オスカー・ギャンブル
1977年 | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | アラバマ州レイマー |
生年月日 | 1949年12月20日 |
没年月日 | 2018年1月31日(68歳没) |
身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 165 lb =約74.8 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1968年 16巡目 |
初出場 | 1969年8月27日 |
最終出場 | 1985年8月8日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
オスカー・チャールズ・ギャンブル(Oscar Charles Gamble, 1949年12月20日 - 2018年1月31日)は、アメリカ合衆国・アラバマ州出身の、MLBで活躍した元プロ野球選手。
"Big O"という愛称で知られた。
略歴
[編集]シカゴ・カブス時代
[編集]1968年6月7日にシカゴ・カブスからドラフト16巡目で指名を受け、6月18日に選手契約を結んだ。1969年8月27日にカブスでメジャーデビューを果たした。1969年は24試合に出場し、打率.225・1本塁打・5打点という成績を記録。
フィラデルフィア・フィリーズ時代
[編集]1969年の11月17日にディック・セルマ投手と共にフィラデルフィア・フィリーズにトレードされた(このトレードでフィリーズはジョニー・カリソン外野手をカブスに放出。更に翌1970年の1月にラリー・コルトン投手をカブスへと放出し、トレードが完了した)。1970年はフィリーズで88試合に出場したが、打率.262・1本塁打・19打点・5盗塁という成績しか残せなかった。1971年は、若干ながら出場機会が増え、打率こそ.223という低打率に終わったが、6本塁打・23打点という数字はいずれも1970年のものを上回った。しかし、1972年は74試合に出場したものの、打数は前の2年間と比較すると100以上も減少。打撃成績も打率.237・1本塁打・13打点という低水準なものに終わった。
クリーブランド・インディアンス時代
[編集]1972年11月30日にロジャー・フリード外野手と共に、クリーブランド・インディアンスへとトレードされる事に(トレードでフィリーズに加入したのはデル・アンサー外野手とマイナーリーグ選手のテリー・ウェッジウッド)。移籍1年目の1973年は、主に指名打者として113試合に出場。打率.267・20本塁打・44打点という成績を残し、自身初の20本塁打をクリアするなど、パワーを発揮した。続く1974年も、指名打者中心に135試合に出場。規定打席に到達し、打率.291・19本塁打・59打点という安定した成績を残した。因みに1974年はギャンブルにとって、唯一の規定打席に到達したシーズンとなった。1975年は、軒並み打撃成績は低下したが、一方で自身初の2ケタ盗塁(11盗塁)を記録した。
ニューヨーク・ヤンキース時代
[編集]1975年11月22日に、パット・ドブソン投手との交換でニューヨーク・ヤンキースへとトレード移籍する事になった。インディアンスでは主に指名打者として試合に出場していたが、ヤンキースへ来てからはライトがメインの出場となった。その移籍1年目となる1976年は、110試合の出場で17本塁打を放ち、相変わらずのパワーを見せ付けた。
シカゴ・ホワイトソックス時代
[編集]1977年4月5日にマイナーリーグ選手のボブ・ポリンスキー、ラマー・ホイト投手、そして200,000ドルと共に、バッキー・デント遊撃手と交換でシカゴ・ホワイトソックスへと放出。ヤンキースに在籍したのはわずか1年だった。しかし、1977年はギャンブルにとって自己最高といっていいシーズンになった。6月終了時点で63試合の出場で、13本塁打と前年を大きく上回るペースでホームランを生産。その勢いは7月に入っても止まるところを知らず、残りのシーズンで74試合に出場し、打率.329・18本塁打・50打点・OPS1.056と打ちまくった。そして、最終的には打率.297・31本塁打・83打点という好成績をマーク。シーズン終了後のMVP投票でも票数こそ少なかったものの、29位にランクインした。因みに、1977年は13.2打数に1本のペースでホームランを放っており、これはリーグ1位の数字である(1977年のギャンブルは規定打席には届いていないが、残りの打席全てが凡退だったと仮定してもリーグトップとなるため、記録上もリーグ1位として扱われる)。そして、シーズン終了後の10月28日にFAとなった。
サンディエゴ・パドレス時代
[編集]同年11月29日にサンディエゴ・パドレスと契約を結んだ。前年に31本塁打を放っていた為、パドレスでも主砲として期待された。しかし、1978年のシーズンは126試合の出場で打率.275・7本塁打・47打点と、期待を大きく裏切った。
