エリーザベト・フォン・デア・プファルツ (1381-1408)
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エリーザベト・フォン・デア・プファルツ Elisabeth von der Pfalz | |
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出生 |
1381年10月27日以前 神聖ローマ帝国 プファルツ選帝侯領、アンベルク |
死去 |
1408年12月31日(27歳没) 神聖ローマ帝国 チロル伯領、インスブルック |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 チロル伯領、シュタムス修道院 |
配偶者 | オーストリア公フリードリヒ4世 |
子女 | エリーザベト |
家名 | プファルツ家 |
父親 | ローマ王ループレヒト |
母親 | エリーザベト・フォン・ニュルンベルク |
宗教 | キリスト教カトリック |
エリーザベト・フォン・デア・プファルツ(ドイツ語:Elisabeth von der Pfalz, 1381年10月27日以前 - 1408年12月31日)[1]は、オーストリア公フリードリヒ4世の最初の妃。
生涯
[編集]エリーザベトは、ローマ王ループレヒトとエリーザベト・フォン・ニュルンベルク(ニュルンベルク城伯フリードリヒ5世の娘)の間の娘で、6人の兄弟と3人の姉妹がいた。1406年12月24日にインスブルックでオーストリア公フリードリヒ4世と結婚し、これにより父ループレヒトとレオポルト系ハプスブルク家との同盟が成立した。しかし結婚後まもなく、エリーザベトは娘エリーザベトの出産時に27歳で死去し、生まれた娘も生後間もなく死去した。エリーザベトはチロルにあるシュタムス修道院に埋葬された。
ブラントシュテッター(Klaus Brandstätter)は、結婚式は1407年の11月か12月にロッテンブルクで行われたとしている[2]。
脚注
[編集]- ^ Brigitte Hamann (Hrsg.), Die Habsburger, S. 85; abweichend geben Hans und Marga Rall (König Ruprecht von der Pfalz, in: Gerhard Hartmann, Karl Rudolf Schnith (Hrsg.): Die Kaiser, 1996, ISBN 3-222-12421-3, S. 446) では、エリーザベトの生年月日を1409年12月31日としている。
- ^ Klaus Brandstätter: Die Tiroler Landesfürstinnen im 15. Jahrhundert. In: Margarete Maultasch. Zur Lebenswelt einer Landesfürstin und anderer Tiroler Frauen des Mittelalters. Hrsg. v. Julia Hörmann-Thurn und Taxis. (= Schlern-Schriften 339). 2007, S. 177.
参考文献
[編集]- Elisabeth, in: Brigitte Hamann (Hrsg.), Die Habsburger, 1988, S. 85.
- Klaus Brandstätter: Die Tiroler Landesfürstinnen im 15. Jahrhundert. In: Margarete Maultasch. Zur Lebenswelt einer Landesfürstin und anderer Tiroler Frauen des Mittelalters. Hrsg. v. Julia Hörmann-Thurn und Taxis. (= Schlern-Schriften 339). 2007, S. 175–217.
- Ellen Widder: Elisabeth von Bayern († 1408), erste Ehefrau Friedrichs IV. – Leben und Sterben einer Fürstin, in: Herzog Friedrich IV. von Österreich (1403–1439). Akten der internationalen Tagung Landesmuseum Schloss Tirol, 19./20. Oktober 2017. Hrsg. v. Gustav Pfeifer. Bozen/Bolzano 2018, S. 209–239.