エミール・フォン・フーフ
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エミール・フォン・フーフ(Emil von Hoegh 、1865年 - 1915年)は、ドイツ生まれのレンズ設計者。文献によっては「ヘヨーグ」と表記するものがある。
古いデンマーク貴族の子孫で、シレジア地方に生まれ、ベルリンのカール・バンベルヒ(Carl Bamberg )とホッケンハイムのハートマン・ウント・ブラウン(Hartmann & Braun GmbH & Co. KG )で働いた。1891年フリーデナウのパウル・ヴェヒターに入社。
アナスチグマートを満たす対称型6枚構成の新型写真レンズを独学にて設計し、カール・ツァイスに売り込んだが採用されず、1892年ゲルツに就職した。このレンズは特許を取得し、ドッペルアナスチグマート・ゲルツ(Doppel-Anastigmat Görz )として販売され市場から高い評価を得た。1904年に頭文字を取ってダゴールと改称された。
また4枚構成のレンズを設計し、ドッペルアナスチグマート・ゲルツIbとして発売し、これは後にセロールと改称された。
1902年健康上の理由で退職し、ロストック、ゴスラーに居住した。
参考文献
[編集]- ルドルフ・キングスレーク著『写真レンズの歴史』朝日ソノラマ ISBN 4-257-12021-5, P.220.
- 『クラシックカメラ専科No.23、名レンズを探せ!トプコン35mmレンズシャッター一眼レフの系譜』朝日ソノラマ