テキサス・レンジャーズ時代
[編集]1978年10月25日にデーブ・ロバーツ三塁手と共にテキサス・レンジャーズにトレードされた(トレード相手はマイク・ハーグローブ一塁手、マーク・ベバッカ三塁手、ビル・フェイヒー捕手の3選手)。レンジャーズ移籍1年目となる1979年は、ホームランこそ少なかったものの、64試合で打率.335・8本塁打・32打点と大爆発した。
再びヤンキースへ
[編集]大活躍していたギャンブルだったが、シーズン中の8月1日の大型トレードで古巣のヤンキースへ復帰する事になった(ギャンブルと共にヤンキースに移籍したのは、後日に決定したマイナーリーグ選手のエイモス・ルイス。その交換相手は、こちらも後日決定となったミッキー・リバース外野手。更に同年の10月8日にトレードの続きが行われた。レンジャーズはレイ・フォンテノー、ジーン・ネルソン両投手をヤンキースへ放出。ヤンキースがいずれもマイナーリーグ選手のニール・マーシュ、マーク・ソフティ、それに以前ギャンブル絡みのトレードでヤンキースへ移籍していたボブ・ポリンスキーの3選手をレンジャーズへ放出。これによってトレードが完了した)。レンジャーズに所属していた時でさえ、大いに打っていたギャンブルだったが、ヤンキース移籍後は打撃好調に拍車が掛かった。移籍後はわずか36試合にしか出場していないにもかかわらず、打率.389・11本塁打・32打点というハイペースで打ちまくった。1979年の2チーム通算成績は100試合の出場で、打率.358・19本塁打・64打点という成績だった。翌1980年は、1年間通じてヤンキースでプレイ。流石に1979年ほどの打率は残せなかったものの、78試合の出場で14本塁打を放つなど、持ち前の長打力は存分に発揮した。続く1981年もヤンキースに所属。80試合の出場で10本塁打と、ホームランこそまずまずのペースで打っていたが、打率は.238と振るわなかった。1982年は、3年ぶりに100試合以上に出場(108試合)。打率.272・18本塁打・57打点・6盗塁と復調した。1983年は、5年ぶりに本塁打が10を下回った。そして、シーズンオフの11月7日にFAとなったが、1984年4月17日にヤンキースと再契約を結んだ。その1984年は、10本塁打をクリアしたが、打率は.200を下回るなど、年齢的にも衰えが感じられるシーズンとなった。
再びホワイトソックスへ、そして引退
[編集]1984年11月8日に自身3度目のFAとなった。そして、年明けの1985年3月23日に古巣のホワイトソックスと契約を結んだ。しかし、8月12日にホワイトソックスを解雇された。結局、解雇されるまでに70試合に出場したが、打率.203・4本塁打・20打点という成績に終わった。その後、所属先を見つけられぬまま、現役を退くことになった。
選手としての特徴
[編集]20本塁打を超えたのは2度だけだが、400未満の打数で15本以上のホームランを放ったシーズンが5度もある。通算では22.5打数に1本の割合でホームランを放っている。
守備面では、外野手としての出場が818試合で、他には一塁手として1試合に出場したことがあるだけである。指名打者としての試合出場も561試合ある。
走塁面では1975年に11盗塁を記録したことがある。
左投手に弱いとされていた[1]。
グリップを膝上ほどに乗せた極端に屈んだバッティングスタンス、帽子からはみ出るアフロヘアーといった特徴は一度見たら忘れられない選手であった。 スタンス通りローボールヒッターとして知られていたという。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1969 | CHC | 24 | 81 | 71 | 6 | 16 | 1 | 1 | 1 | 22 | 5 | 0 | 2 | 0 | 0 | 10 | 1 | 0 | 12 | 1 | .225 | .321 | .310 | .631 |
1970 | PHI | 88 | 305 | 275 | 31 | 72 | 12 | 4 | 1 | 95 | 19 | 5 | 4 | 2 | 0 | 27 | 3 | 1 | 37 | 8 | .262 | .330 | .345 | .675 |
1971 | 92 | 309 | 280 | 24 | 62 | 11 | 1 | 6 | 93 | 23 | 5 | 2 | 3 | 4 | 21 | 2 | 1 | 35 | 1 | .221 | .275 | .332 | .607 | |
1972 | 74 | 157 | 135 | 17 | 32 | 5 | 2 | 1 | 44 | 13 | 0 | 1 | 0 | 2 | 19 | 0 | 1 | 16 | 4 | .237 | .331 | .326 | .657 | |
