デ・イタリア | ||||
最終更新日 2011年1月10日 |
エマヌエーレ・セッラ(Emanuele Sella、1981年1月9日- )は、イタリア・ヴィチェンツァ出身の自転車競技(ロードレース)選手。
経歴
[編集]2004年、CSFグループ・ナヴィガーレと契約を結んでプロ転向
- ジロ・デ・イタリアに初出場し、第11ステージを制覇(総合12位)。
- ジロ・デ・イタリア 総合10位
- ジロ・デ・イタリアは総合11位。
- ジロ・デ・イタリアでは、標高差が実に1600mを越える区間が設けられた第14ステージにおいて、50km近い単独アタックを成功させて快勝。さらに5つの標高2000m級の峠を通過するという過酷な区間となった第15ステージにおいても、終盤で集団から抜け出して連勝を果たした。さらに第20ステージにおいても、残りあと30km付近の地点から単独で抜け出し優勝。山岳賞部門ではただ一人100ポイント越えを記録して136ポイントを獲得。同部門2位のヴァシリ・キリエンカに73ポイントの差をつけて山岳賞部門1位となり、ポイント賞部門ではダニエーレ・ベンナーティに次いで2位に入り、総合でも6位に食い込んだ。
- しかしその後、ガゼッタ・デロ・スポルトが2008年8月5日に報道[1]したところによると、同年7月23日に国際自転車競技連合(UCI)が競技外ドーピング検査を実施したところ、セッラにCERA(持続性エリスロポエチン受容体活性化剤=Continuous Erythropoietin Receptor Activator)陽性が発覚。この報道を受け、CSFグループ・ナヴィガーレは即座にセッラに対し、出場禁止処分を言い渡した。その後、1年間の出場停止処分となり、CSFとの契約が打ち切られた。
- 8月に、イタリア籍のカルミオーロ・Aスタイルと契約を結び、レース復帰を果たした。
- 11月12日、上述のCERA陽性問題について、スポーツ仲裁裁判所(CAS)において、当時CSFのチームメイトであった、マッテオ・プリアーモから譲り受けたことを証言。これを受け、プリアーモは2013年2月まで出場停止処分を受けることになった。
2011年、アンドローニ・ジョカットーリに移籍。
- ツール・ド・ランカウイ 総合3位
- セッティマーナ・インテルナツィオナーレ・ディ・コッピ・エ・バルタリ 総合優勝
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 公式サイト(イタリア語)
- エマヌエーレ・セッラ - サイクリングアーカイヴス