エルフリーデ・ローゼ=ヴェヒトラー
エルフリーデ・ローゼ=ヴェヒトラー Elfriede Lohse-Wächtler | |
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生誕 |
1899年12月4日 ドレスデン |
死没 |
1940年7月31日 ピルナ |
エルフリーデ・ローゼ=ヴェヒトラー(Elfriede Lohse-Wächtler、結婚前の名:Anna Frieda Wächtler、1899年12月4日 - 1940年7月31日)はドイツの前衛画家である。
精神疾患を患い、1940年にナチス・ドイツの、精神障害者や身体障害者に対する強制的な安楽死政策「T4作戦」の犠牲となった。
略歴
[編集]ドレスデンの商人の娘に生まれた。1915年から1918年の間、ドレスデン美術学校(Dresdner Kunstakademie)で服飾や商業美術を学び、ドレスデンの美術アカデミーの絵画のコースでも学んだ。1919年にオットー・ディクスやコンラート・フェリクスミュラーらの前衛画家のグループ、「ドレスデン分離派」(Dresdner Sezession)に入会した。1921年にオペラ歌手のクルト・ローゼと結婚し、ゲルリッツやハンブルクで暮らした。この結婚は幸福なものでなく多くの問題をもたらした。
1926年から1929年の間、『ノイエザッハリヒカイト(新即物主義)』の展覧会に何度か出展し、そのスタイルは新即物主義に属するものだった。1929年に神経衰弱の症状から、精神科施設に2か月間入院し、入院中は、患者の肖像画を描いた。退院後、夫のローゼと離婚した。離婚後、精力的に作品を制作し、主に労働者階級の人々や売春婦などを描き、定期的に展覧会に出展を続けたが、貧しい生活を続けなければならなかった。
1932年にドレスデンの両親のもとに戻るが精神的に不安定になり、統合失調症の診断を受けて、ザクセンのアルンスドルフにある療養施設に入院した。1935年まで活発に作品を描いていたが、1935年に行動の自由を制限され、ナチス・ドイツの優生政策に基づいて不妊治療を受けた。作品は「退廃芸術」として、美術館から除去され、ローゼ=ヴェヒトラーは作品制作を止めた。1940年にピルナのピルナ=ゾンネンシュタイン安楽死施設(Tötungsanstalt Pirna-Sonnenstein)に移され、「T4作戦」のもと殺害された。
1990年代になってローゼ=ヴェヒトラーの作品が再評価され、ドイツ各地で展覧会や彼女に関する出版が行われた。
作品
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女性患者 (1929)
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自画像 (c.1930)
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自画像(1931)
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(c.1930)
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自画像(1928)
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港の眺め (1929)
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精神病院でのスケッチ
参考文献
[編集]- Boris Böhm: Elfriede Lohse-Wächtler. 1899 - 1940. Eine Biografie in Bildern, Dresden: Sandstein Verlag 2009, ISBN 978-3-940319-85-2
- Sandra Scheffer: Die "verschollene Generation". Elfriede Lohse-Wächtler und Erna Schmidt-Caroll. Zwei Künstlerinnen zu Beginn des 20. Jahrhunderts. Saarbrücken: VDM Verlag Dr. Müller 2008, ISBN 978-3-8364-5386-8