エマヌエーレ・フィリッピーニ
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Emanuele Filippini | ||||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1973年7月3日(51歳) | |||||
出身地 | ブレシア | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1992–2003 | ブレシア | 200 | (5) | |||
1992–1995 | → オスピタレット (ローン) | 87 | (5) | |||
2002–2003 | → パルマ (ローン) | 42 | (3) | |||
2004–2005 | パレルモ | 20 | (4) | |||
2004–2005 | → ラツィオ (ローン) | 27 | (0) | |||
2005–2007 | トレヴィーゾ | 30 | (2) | |||
2006–2007 | → ボローニャ (ローン) | 37 | (2) | |||
2007–2009 | リヴォルノ | 30 | (1) | |||
通算 | 473 | (22) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
エマヌエーレ・フィリッピーニ(Emanuele Filippini, 1973年7月3日 - )は、イタリア・ブレシア出身の元サッカー選手。ポジションは守備的MF。アントニオ・フィリッピーニは双子の兄で、キャリアを通じほぼ同じチームでプレーした[1]。
略歴
[編集]ブレシアのユースを経て、トップチームの試合でベンチに座るが、出場機会が無いまま、兄のアントニオと共に1995年までの3シーズン、オスピタレットに貸し出された[2]。
1995-96シーズン、兄と共にようやくブレシアへ複帰[2]。ブレシアでは兄弟揃ってブレシアファンの人気を集めた[2]。1997-98シーズンにチームはセリエAに昇格、開幕節のインテル戦に先発し、兄弟揃ってセリエAの舞台を踏んだ。
2002-03シーズンにローンでパルマへと移籍することになり、初めて兄と別のチームでプレーすることとなった[2]。パルマ対ブレシア戦で初の兄弟対決が実現、試合はパルマが4-3で勝利した[2]。このシーズンはレギュラーとしてプレー、2003-04シーズンも多く起用されていたものの、冬の移籍市場で兄がプレーするパレルモへと移籍した[3]。
その後もラツィオ 、トレヴィーゾ、リヴォルノでそれぞれ兄と共にプレーしていたが、2009年に怪我を抱えていたことから引退した[2]。兄アントニオはエマヌエーレの2シーズン後に現役を退いた[2]。
エピソード
[編集]ロナウド、マヌエル・ルイ・コスタの二人は、運動量が多いフィリッピーニ兄弟は2人ではなく、何人も居るかのように感じられ、対戦するのが嫌だったと話していた[2]。特にロナウドは「悪夢」の様だったと話した[2]。
脚注
[編集]- ^ “これは珍しい…イタリアで「双子監督対決」が実現!”. QOLY (2018年3月25日). 2023年7月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “I gemelli Filippini uno contro l'altro: la prima volta che sono stati avversari”. GOAL (2023年7月3日). 2023年7月25日閲覧。
- ^ “Emanuele Filippini 2003-04”. Transfermarkt. 2023年7月25日閲覧。