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タラ・クロス=バトル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タラ・クロス=バトル
Tara Cross-Battle
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1968-09-16) 1968年9月16日(56歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 ヒューストン
ラテン文字 Tara Cross-Battle
身長 183cm
体重 76kg
選手情報
ポジション WS
利き手
スパイク 302cm
ブロック 301cm
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
1992 バルセロナ
世界選手権
1990 北京
2002 ベルリン
ワールドカップ
2003 大阪
ワールドグランプリ
1995 上海
2001 澳門
2003 アンドリア
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タラ・クロス=バトル(Tara Cross-Battle、女性、1968年9月16日 - )は、アメリカ合衆国の元バレーボール選手。元アメリカ代表

来歴

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テキサス州ヒューストン出身。タラの目覚ましいバレーボール選手キャリアはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校に入学した1986年に始まる。最高学年となった1989年には、NCAA女子バレーボール選手権で優勝を果たし[1]、活躍の証としてタラの背番号14は永久欠番となった。同学の永久欠番としてはダニエル・スコット(2番)やミスティ・メイ(5番)らがいる[2]

卒業後の1990年にアメリカ合衆国代表入りし、同年8月に北京で開催された世界選手権に出場し銅メダルに輝いた。2年後の1992年には、バルセロナオリンピックでも銅メダルに輝いた[3]

1992年から1995年までの3シーズン、タラはイタリアセリエAのアンコーナ(イタリア語版)でプレーした。この間、合衆国代表として、1995年のワールドグランプで優勝に大きく貢献し、自らもMVP・ベストスコアラーに輝いた。

1996年にはブラジルに渡った。3シーズンLeites Nestle(英語版)でプレーし、'96/97シーズンはブラジルスーパーリーガで優勝を果たす。その後移籍したParanaでも優勝を果たした。

2001/02シーズンはイタリアに戻り、バレー・ベルガモでプレーした。同シーズン、ベルガモはリーグ初優勝を果たした。2002年の世界選手権では合衆国代表は決勝まで駒を進めたが、皮肉なことにイタリアに敗れ準優勝に終わった。

タラは永年の蓄積疲労から右膝を痛めていたが、2004年のアテネオリンピックでは主将としてチームを率いた。オリンピック終了後に現役引退を表明した。

2014年7月、バレーボール殿堂入りの栄に浴した[4][5]

現在は、地元ヒューストンでジュニアクラブチーム(Houston Juniors Volleyball Club)の監督を務めている[6]

球歴

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受賞歴

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所属クラブ

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脚注

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  1. ^ announcement of Cross-Battle being made a coach for Texas Pride
  2. ^ Numeri di maglia ritirati dalla Long Beach”. 2010年4月7日閲覧。
  3. ^ databaseOlympics.com. “Tara Cross-Battle”. 2014年7月15日閲覧。
  4. ^ VOLLEYBALL HALL OF FAME. “Read the full Class of 2014 Press Release Here”. 2013年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月13日閲覧。
  5. ^ Team USA. “Cross-Battle Selected for Volleyball Hall of Fame”. 2014年7月14日閲覧。
  6. ^ Houston Juniors Volleyball Club. “2014/2015 HOUSTON JUNIORS VOLLEYBALL COACHES”. 2014年7月14日閲覧。
  7. ^ 『月刊バレーボール』1995年11月号 88-90ページ

外部リンク

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