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オスカー・デ・ラ・ホーヤ対フェリックス・シュトルム戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Collision Course
オスカー・デ・ラ・ホーヤ対フェリックス・シュトルム戦
開催日 2004年6月5日
認定王座 WBO世界ミドル級タイトルマッチ
開催地 アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス
会場 MGMグランド・ガーデン・アリーナ
リングアナ マイケル・バッファー
放送局 HBOペイ・パー・ビュー
ZDF
実況・解説 ラリー・マーチャント(進行役、インタビュアー)
ジム・ランプリー(実況)
ロイ・ジョーンズ・ジュニア(解説)
ハロルド・レーダーマン(アナリスト、非公式ジャッジ)
主催 ボブ・アラムトップランク
リチャード・シェーファー(ゴールデンボーイ・プロモーションズ
クラウス・ピーター・コール(ウニヴェルズム・ボックス・プロモーション
ドン・キング(ドン・キング・プロダクションズ)

オスカー・デ・ラ・ホーヤ 対 フェリックス・シュトルム
The Golden Boy(ゴールデン・ボーイ) The Fighter(ファイター)
比較データ
31歳 年齢 25歳
カリフォルニア州イーストロサンゼルス 出身地 レーヴァークーゼン
39戦 36勝 (29KO) 3敗 戦績 20戦 20勝 (9KO) 無敗
179cm 身長 181cm
160 lb (73 kg) 体重 160 lb (73 kg)
185cm リーチ 185cm
オーソドックス 特徴 オーソドックス
フロイド・メイウェザー・シニア 指導者 ミッチェル・ティム
世界5階級制覇王者
WBAスーパーWBC世界スーパーウェルター級王者
評価 WBO世界ミドル級王者

結果 デ・ラ・ホーヤの12回判定勝ち(3-0)
主審 ビック・ドラクリッチ
副審 マイク・グリンナ
デーブ・モレッティー
ポール・スミス

オスカー・デ・ラ・ホーヤ 対 フェリックス・シュトルム戦(オスカー・デ・ラ・ホーヤ たい フェリックス・シュトルムせん、別名Collision Course)は、2004年6月5日にアメリカ合衆国ネバダ州ラスベガスMGMグランド・ガーデン・アリーナで開催されたプロボクシングの試合。元WBAWBC世界スーパーウェルター級統一王者オスカー・デ・ラ・ホーヤと、WBO世界ミドル級王者のフェリックス・シュトルム対戦したタイトルマッチ。興行はトップランクゴールデンボーイ・プロモーションズとの合同興行として行われHBOペイ・パー・ビューで放送した。


試合までの経緯

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2001年6月23日、デ・ラ・ホーヤがWBC世界スーパーウェルター級王者ハビエル・カスティリェホスペイン)に挑み、スピードとテクニックで王者を圧倒し12回判定勝ちを収めシュガー・レイ・レナードトーマス・ハーンズに続く史上3人目の5階級制覇に成功した[1][2]

2002年9月14日、ミケロブ・ウルトラ・アリーナでデ・ラ・ホーヤがWBA世界スーパーウェルター級王者フェルナンド・バルガス(アメリカ)と王座統一戦。両者の意地がぶつかり合ったハイレベルの打ち合いは、11回にダウンを奪ったデ・ラ・ホーヤが怒濤のラッシュで試合を決めTKO勝ち。王座を統一した。また試合後にバルガスからは薬物検査で陽性反応が確認された[2][3]

2003年5月3日、ミケロブ・ウルトラ・アリーナでデ・ラ・ホーヤが元IBF世界スーパーウェルター級王者ルイス・ラモン・カンパス(メキシコ)と対戦し、7回2分54秒TKO勝ちを収めWBA王座は初、WBC王座は2度目となる防衛にそれぞれ成功した[4][5]

しかし2003年9月13日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでデ・ラ・ホーヤがシェーン・モズリーと3年2ヶ月振りに再戦したが12回0-3(3者共113-115)の判定負けを喫し、両王座から陥落した[2][6][7][8]

2003年9月13日、シュトルムが当初予定されていた挑戦者が負傷したために代役として初の世界挑戦。ベルリンのエストレル・コンベンションセンターでWBO世界ミドル級王者ハビエル・ベラスコアルゼンチン)と対戦し、12回2-1(115-113、116-112、113-115)の判定勝ちを収め王座を獲得した[9]

