コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

エルケンブレヒツヴァイラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
紋章 地図
(郡の位置)
基本情報
連邦州: バーデン=ヴュルテンベルク州
行政管区: シュトゥットガルト行政管区
郡: エスリンゲン郡
市町村連合体: レニンゲン自治体行政連合
緯度経度: 北緯48度33分24秒 東経09度25分56秒 / 北緯48.55667度 東経9.43222度 / 48.55667; 9.43222座標: 北緯48度33分24秒 東経09度25分56秒 / 北緯48.55667度 東経9.43222度 / 48.55667; 9.43222
標高: 海抜 702 m
面積: 6.93 km2
人口:

2,209人(2022年12月31日現在) [1]

人口密度: 319 人/km2
郵便番号: 73268
市外局番: 07026
ナンバープレート: ES, NT
自治体コード:

08 1 16 018

行政庁舎の住所: Uracher Straße 2
73268 Erkenbrechtsweiler
ウェブサイト: www.erkenbrechtsweiler.de
首長: ローマン・ヴァイス (Roman Weiß)
郡内の位置
地図
地図

エルケンブレヒツヴァイラーまたはエアケンブレヒツヴァイラー (ドイツ語: Erkenbrechtsweiler) は、ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州シュトゥットガルト行政管区エスリンゲン郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。この町はシュトゥットガルト地方ドイツ語版英語版(1992年まではミッテレラー・ネッカー地方)およびシュトゥットガルト大都市圏ドイツ語版英語版に属す。エルケンブレヒツヴァイラーは、その全域がシュヴェービシェ・アルプ・バイオスフィアおよびシュヴェービシェ・アルプUNESCOジオパークの一部となっている。

地理

[編集]

位置

[編集]

エルケンブレヒツヴァイラーは、その全域がアルプ高地に位置する郡内唯一の自治体で、海抜約 680 m から 745 m に位置している。

自治体の構成

[編集]

自治体エルケンブレヒツヴァイラーには、エルケンブレヒツヴァイラー地区とブレンホーフ地区が属す。町の北部の「ブルク」耕地には、おそらくフランク時代の住居跡が遺る[2]

隣接する市町村

[編集]

エルケンブレヒツヴァイラーは、西はノイフェン、北西はボイレン、北はアウエン、東はレニンゲン(以上いずれもエスリンゲン郡)、南はグラーベンシュテッテンドイツ語版英語版、南西はヒュルベンドイツ語版英語版(ともにロイトリンゲン郡)と境を接している。

土地利用

[編集]

2020年現在のこの町の用途別土地面積および占有率は以下の通りである[3]

用途 面積 (ha) 占有率 (%)
住宅用地 42 6.1
商工業用地 9 1.2
レジャー用地 7 1.0
交通用地 42 6.1
農業用地 335 48.4
森林 228 32.9
水域 - 0.0
その他 30 4.3
合計 693 100.0

歴史

[編集]

先史時代

[編集]

青銅器時代の墳墓が、青銅器時代にはこの地域に人が住んでいたことを示している。ハルシュタット時代の痕跡も見つかっている。

1683年頃にアンドレアス・キーザーが描いたエルケンブレヒツヴァイラーの絵図

中世

[編集]

エルケンブレヒツヴァイラーは、ベルトルト・フォン・ノイフェンがシュパイヤー司教領主ドイツ語版英語版からレーエンを授けられた1284年Hergenbolswiler あるいは Erggenboltswilaer という表記で初めて文献に記録されている。この村はノイフェン領とともに1301年ヴュルテンベルクに売却された。

近世以後

[編集]

ヴュルテンベルク王国が建国された1806年までエルケンブレヒツヴァイラーはアムト・ノイフェンに属していた。ヴュルテンベルクの新しい行政組織が適用されたことでこの街はオーバーアムト・ニュルティンゲンに編入された。

1910年に電力網が、1919年に水道網が整備された。

ナチ時代のヴュルテンベルクの郡再編によりエルケンブレヒツヴァイラーは、1938年に新設されたニュルティンゲン郡に編入された。第二次世界大戦の終わり、1945年4月に市街地戦が行われ、28人のドイツ国防軍兵士と6人の民間人が死亡した。1945年から1952年まで、アメリカ管理地区ドイツ語版に設けられたヴュルテンベルク=バーデン州ドイツ語版英語版に属した。この州は1952年に新たなバーデン=ヴュルテンベルク州となった。

故郷を逐われた人々難民が移住してきたことにより、1950年代初めに新たな住宅地ハルトビュールが建設された。1973年の郡再編以降エルケンブレヒツヴァイラーはエスリンゲン郡の一部となった。

1987年に町の中心部の再開発が始まった[4]

住民

[編集]

宗教

[編集]

宗教改革以後エルケンブレヒツヴァイラーでは福音主義が主流である。教会組織は、エルケンブレヒツヴァイラーの他に、2004年からはレニンゲンのホーホヴァング地区もこれに含む。この教会の信者数は約1,700人である(2005年現在)。

この他に新使徒教会ドイツ語版英語版も存在する。ローマ=カトリックの信者は、礼拝のためにレニンゲンのホーホヴァング地区まで行く必要がある[5]

人口推移

[編集]

人口調査結果 (*) または州統計局の公式研究結果に基づく人口推移を以下に示す(この町を主たる住所地とする人口)。

時期 人口(人)
1834年12月3日* 538
1871年12月1日* 686
1900年12月1日* 789
1939年5月17日* 957
1950年9月13日* 1.246
1961年6月6日* 1.314
1970年5月27日* 1.446
1987年5月25日* 1.831
時期 人口(人)
1995年12月31日 2.012
2000年12月31日 2.173
2005年12月31日 2.133
2015年12月31日 2.143
2020年12月31日 2.187

