エルンスト1世 (ザクセン=アルテンブルク公)
表示
エルンスト1世 Ernst I | |
---|---|
ザクセン=アルテンブルク公 | |
1870年頃 | |
在位 | 1853年 - 1908年 |
全名 |
一覧参照
|
出生 |
1826年9月16日 ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公国、ヒルトブルクハウゼン |
死去 |
1908年2月7日(81歳没) ドイツ帝国 ザクセン=アルテンブルク公国、アルテンブルク |
配偶者 | アグネス・フォン・アンハルト=デッサウ |
子女 |
マリー ゲオルク |
家名 | ヴェッティン家エルンスト系 |
父親 | ザクセン=アルテンブルク公ゲオルク |
母親 | マリー・ツー・メクレンブルク=シュヴェリーン |
エルンスト1世(Ernst I., 1826年9月16日 - 1908年2月7日)は、ザクセン=アルテンブルク公国の公(在位:1853年 - 1908年)。ザクセン=アルテンブルク公ゲオルクの長男。
生涯
[編集]エルンスト1世は1826年9月16日、ゲオルクとその妃であったメクレンブルク=シュヴェリーン大公パウル・フリードリヒの妹マリー(1803年 - 1862年)の間に第一子としてヒルトブルクハウゼン(現テューリンゲン州ヒルトブルクハウゼン郡)で生まれた。全名はエルンスト・フリードリヒ・パウル・ゲオルク・ニコラウス(Ernst Friedrich Paul Georg Nikolaus)。
1853年4月28日にアンハルト公レオポルト4世の娘アグネス(1824年 - 1897年)とデッサウで結婚し、同年8月3日に父が死去したため公位に即いた。妃アグネスとの間には2人の子どもをもうけている。
エルンスト1世は1862年にプロイセン王国との間に軍事同盟を結び、1867年には北ドイツ連邦に加盟した。1870年に勃発した普仏戦争ではプロイセン側について参戦し、翌年ドイツ帝国が成立すると皇帝ヴィルヘルム1世に忠誠を誓っている。
1908年2月7日、エルンスト1世はアルテンブルク(現テューリンゲン州アルテンブルガー・ラント郡)にて死去し、甥のエルンスト2世が公位を嗣いだ。
子女
[編集]妻のアグネスとの間には、以下の一男一女をもうけた。
- マリー・フリーデリケ・レオポルディーネ・ゲオルギーネ・アウグステ・アレクサンドラ・エリーザベト・テレーゼ・ヨゼフィーネ・ヘレーネ・ゾフィー(1854年 - 1898年) - プロイセン王子アルブレヒト妃
- ゲオルク・レオポルト・エルンスト・ヨーゼフ・アレクサンダー・フリードリヒ・ルートヴィヒ・ヨハン・アルベルト(1856年 - 1856年)
系譜
[編集]エルンスト1世 (ザクセン=アルテンブルク公)の系譜 |
---|
外部リンク
[編集]ウィキメディア・コモンズには、エルンスト1世 (ザクセン=アルテンブルク公)に関するカテゴリがあります。
|
|