エリザベス・バックマン
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基本情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1978年11月7日(46歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ミネソタ州ミネアポリス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラテン文字 | Elisabeth Bachman | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 193cm[1] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 86kg[1] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MB | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
利き手 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
スパイク | 311cm[1] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ブロック | 300cm[1] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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エリザベス・バックマン(Elisabeth "Wiz" Bachman、現姓: バックマン=マッカーチョン[2]、1978年11月7日 - )は、アメリカ合衆国の元女子バレーボール選手。元アメリカ合衆国代表。
来歴
[編集]ミネソタ州ミネアポリス出身。レイクビル高校から、UCLAに進む[3]。
1996年にブルーインズでバレーボールキャリアをスタートしたが、際だった実績はあげていない。しかし2000年5月にオハイオ州コロンバスで開催されたU.S.オープン・トーナメントに、ウェストウッド・バレーボールクラブのメンバーとして出場し[3]、優秀選手(All-Tournament)に選出された[4]。翌2001年3月にナショナルチームに初招集された。同年の合衆国代表は、モントルーバレーマスターズ、ワールドグランプリ、NORCECA選手権を破竹の勢いで連破していった。
バックマンは、2002年にミネソタ・チリに入団してプロバレーボーラーとなり、同年のUS選手権で優勝を飾った。同年、ドイツで開催された世界選手権では準優勝に輝いた。以後の2年間は、集中してナショナルチームに身を捧げ、輝かしい戦績を残した。すなわち2003年のパンアメリカンカップ優勝およびベストブロッカー選出、パンアメリカン競技大会 での銅メダル獲得、NORCECA選手権優勝、2003年のワールドカップ銅メダル獲得などである。
2004-05シーズンに、バックマンは初めて国外でプレーすることを選択し、イタリアセリエA2のアルツァーノに入団し、同チームをセリエA1昇格に導いた。2005年秋のグランドチャンピオンズカップ(銀メダル)を最後にナショナルチームから退いた。
2007年1月、Vプレミアリーグのパイオニアに加入予定であったバウティスタ・ユデルキスが骨折により出場不可能となったことに伴い[5]、吉田敏明(前アメリカ合衆国女子代表監督)はバックマンを招き[6]、2006-07シーズンの13試合でプレーした[7]。
私生活
[編集]バックマンは、ヒュー・マッカーチョン(元アメリカ合衆国男女監督、現ミネソタ大学女子チーム監督)と結婚している。
バックマンの両親は、2008年8月にオリンピック観戦と観光で訪れていた北京で、暴漢に襲われた。実父は死亡し、実母も瀕死の重傷を負った[8]。詳細は2008年北京鼓楼刺傷事件を参照のこと。
所属クラブ
[編集]- UCLAブルーインズ(1996-1999年)
- ウェストウッド・バレーボールクラブ(2000年)
- ミネソタ・チリ(2002年)
- アルツァーノ(2004-2005年)
- パイオニア (2007年)
球歴
[編集]- 代表歴 - 2001-2005年
- 世界三大大会出場歴
- その他国際大会出場歴
- ワールドグランプリ - 2001年(金メダル)、2004年(銅メダル)
- NORCECA選手権 - 2001年(金メダル)、2003年(金メダル)、2005年(金メダル)
- モントルーバレーマスターズ - 2001年、2003年
- パンアメリカンカップ - 2003年(金メダル)、2004年(銀メダル)
受賞歴
[編集]- 2003年 パンアメリカンカップ - ベストブロッカー
- 2004年 パンアメリカンカップ - ベストブロッカー
脚注
[編集]- ^ a b c d FIVB ワールド・グランド・チャンピオンズカップ2005 - 公式プロフィール
- ^ Twin cities.com. “U.S. women's volleyball team keeps Elisabeth Bachman McCutcheon in mind”. 2014年2月27日閲覧。
- ^ a b UCLA Bruins. “UCLA Bruins - Player bio”. 2014年2月27日閲覧。
- ^ Ohio Valley Region. “2000 U.S.A. Open Volleyball Championship”. October 12, 2010閲覧。
- ^ 月刊バレーボール 2007年2月号 16ページ
- ^ 月刊バレーボール 2007年3月号 98ページ
- ^ Vリーグ機構. “選手別記録”. 2014年2月26日閲覧。
- ^ Magnier, Mark; Evan Osnos. “Killing brings grief but not fear”. Los Angeles Times. 2008年8月10日閲覧。
外部リンク
[編集]- エリザベス・バックマン - Olympedia
- エリザベス・バックマン - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- エリザベス・バックマン - セリエA