行政

[編集]

議会

[編集]

エルケンブレヒツヴァイラーの町議会は10議席からなる。町議会はこれらの選出された名誉職の議員と、議長を務める町長で構成される[6]。町長は町議会において投票権を有している。

紋章

[編集]

図柄: 基部は金地(黄色地)でその中に黒い鹿の角が描かれている。その上の主部は、山頂に(白)の岩を戴くの山。その背後に上る赤い太陽。

この紋章に用いられている鹿の角はヴュルテンベルクへの帰属を意味している。岩を戴く山はアルプトラウフに位置する立地を表している。エルケンブレヒツヴァイラーは、1954年9月20日の州政府の決定によりこの紋章が認可された[7]

経済と社会資本

[編集]

交通

[編集]

エルケンブレヒツヴァイラーは、シュトゥットガルト交通・運賃連盟の適用地区にある。バス路線172番と179番がこの町と最寄りの駅であるオーバーレニンゲン(ヴェンドリンゲン・アム・ネッカー行きのテック鉄道)およびノイフェンニュルティンゲン行きのテーレス鉄道)とを結んでいる。

教育

[編集]

エルケンブレヒツヴァイラーには基礎課程学校があり、ホーホヴァングに分校がある。この他にヘフレに幼稚園が1園ある。

文化と見所

[編集]

自転車道と遊歩道

[編集]

エルケンブレヒツヴァイラーは、ドイツで最も人気がある広域遊歩道の1つで、アルプトラウフ沿いにドナウヴェルトからトゥットリンゲンドイツ語版英語版に至るアルプシュタイク(シュヴェービシェ=アルプ=ノルトラント=ヴェークあるいは HW1とも呼ばれる[8])、およびアーレンからトゥットリンゲンまで6つの区間に分けられたマウンテンバイクグラーベルバイクドイツ語版英語版向けの広域自転車道であるアルプ=クロッシング沿いに位置している。

復元されたオッピドゥムの石壁

文化財

[編集]

紀元前100年頃に造られたケルト人のオッピドゥム(堅固な防衛施設を持つ都市)であるハイデングラーベン。エルムスタールドイツ語版英語版とラウタータールとの間の半島状の平地にある。総面積 16 km2 で、この種のものとして中央ヨーロッパ最大の遺構である。広さ 153 ha のオッピドゥムの中心部分はグラーベンシュテッテン西部のエルザハシュタットで、さらに何重もの防衛施設で護られていた。エルケンブレヒツヴァイラーの北部には復元された門が建っている。このオッピドゥムの南付近は二重の土塁で護られており、このうちグラーベンシュテッテンの南側は良く保存されている。多くの情報プレートがある考古学学習路が訪問者のために施設を結んでいる。

モラッハ

自然文化財

[編集]

アルプ高地の端に位置するビオトープ・モラッハは、中新世後期にだけ活動していた火山(シュヴァーベン火山)の噴火口の上にある。火口の跡に水がたまり、カルスト化したアルプに湿地が形成されている。この他の多くの湿地や池が入植をもたらした。

関連図書

[編集]
  • August Friedrich Pauly, ed (1848). “Erkenbrechtsweiler”. Beschreibung des Oberamts Nürtingen. Die Württembergischen Oberamtsbeschreibungen 1824–1886. Band 25. Stuttgart / Tübingen: Cotta’sche Verlagsbuchhandlung. pp. 149–152 
  • Hans Schwenkel (1953). Heimatbuch des Kreises Nürtingen. Band 2. Würzburg. pp. 207–222 
  • Adolf Schicketanz (1961). Die Chronik von Erkenbrechtsweiler. Erkenbrechtsweiler 
  • Landesarchiv Baden-Württemberg i. V., Landkreis Esslingen, ed (2009). Der Landkreis Esslingen, Band 1. Ostfildern: Jan Thorbecke Verlag. pp. 418–428. ISBN 978-3-7995-0842-1 
  • Gemeinde Erkenbrechtsweiler, ed (2009). Erkenbrechtsweiler: Erkenbodswiler (1359), Erkenboltzwyler (1475) ; Bilder erzählen unsere Geschichte. Horb: Geiger-Verlag. ISBN 978-3-86595-310-0 

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ Statistisches Landesamt Baden-Württemberg – Bevölkerung nach Nationalität und Geschlecht am 31. Dezember 2022 (CSV-Datei)
  2. ^ Das Land Baden-Württemberg. Amtliche Beschreibung nach Kreisen und Gemeinden. Band III: Regierungsbezirk Stuttgart, Regionalverband Mittlerer Neckar. Stuttgart: Kohlhammer. (1978). pp. 203–204. ISBN 978-3-17-004758-7 
  3. ^ Fläche seit 1996 nach tatsächlicher Nutzung”. Baden-Württemberg Statistisches Landesamt. 2022年8月3日閲覧。
  4. ^ Geschichte Erkenbrechtsweiler”. Gemeinde Erkenbrechtsweiler. 2022年8月3日閲覧。
  5. ^ Kirchen”. Gemeinde Erkenbrechtsweiler. 2022年8月3日閲覧。
  6. ^ Gemeinderat der Gemeinde Erkenbrechtsweiler”. Gemeinde Erkenbrechtsweiler. 2022年8月3日閲覧。
  7. ^ Das Wappen von Erkenbrechtsweiler”. Gemeinde Erkenbrechtsweiler. 2022年8月3日閲覧。
  8. ^ Wandern auf dem Albsteig (HW1)”. 2022年7月21日閲覧。

外部リンク

[編集]