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オトン3世 (ブルゴーニュ伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オトン3世
Otton III
メラーン公
ブルゴーニュ伯
在位 1234年 - 1248年

出生 1208年
死去 1248年6月19日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
アンデクス=メラーン公領、ニーステン城
家名 アンデクス家
父親 メラーン公オットー1世
母親 ブルゴーニュ女伯ベアトリス2世
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ブルゴーニュ伯オトン3世フランス語:Otton III de Bourgogne, 1208年 - 1248年6月19日)またはメラーン公オットー2世ドイツ語:Otto II. von Meran)は、アンデクス伯、メラーン公およびブルゴーニュ伯(在位:1234年 - 1248年)。

生涯

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オトン3世は、メラーン公オットー1世ブルゴーニュ女伯ベアトリス2世の間に1208年に生まれた。1234年5月7日にブルゴーニュ伯位を含む父の地位を継承した。

オトン3世は1248年に40歳で嗣子なく死去した。アンデクス=メラーン公家の直系男系子孫はオトン3世の死により断絶し、アンデクス公領はバンベルク司教領に併合された[1]。また、妹アーデルハイトがブルゴーニュ伯位を継承し、夫ユーグ3世・ド・シャロンも結婚によりブルゴーニュ伯となり、舅のシャロン伯ジャン1世が1267年までブルゴーニュ伯領の摂政をつとめた[2]

脚注

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  1. ^ Herzöge und Heilige : das Geschlecht der Andechs-Meranier im europäischen Hochmittelalter (catalogue d'exposition), Munich, Haus der Bayerischen Geschichte, coll. « Veröffentlichungen zur Bayerischen Geschichte und Kultur », 1993 (ISBN 3-927233-29-3), p. 21–111.
  2. ^ Philipp Jedelhauser, « Die Rolle der Töchter Adelheid und Elisabeth von Graf Albert III. von Tirol bei der territorialen Zusammenführung des Landesi », Adler, Zeitschrift für Genealogie und Heraldik, vol. 30, nos 6–7, avril-septembre2020, p. 281–309.

参考文献

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  • Ludwig Holzfurtner, " Otto III ", in Neue Deutsche Biographie (NDB) , Berlin, Duncker & Humblot,1999 (ISBN 3-428-00200-8), vol.19, p. 683-684.
  • Clemens Regenbogen (dir.), « Überlassene Herrschaft. Pfalzgraf Otto III (+ 1248) », in Ein Raum im Umbruch? : Herrschaftsstrategien in Besançon im Hochmittelalter, Vienne, Böhlau Verlag, 2020, p. 157-176.
先代
オトン2世
ブルゴーニュ伯
1234年 - 1248年
次代
アーデルハイト
先代
オットー1世
メラーン公
1234年 - 1248年
次代
(バンベルク司教領)