1973 | CLE | 113 | 432 | 390 | 56 | 104 | 11 | 3 | 20 | 181 | 44 | 3 | 4 | 3 | 2 | 34 | 1 | 3 | 37 | 4 | .267 | .329 | .464 | .793 |
1974 | 135 | 509 | 454 | 74 | 132 | 16 | 4 | 19 | 213 | 59 | 5 | 6 | 0 | 2 | 48 | 10 | 5 | 51 | 7 | .291 | .363 | .469 | .833 | |
1975 | 121 | 405 | 348 | 60 | 91 | 16 | 3 | 15 | 158 | 45 | 11 | 5 | 1 | 1 | 53 | 4 | 2 | 39 | 8 | .261 | .361 | .454 | .815 | |
1976 | NYY | 110 | 384 | 340 | 43 | 79 | 13 | 1 | 17 | 145 | 57 | 5 | 3 | 2 | 0 | 38 | 4 | 4 | 38 | 4 | .232 | .317 | .426 | .743 |
1977 | CHW | 137 | 470 | 408 | 75 | 121 | 22 | 2 | 31 | 240 | 83 | 1 | 2 | 1 | 1 | 54 | 2 | 6 | 54 | 3 | .297 | .386 | .588 | .974 |
1978 | SD | 126 | 437 | 375 | 46 | 103 | 15 | 3 | 7 | 145 | 47 | 1 | 2 | 0 | 5 | 51 | 11 | 6 | 45 | 2 | .275 | .366 | .387 | .753 |
1979 | TEX | 64 | 201 | 161 | 27 | 54 | 6 | 0 | 8 | 84 | 32 | 2 | 1 | 0 | 2 | 37 | 11 | 1 | 15 | 6 | .335 | .458 | .522 | .979 |
NYY | 36 | 126 | 113 | 21 | 44 | 4 | 1 | 11 | 83 | 32 | 0 | 0 | 0 | 0 | 13 | 1 | 0 | 13 | 1 | .389 | .452 | .735 | 1.187 | |
'79計 | 100 | 327 | 274 | 48 | 98 | 10 | 1 | 19 | 167 | 64 | 2 | 1 | 0 | 2 | 50 | 12 | 1 | 28 | 7 | .358 | .456 | .609 | 1.065 | |
1980 | 78 | 229 | 194 | 40 | 54 | 10 | 2 | 14 | 110 | 50 | 2 | 0 | 0 | 3 | 28 | 4 | 4 | 21 | 2 | .278 | .376 | .567 | .943 | |
1981 | 80 | 227 | 189 | 24 | 45 | 8 | 0 | 10 | 83 | 27 | 0 | 2 | 0 | 2 | 35 | 2 | 1 | 23 | 4 | .238 | .357 | .439 | .796 | |
1982 | 108 | 382 | 316 | 49 | 86 | 21 | 2 | 18 | 165 | 57 | 6 | 3 | 0 | 4 | 58 | 2 | 4 | 47 | 4 | .272 | .387 | .522 | .910 | |
1983 | 74 | 208 | 180 | 26 | 47 | 10 | 2 | 7 | 82 | 26 | 0 | 0 | 0 | 0 | 25 | 1 | 3 | 23 | 3 | .261 | .361 | .456 | .816 | |
1984 | 54 | 151 | 125 | 17 | 23 | 2 | 0 | 10 | 55 | 27 | 1 | 0 | 0 | 1 | 25 | 0 | 0 | 18 | 1 | .184 | .318 | .440 | .758 | |
1985 | CHW | 70 | 184 | 148 | 20 | 30 | 5 | 0 | 4 | 47 | 20 | 0 | 0 | 0 | 1 | 34 | 3 | 1 | 22 | 1 | .203 | .353 | .318 | .671 |
通算:17年 | 1584 | 5197 | 4502 | 656 | 1195 | 188 | 31 | 200 | 2045 | 666 | 47 | 37 | 12 | 30 | 610 | 62 | 43 | 546 | 64 | .265 | .356 | .454 | .811 |
脚注
[編集]- ^ “ヤンキースなどで活躍、68歳で死去のオスカー・ギャンブルの野球人生”. Full-Count (2018年2月3日). 2021年5月31日閲覧。