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エールフランス358便事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エールフランス 358便
事故機(2004年 シャルル・ド・ゴール空港にて撮影)
出来事の概要
日付 2005年8月2日
概要 天候不良とパイロットエラーによる滑走路のオーバーラン
現場 カナダの旗 カナダトロント・ピアソン国際空港
乗客数 297
乗員数 12
負傷者数 43
死者数 0
生存者数 309 (全員)
機種 エアバスA340-300
運用者 フランスの旗 エールフランス
機体記号 F-GLZQ
出発地 フランスの旗 シャルル・ド・ゴール空港
目的地 カナダの旗 トロント・ピアソン国際空港
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赤い実線が事故機の進入経路。なお点線は本来通るべき進入経路

エールフランス358便事故(エールフランスさんびゃくごじゅうはちびんじこ)は、2005年8月2日カナダで発生した航空機事故である。

悪天候の中でトロント・ピアソン国際空港に着陸を試みたエールフランスの358便(エアバスA340)が滑走路をオーバーランし、43人の負傷者が出た。

事故当日のエールフランス358便

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事故の経緯

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2005年8月2日、エールフランス358便は悪天候による待機旋回後雷雨の中をトロント・ピアソン国際空港滑走路24Lに着陸したが、滑走路内で止まることができずに滑走路終端から300メートルほどオーバーランした[1]。機体は大破し、漏れ出た燃料により火災が発生した[1]。脱出する際に使う避難シュートのうち2つが起動せず、一部の乗客は地面から2メートル近くの高さから飛び降りて脱出した。乗員乗客309人は全員緊急脱出に成功した。12人が重傷、31人が軽傷を負った。

事故が起こって52秒後には緊急対応チームが到着しており、迅速な消火・救助活動が行われた。また事故がハイウェイの近くで起こったこともあり、道路を走っていた一部のドライバーがパイロットを含む負傷者を自分の車で直接病院まで搬送した。

機体は火災により全損した。この事故は、エアバスA340の運航中で初の全損事故である[2]。負傷者は出たが乗員乗客全員が生還したことでカナダの運輸大臣であるジャン・ラピエールはこの事故を奇跡と呼び、各メディアは「トロントでの奇跡[3]などと呼んだ。

乗客

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乗客は297人で内訳は、成人男性168名、成人女性118名、子供8名、乳幼児3名だった。また3名が車椅子の乗客で、1名は盲目だった。乗客はビジネスマンや行楽客や学生で構成されていた。

国籍 乗客
カナダの旗 カナダ 104
フランスの旗 フランス 101
インドの旗 インド 8
イタリアの旗 イタリア 19
イギリスの旗 イギリス 7
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 14
ドイツの旗 ドイツ 1
イスラエルの旗 イスラエル 1
メキシコの旗 メキシコ 1
トルコの旗 トルコ 1
不明 36
総計 297

事故原因

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焼損した事故機

カナダ運輸安全委員会英語版英語: Transportation Safety Board of Canada、略称TSB)の事故調査によって、エンジン、ブレーキ、スポイラー、逆推力装置には問題がなかったことが判明した。また事故当時は強風と豪雨という悪天候だったが、それだけではオーバーランは起こらないとされた。その後の調査によって、以下の要因が判明した。

  • 地上300フィート (91 m)で風が向かい風から追い風に変わった。
  • 激しい豪雨の中を着陸したため、視程が著しく低下していた。
  • パイロットはゴーアラウンドという選択を失念しており、着陸することだけを考えていた。
  • 操縦を担当していないパイロットは着陸進入中に逆推力装置スポイラーに関するコールアウトをしなかった。
  • パイロットは雷雨の中を着陸するにもかかわらず、必要な着陸距離を確実には計算していなかった。
  • 滑走路端の地形が航空機を大きく損傷させ、負傷者を増やす結果となった。

TSBは最終報告書において、原因はパイロットエラーと結論付けた。事故機は当時約2,700 mの滑走路が割り当てられていたが、これは空港内で最も短い滑走路であった。さらにパイロットはILSを使っていなかったにもかかわらず、降下率を見誤り滑走路の中央付近に接地してしまい、滑走路の残りは1,200 m程しかなかった。そしてコールアウトが遅れ、逆推力装置とスポイラーの起動が遅れ、減速が間に合わなかった。操縦士はフルブレーキをかけたが間に合わず、滑走路をオーバーランした。

滑走路端の地形については、1978年に発生したエア・カナダ189便の事故の際に滑走路の先に川岸があることが疑問視されたが、対策は行われていなかった。

余波

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事故後、エールフランスから乗客に1000~3700カナダドルと無料往復航空券が与えられた。その後エールフランスは1200万ドルの和解金や、空港を管理するカナダ連邦政府と裁判を行った。

現在358便はこのルートでは使われなくなり、今は356便としてボーイング777-200ERが使われている。

この事故を扱った作品

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脚注

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  1. ^ a b “旅客機炎上:全員が脱出、死者ゼロに驚きの声”. MSN毎日インタラクティブ. (2005年8月3日). オリジナルの2005年8月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20050805232023/http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/news/20050804k0000m030136000c.html 2022年9月23日閲覧。 
  2. ^ 運航中以外ではこの事故以前に、整備中の火災、及び2001年スリランカで発生したタミル・イーラム解放のトラの爆破テロ攻撃(バンダラナイケ国際空港襲撃事件)による全損が発生している。
  3. ^ 他には「トロントミラクル」、「ミラクル」エスケープ、「滑走路24Lの奇跡」などがある。

関連項目

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