エルネスト・サンペール・ピサノ
エルネスト・サンペール・ピサノ | |
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2014年のサンペール | |
第29代コロンビア共和国大統領 | |
任期 1994年8月7日 – 1998年8月7日 | |
副大統領 |
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前任者 | セサル・ガビリア |
後任者 | アンドレス・パストラーナ・アランゴ |
南米諸国連合第4代事務総長 | |
任期 2014年8月1日 – 2017年1月31日 | |
前任者 | アリ・ロドリゲス・アラケ |
後任者 | Vacant |
第17代非同盟運動事務局長 | |
任期 1995年10月18日 – 1998年8月7日 | |
前任者 | スハルト |
後任者 | アンドレス・パストラーナ・アランゴ |
任期 1991年 – 1993年 | |
大統領 | セサル・ガビリア |
前任者 | ウイリアム・ハラミリョ・ゴメス |
後任者 | マリア・エマ・メヒア・ベレス |
初代コロンビア共和国経済開発大臣 | |
任期 1990年8月7日 – 1991年10月28日 | |
大統領 | セサル・ガビリア |
後任者 | ホルヘ・オスピナ・サルディ |
コロンビア共和国上院議員 | |
任期 1986年7月20日 – 1990年7月20日 | |
個人情報 | |
生誕 | 1950年8月3日(74歳) ボゴタ, コロンビア |
政党 | コロンビア自由党 |
配偶者 | |
子供 |
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出身校 | |
専業 | エコノミスト |
エルネスト・サンペール・ピサノ (Ernesto Samper Pizano、1950年8月3日‐)は、コロンビアの政治家。第29代大統領を務めた。
経歴
[編集]1950年8月3日、ボゴタに生まれる。ボゴタの名門校ジムナシオ・モデルノで学び、1972年に経済学の学位を取得した[1]。卒業後、ニューヨークのコロンビア大学で学んだ[2][3]。1974年、法学と経済学の教授になった。
ボゴタ市議会議員を経て、コロンビア上院議員になる[3]。1989年、遊説中に狙撃され、11発の銃弾を浴びるも奇跡的に一命をとりとめた。以後、彼は防弾チョッキを着用し、400人以上の警備要員が同行するようになった[4]。
1990年の大統領選に出馬したが、セサル・ガビリアに敗れる。ガビリア政権下で経済開発大臣や駐スペイン大使を務めた[3]。
1994年の大統領選で保守党のアンドレス・パストラーナ・アランゴを破り当選。8月7日、第29代大統領に就任した[5][6]。
ナルコ・ゲート事件
[編集]大統領選でサンペールはカリ・カルテルから選挙資金として375万ドルを受け取ったとして、保守党のアンドレス・パストラーナ・アランゴに告発された。サンペールは否定したが、その後、テープ録音が公開された[7]。
調査の結果、会計係のサンティアゴ・メディナが、カリ・カルテルのフロント企業から50,000ドルを受け取ったとして逮捕された[8]。メディナの逮捕直後、サンペールはテレビの全国放送演説で、麻薬資金が彼の選挙運動に使われた可能性があることを認めた[9]。メディナは後に有罪判決を受け、懲役刑を宣告された。
1995年8月2日、主任検察官アルフォンソ・バルディビエソがコロンビア最高裁にサンペールの選挙資金調達におけるフェルナンド・ボテロ国防大臣とアルマンド・ベネデッティ通信大臣の役割を調査するよう要請した直後、ボテロは国防相を辞任した[10]。8月15日、ボテロは逮捕された。検察は無実を主張するサンペールを起訴した。その後、サンペールは90日間の非常事態宣言を行った。
1995年9月26日、サンペールはコロンビア下院告発委員会から9時間の事情聴取を受けた。9月27日、サンペールの弁護士のボディガード2人が殺害された。12月14日、議会告発委員会はサンペールに対する調査を退ける決定を下したが、コロンビア司法当局による捜査が続けられた[11]。
1996年3月15日、コロンビア最高裁はスキャンダルに関与した疑いのある3人の閣僚に対する捜査を開始した[12]。
一連の不祥事はウォーターゲート事件になぞらえて「ナルコ(麻薬)・ゲート事件」と呼ばれている。
麻薬戦争
[編集]1995年6月、サンペールはカリ・カルテルの幹部を相次ぎ逮捕し、彼の政権が「過去10年間に数えきれないほどの命を奪った麻薬戦争において勝利した」と述べた[13]。
1996年3月1日、アメリカのビル・クリントン大統領は、コロンビア政府は腐敗しすぎて麻薬カルテルとは戦えないとし、コロンビアに対する10億ドル以上の援助のほとんどを打ち切る決定をした[14]。さらに米国政府はサンペールへのビザの発給を停止した。
これに対し、コロンビアのノエミ・サニン外務大臣は、「コロンビアは米国抜きで麻薬戦争を戦う準備ができており、米国の措置は『無礼』である」と述べた[15]。
サンペールは「麻薬戦争を特別な優先事項にし、その戦争と戦う方法についてコロンビアに説教する立場にある人は誰もいない」と警告した[16]。
脚注
[編集]- ^ Las2orillas (2021年6月1日). “Los lujos de Alejandro Riaño” (スペイン語). Las2orillas. 2021年7月5日閲覧。
- ^ “Explainer: Colombia's 2018 Elections” (英語). AS/COA. 2021年7月5日閲覧。
- ^ a b c "Ernesto Samper Pizano". Encyclopedia Britannica. 2020年6月15日閲覧。
- ^ Guillermoprieto, Alma (16 October 1989). “Letter from Bogotá”. The New Yorker: 120, 125.
- ^ Colombia:1994 Elecciones Presidenciales, Primera Vuelta, Resultados Nacionales
- ^ Wilkinson, Tracy (20 June 1994). “Economist Elected Colombian President: Ruling party candidate Ernesto Samper defeats Andres Pastrana. He promises to do more for the poor.”. Los Angeles Times 28 June 2020閲覧。
- ^ Brooke, James (23 June 1994). “Drug Cartel Tied to Vote In Colombia”. The New York Times: p. A9 28 June 2020閲覧。
- ^ “Colombian Leader's Campaign Aide Held”. San Francisco Chronicle. Associated Press: p. A10. (27 July 1995)
- ^ Stott, Michael (29 July 1995). “Crisis Over Cocaine Cash in Colombia”. San Francisco Chronicle. Reuters: p. A9
- ^ “Colombia's Defense Chief Steps Down”. San Francisco Chronicle. Reuters: p. A8. (3 August 1995)
- ^ “Colombian Congress Drops Probe of President”. San Francisco Chronicle: p. B4. (15 December 1995)
- ^ “Court Opens Graft Probe In Colombia”. San Francisco Chronicle. Chronicle News Services: p. A12. (16 March 1996)
- ^ Samper, Ernesto (30 June 1995). “Colombia's War on Drugs”. Wall Street Journal: p. A16
- ^ Deans, Bob (2 March 1996). “U.S. Cuts Colombia Aid Over Drug Issue”. San Francisco Chronicle. Cox News Service: p. A1
- ^ Gutkin, Steven (17 July 1994). “Senate Drug Bill Imperils U.S. Ties With Colombia”. Washington Post 16 August 2020閲覧。
- ^ Gutkin, Steven (8 August 1994). “Colombia Inaugurates President Who Raised Drug Worries in U.S.”. The Washington Post 11 June 2020閲覧。