2004年2月17日、デ・ラ・ホーヤがミドル級に転向を表明しWBO王者シュトルムとの対戦を発表、デ・ラ・ホーヤが勝てばの条件付きでWBA・WBC・IBF王者のバーナード・ホプキンスとの史上初めての4団体王座統一戦を行う事でホプキンスとも基本合意し、ホプキンスが過去に2度IBFでの指名試合で対戦している元IBF世界ミドル級暫定王者のロバート・アレンとIBFで3度目の指名試合をセミファイナルに起用しホプキンスとデ・ラ・ホーヤ両者が勝つ事を条件に年内開催予定の4団体王座統一戦を開催する事を発表した[10]

試合

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2004年6月5日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでWBO王者シュトルムとデ・ラ・ホーヤによるタイトルマッチが行われ、デ・ラ・ホーヤが12回3-0(3者共115-113)の判定勝ちを収め史上初の世界6階級制覇を達成した[2][11]。一方セミファイナルで行われたWBA・WBC・IBF王者のホプキンスと3度目のIBFの指名挑戦者となったアレンとの第3戦も行われ、ホプキンスが5回にアレンのローブローでの減点と7回にダウンを奪い12回3-0(2者が119-107、117-109)の判定勝ちを収めIBF王座はミドル級での最多防衛記録を更に更新する18度目、WBA王座は4度目、WBC王座は5度目の防衛に成功。デ・ラ・ホーヤがリング上でホプキンスと向かい合い史上初の4団体王座統一戦開催をアピールした[12]

試合カード

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階級 vs. 結果 Round Time Notes
ミドル級 アメリカ合衆国の旗 オスカー・デ・ラ・ホーヤ def. ドイツの旗 フェリックス・シュトルム (c) UD 12 Note 1
ミドル級 アメリカ合衆国の旗 バーナード・ホプキンス (c) def. アメリカ合衆国の旗 ロバート・アレン UD 12 Note 2
ライト級 メキシコの旗 ホセ・ルイス・カスティージョ def. メキシコの旗 ファン・ラズカノ UD 12 Note 3
ミドル級 アメリカ合衆国の旗 キングスリー・イケケ def. アメリカ合衆国の旗 アルフレド・クェバス TD 8/10 3:00
ライト級 キルギスの旗 アルマズベク・ライムクボフ def. ガーナの旗 レイ・ナーフ KO 1/8 2:52

^Note 1 WBO世界ミドル級タイトルマッチ ^Note 2 WBA・WBC・IBF世界ミドル級タイトルマッチ ^Note 3 WBC世界ライト級王座決定戦・リングマガジン世界ライト級王座決定戦

脚注

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  1. ^ The Lineal Junior Middleweight Champions”. The Cyber Boxing Zone Encyclopedia. 2001年6月23日閲覧。
  2. ^ a b c d 日外アソシエーツ (2012年). "オスカー デラホーヤ". コトバンク. 2018年4月20日閲覧
  3. ^ バルガス、薬物検査で陽性 王座戦でデラホーヤに敗北 共同通信社 2002年9月27日[リンク切れ]
  4. ^ Archived April 3, 2012, at the Wayback Machine.
  5. ^ デラホーヤがTKO勝ち 統一世界Sウエルター戦 共同通信社 2003年5月4日[リンク切れ]
  6. ^ 王者、雪辱ならず 進退には明言避ける 共同通信社 2003年9月14日[リンク切れ]
  7. ^ プロモーターを召喚へ 世界戦で採点に不正 共同通信社 2003年9月17日[リンク切れ]
  8. ^ Mosley Defeats De La Hoya, Perhaps Ending His Career, ニューヨークタイムズ 2003年9月14日閲覧
  9. ^ spiegel.de, Felix Sturm is the new WBO champion (german)
  10. ^ De La Hoya Sizes Up Two Tough Opponents, LAタイムズ2004年2月18日閲覧。
  11. ^ デラホーヤが6階級制覇 WBOミドル級タイトル戦 共同通信社 2004年6月6日[リンク切れ]
  12. ^ De De La Hoya wins controversial decision, ESPN.com 2004年6月6日閲覧。

外部リンク

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