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エリザベス・バックマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エリザベス・バックマン
Elisabeth Bachman
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1978-11-07) 1978年11月7日(46歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 ミネソタ州ミネアポリス
ラテン文字 Elisabeth Bachman
身長 193cm[1]
体重 86kg[1]
選手情報
ポジション MB
利き手
スパイク 311cm[1]
ブロック 300cm[1]
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
世界選手権
2002年 女子バレーボール
ワールドカップ
2003年 女子バレーボール
グランドチャンピオンズカップ
2005年 女子バレーボール
NORCECA選手権
2001年 女子バレーボール
2003年 女子バレーボール
2005年 女子バレーボール
ワールドグランプリ
2001年 女子バレーボール
2004年 女子バレーボール
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エリザベス・バックマン(Elisabeth "Wiz" Bachman、現姓: バックマン=マッカーチョン[2]1978年11月7日 - )は、アメリカ合衆国の元女子バレーボール選手。元アメリカ合衆国代表

来歴

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ミネソタ州ミネアポリス出身。レイクビル高校から、UCLAに進む[3]

1996年にブルーインズでバレーボールキャリアをスタートしたが、際だった実績はあげていない。しかし2000年5月にオハイオ州コロンバスで開催されたU.S.オープン・トーナメントに、ウェストウッド・バレーボールクラブのメンバーとして出場し[3]、優秀選手(All-Tournament)に選出された[4]。翌2001年3月にナショナルチームに初招集された。同年の合衆国代表は、モントルーバレーマスターズワールドグランプリNORCECA選手権を破竹の勢いで連破していった。

バックマンは、2002年にミネソタ・チリに入団してプロバレーボーラーとなり、同年のUS選手権で優勝を飾った。同年、ドイツで開催された世界選手権では準優勝に輝いた。以後の2年間は、集中してナショナルチームに身を捧げ、輝かしい戦績を残した。すなわち2003年のパンアメリカンカップ優勝およびベストブロッカー選出、パンアメリカン競技大会 での銅メダル獲得、NORCECA選手権優勝、2003年のワールドカップ銅メダル獲得などである。

2004-05シーズンに、バックマンは初めて国外でプレーすることを選択し、イタリアセリエA2のアルツァーノに入団し、同チームをセリエA1昇格に導いた。2005年秋のグランドチャンピオンズカップ(銀メダル)を最後にナショナルチームから退いた。

2007年1月、Vプレミアリーグパイオニアに加入予定であったバウティスタ・ユデルキスが骨折により出場不可能となったことに伴い[5]吉田敏明(前アメリカ合衆国女子代表監督)はバックマンを招き[6]2006-07シーズンの13試合でプレーした[7]

私生活

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バックマンは、ヒュー・マッカーチョン(元アメリカ合衆国男女監督、現ミネソタ大学女子チーム監督)と結婚している。

バックマンの両親は、2008年8月にオリンピック観戦と観光で訪れていた北京で、暴漢に襲われた。実父は死亡し、実母も瀕死の重傷を負った[8]。詳細は2008年北京鼓楼刺傷事件を参照のこと。

所属クラブ

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  • アメリカ合衆国の旗 UCLAブルーインズ(1996-1999年)
  • アメリカ合衆国の旗 ウェストウッド・バレーボールクラブ(2000年)
  • アメリカ合衆国の旗 ミネソタ・チリ(2002年)
  • イタリアの旗 アルツァーノ(2004-2005年)
  • 日本の旗 パイオニア (2007年)

球歴

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受賞歴

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脚注

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  1. ^ a b c d FIVB ワールド・グランド・チャンピオンズカップ2005 - 公式プロフィール
  2. ^ Twin cities.com. “U.S. women's volleyball team keeps Elisabeth Bachman McCutcheon in mind”. 2014年2月27日閲覧。
  3. ^ a b UCLA Bruins. “UCLA Bruins - Player bio”. 2014年2月27日閲覧。
  4. ^ Ohio Valley Region. “2000 U.S.A. Open Volleyball Championship”. October 12, 2010閲覧。
  5. ^ 月刊バレーボール 2007年2月号 16ページ
  6. ^ 月刊バレーボール 2007年3月号 98ページ
  7. ^ Vリーグ機構. “選手別記録”. 2014年2月26日閲覧。
  8. ^ Magnier, Mark; Evan Osnos. “Killing brings grief but not fear”. Los Angeles Times. 2008年8月10日閲覧。

外部リンク

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