オリーコラ
オリーコラ Oricola | |
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Castello di Oricola | |
行政 | |
国 | イタリア |
州 | アブルッツォ |
県/大都市 | ラクイラ |
CAP(郵便番号) | 67063 |
市外局番 | 0863 |
ISTATコード | 066062 |
識別コード | G102 |
分離集落 | Civita |
隣接コムーネ | #隣接コムーネ参照 |
地震分類 | zona 2 (sismicità media) |
気候分類 | zona E, 2738 GG |
公式サイト | リンク |
人口 | |
人口 | 1,251 [1] 人 (2018-01-01) |
人口密度 | 68 人/km2 |
文化 | |
住民の呼称 | oricolani |
守護聖人 | Santa Restituita |
祝祭日 | 5月17日 |
地理 | |
座標 | 北緯42度03分01秒 東経13度02分22.3秒 / 北緯42.05028度 東経13.039528度座標: 北緯42度03分01秒 東経13度02分22.3秒 / 北緯42.05028度 東経13.039528度 |
標高 | 810 (571 - 925) [2] m |
面積 | 18.40 [3] km2 |
ラクイラ県におけるコムーネの領域 | |
ポータル イタリア |
オリーコラ(イタリア語: Oricola)は、イタリア共和国アブルッツォ州ラクイラ県にある、人口約1,300人の基礎自治体(コムーネ)。
アブルッツォ州西端のコムーネで、ローマの東北東約50kmに位置する。ローマからアドリア海沿岸(ペスカーラなど)へ至る古来の交通路で、古くはティブルティーナ街道、現代は鉄道や高速道路(アウトストラーダ)が当地を通る。
名称
[編集]地名は、岩がちな山を意味する "coriculum" から来ている可能性がある[4]。
地理
[編集]位置・広がり
[編集]ラクイラ県西部、マルシカ地方 (Marsica) に位置する。ラクイラ県西端のコムーネであり、同時にアブルッツォ州西端のコムーネである。オリーコラの集落は、県都・州都ラクイラから南西へ43km、ローマから東北東へ49kmの距離にある[5]。
隣接コムーネ
[編集]隣接するコムーネは以下の通り。RMはローマ県所属。
- アルソリ (RM)
- カルソーリ
- ペレート
- リオフレッド (RM)
- ロッカ・ディ・ボッテ
- ヴァッリンフレーダ (RM)
- ヴィヴァーロ・ロマーノ (RM)
歴史
[編集]ローマ人以前にはアエクイ族が暮らしていた土地である。
アエクイの土地をローマ人が占領した紀元前304年頃、アニエーネ谷とマルシカの境界に築かれたローマの植民市カルシオリ (it:Carsioli) は、村域内のチヴィタ集落付近にあったと考えられている(のちにカルシオリの名はカルソーリに引き継がれた)。
当地には9世紀ころにマルシ伯 (it:Conti dei Marsi) ライノルドによって、この地に山城(ロッカ、のちのオリコーラ城) (it:Castello di Oricola) が築かれた[6]。1096年、この地域の領主となった寡婦 Aldegrina は、オリコーラやカメラータ、ペレートなどの城をモンテカッシーノ修道院 (it:Abbazia di Montecassino) に寄進した[4][7]。12世紀にはノルマン人の支配下にあり、オリコーラに属する土地を、Todino da Ponte とそのおじの Rainaldo が分割して相続した記録が残っている[4]。1242年には、シチリア王フェデリーコ1世(神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世)がオリコーラにかくまわれた逃亡者を追討するため、カルソーリを破壊してオリコーラ城を攻撃した[7]。
1381年、オリコーラはオルシーニ家の封地となった。15世紀半ばにオリコーラ城は修築され、現在の姿になった。1491年、オリコーラ城はコロンナ家の財産になったが、1528年にナポレオーネ・オルシーニがマリアーノ・デ・マルシでコロンナ家を破り、城はオルシーニ家が奪還した。1557年、オリコーラとその近隣の城は、アルベ公の部隊によって攻撃・略奪された。こうしたオルシーニ家とコロンナ家の争いは、タリアコッツォを中心とする地域全体の動向である[4]。
1806年、オリーコラの封建支配が終わり、行政自治権が認められた[4]。ペレートやロッカ・ディ・ボッテもオリーコラの管轄下に置かれたが、1907年にこの2つの村はコムーネとして独立を回復している[4]。
交通
[編集]道路
[編集]- 高速道路(アウトストラーダ)
- 国道・主要道路
カルソーリとの境界付近にA24のカルソーリ=オリーコラ出入口がある。
鉄道
[編集]- トレニタリア (FS)
- ローマ=スルモーナ=ペスカーラ線 (it:Ferrovia Roma-Sulmona-Pescara)
- オリコーラ=ペレート駅 (it:Stazione di Oricola-Pereto)
脚注
[編集]- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Total Resident Population on 1st January 2018 by sex and marital status” (英語). 2019年4月21日閲覧。
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - L'Aquila (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年10月7日閲覧。
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - L'Aquila (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年10月7日閲覧。
- ^ a b c d e f TerreMarsicane: “Storia di Oricola”. 2017年9月15日閲覧。
- ^ “地図上で2地点の方角・方位、距離を調べる”. 2017年9月15日閲覧。
- ^ “Fortificazioni di Oricola”. 2016年3月31日閲覧。
- ^ a b Giuseppe Marini. “Viaggio attraverso i paesi del Carseolano”. 2016年3月31日閲覧。