オチャムチレ
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オチャムチレ ოჩამჩირე, Очамчы́ра オチャムチラ | |
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オチャムチレ市内の噴水 | |
アブハジアにおける位置 | |
座標:北緯42度43分00秒 東経41度28分00秒 / 北緯42.71667度 東経41.46667度座標: 北緯42度43分00秒 東経41度28分00秒 / 北緯42.71667度 東経41.46667度 | |
国 |
ジョージア(法令上) アブハジア(実効支配)[1] |
地区 | オチャムチレ地区 |
人口 (2011年)[2] | |
• 合計 | 5,280人 |
等時帯 | UTC+3 (モスクワ時間) |
オチャムチレ(グルジア語: ოჩამჩირე、[otʃʰamtʃʰiɾe] ( 音声ファイル))は、ジョージアのアブハジア[1]にある黒海沿岸の都市。オチャムチレ地区の中心地である。アブハズ語およびロシア語ではオチャムチラ(アブハズ語: Очамчыра、ロシア語: Очамчира)と呼ぶ。
人口は、1989年ソ連国勢調査時点では20,078人であったが、1992年から1993年にかけてのアブハジア紛争でジョージア人の民族浄化が行われた結果、大幅に減少した。この紛争で避難民となった人々のほとんどは、現在もなお市内に帰還できていない。ガリズガ川河口の左岸、アブハジアの首都スフミの南東53キロメートルに位置する。
気候
[編集]おだやかな冬と厳しい夏を特徴とする温暖湿潤気候である。年平均気温は13.6℃で、1月の平均気温は4.5℃、7月の平均気温は23℃である。年間平均降水量は1,552ミリとなっている。
歴史
[編集]小さな海沿いの村落から発展した。1877年の露土戦争では、戦場のひとつとなった[3]。
古代ギリシャのギュエノスの植民都市はオチャムチレ付近にあったと推定されているが、遺跡の保存状態がかなり悪いことから確定してはいない[4]。それでも、遺跡からはギリシャ文化の浸透をうかがわせる史料が発見されている[5]。
2009年にタス通信は、ロシアがセヴァストポリ海軍基地に置く黒海艦隊の新しい基地をオチャムチレに建設することを計画していると報じた[6]。
姉妹都市
[編集]ゆかりの人物
[編集]- ヴィタリ-・ダラセリア - サッカー選手
脚注
[編集]- ^ a b アブハジアの政治的地位をめぐっては、争いがある。1992年にジョージアから一方的に独立を宣言して以来、アブハジアは5つの国際連合加盟国から独立国として正式に承認を受けている(かつてはもう2カ国からも承認されていたが、のちに撤回された)。しかし、国際社会の残る大多数の国々は、国際法上ジョージアの一部とみなしている。ジョージアはアブハジアについて、ロシアに占領された自国の領土と主張し続けている。
- ^ Infos at ethno-kavkaz.narod.ru
- ^ Очемчиры (Ochemchiry) Brockhaus and Efron Encyclopedic Dictionary (1890-1906). Accessed on May 2, 2008.
- ^ Mogens Herman, Hansen, Thomas Heine Nielsen (2003), An Inventory of Archaic and Classical Poleis, p. 953. Oxford University Press, ISBN 0-19-814099-1.
- ^ David, Braund (1994). Georgia in Antiquity. A History of Colchis and Transcaucasian Iberia 550 BC AD 562. Calendon Press. pp. 105. ISBN 0198144733
- ^ Gorst, Isabel (2009年1月27日). “Russia to relocate fleet to Abkhazia”. Financial Times 2009年1月27日閲覧。
- ^ “8 октября Бендеры отмечают 605-летие со Дня первого летописного упоминания о городе”. Apsnypress. (8 October 2013). オリジナルの9 November 2013時点におけるアーカイブ。 9 November 2013閲覧。