オセアノ・ダ・クルス
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名前 | ||||||
本名 |
オセアノ・アンドラーデ・ダ・クルス Oceano Andrade da Cruz | |||||
ラテン文字 | Oceano da Cruz | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ポルトガル カーボベルデ | |||||
生年月日 | 1962年7月29日(62歳) | |||||
出身地 | サン・ヴィセンテ島 | |||||
身長 | 177cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (DH) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1980-1982 | アルマダ | ? | (?) | |||
1982-1984 | ナシオナル | ? | (?) | |||
1984-1991 | スポルティングCP | 202 | (17) | |||
1991-1994 | レアル・ソシエダ | 96 | (17) | |||
1994-1998 | スポルティングCP | 106 | (22) | |||
1998-1999 | トゥールーズ | 30 | (6) | |||
代表歴 | ||||||
ポルトガル U-21 | 4 | (0) | ||||
1985-1998 | ポルトガル | 54 | (8) | |||
監督歴 | ||||||
2009-2010 | ポルトガル U-21 | |||||
2011-2012 | スポルティングCP (アシスタント) | |||||
2012 | ウニオン・レイリア (アシスタント) | |||||
2012 | スポルティングB | |||||
2012 | スポルティングCP (暫定) | |||||
2012- | スポルティングCP (アシスタント) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
オセアノ・ダ・クルス(Oceano da Cruz, 1962年7月29日 - )は、カーボベルデ・サン・ヴィセンテ島出身の元ポルトガル代表の元サッカー選手。ポジションはMF。現在はサッカー指導者。
経歴
[編集]現役時代
[編集]カーボベルデのサン・ヴィセンテ島に生まれると、子供の頃に家族と共にポルトガルへ移住し、アルマダACのユースで育った。1980年に同クラブでプロデビューを果たすとCDナシオナルを経て、1984-85シーズンにスーペル・リーガの名門スポルティングCPへ入団した。
スポルティングでは移籍1年目から退団する7シーズンの間にレギュラーとしてプレー。1991年、同僚のカルロス・シャヴィエルと共にスペインのレアル・ソシエダへと移籍。またそこでは、かつてスポルティングで指導を受けたジョン・トシャック監督と再会した。
1994年にシャヴィエルと共にスポルティングに復帰すると、オセアノの方は1997-98シーズンほぼ36歳の時に退団するまでの間をレギュラーとして過ごす中、1995年にタッサ・デ・ポルトガルのタイトルを1度獲得した。その後、フランスのトゥールーズFCに移籍し1999年に引退した。
引退後
[編集]引退後は、複数のテレビ局でスポーツ解説者として活動。2011年3月初期にジョゼ・コウセイロ新監督の下、コーチングスタッフとしてキャリアの大半を過ごしたスポルティングCPに戻った。その1年後に、スポルティング時代の同僚ジョゼ・ドミンゲスの誘いで、UDレイリアのコーチに就任した[1]。
2012-13シーズンに再びスポルティングへ戻り、2部を戦うBチームの監督に就任。2012年10月4日、トップチームの監督を務めるリカルド・サ・ピントが解任されたため、正式に次の監督が見つかるまで暫定監督としてチームを率いることになった[2]。監督として4試合を指揮するも国内リーグのFCポルト戦 (0-2) 、国内カップのモレイレンセFC戦 (2-3) 、UEFAヨーロッパリーグ・グループリーグのKRCヘンク戦 (1-2) とアウェー3連戦を3連敗[3][4]し、最後の試合となった2012年10月29日のアカデミカ・コインブラとのリーグ戦で0-0とようやく引き分けた。
代表
[編集]1985年1月30日、2-3で敗北したルーマニアとの親善試合でデビューすると、13年後の0-3で敗北したイングランド戦までの間にポルトガル代表として54試合8ゴールを記録。90年代からレギュラーとして起用され、UEFA EURO '96の準々決勝進出に貢献した。
2008年7月にカルロス・ケイロスがポルトガル代表監督へ就任したことに伴い、技術スタッフとして招かれ、ジョゼ・アルベルト・コスタと共にスカウティング部門で働いた。2009年8月にルイ・カサドールの後を引き継ぎ、U-21代表監督に就任[5]。監督として初めての試合となった11日の北アイルランド戦は2-1で勝利した。その後、UEFA U-21欧州選手権2011に出場できなかったため解任された。
所属クラブ
[編集]- アルマダAC1980-1982
- CDナシオナル 1982-1984
- スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガル 1984-1991
- レアル・ソシエダ 1991-1994
- スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガル 1994-1998
- トゥールーズFC 1998-1999
脚注
[編集]- ^ Oceano é o adjunto de Dominguez
- ^ Official - Sá Pinto relieved of his duties; Oceano appointed caretaker coach
- ^ Wagner's extra-time winner beats Sporting
- ^ Sporting lose again after a late Genk winner; PortuGOAL, 25 October 2012
- ^ Quadro técnico definido
外部リンク
[編集]- zerozero
- ForaDeJogo
- オセアノ・ダ・クルス - National-Football-Teams.com