コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

オレグ・カエターニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オレグ・カエターニ
生誕 1956年????
出身地 スイスの旗 スイス
学歴 サンタ・チェチーリア音楽院
ジャンル クラシック音楽オペラ
職業 指揮者
公式サイト Oleg Caetani(オフィシャルサイト)

オレグ・カエターニ(Oleg Caetani, 1956年 ローザンヌ – )は、スイス指揮者

出自

[編集]

父はイーゴリ・マルケヴィチ、母はドンナ・トパツィア・カエターニで、スイス出身ながらウクライナ人イタリア人の混血である。母は後妻であり、前妻の息子である兄ヴァスラフ・マルケヴィチとは異母兄弟である。母方の姓を名乗り、14世紀初頭の教皇ボニファティウス8世の血統を現代に伝えている[1]

略歴

[編集]

数年間ナディア・ブーランジェの指導を受けた後、ローマサンタ・チェチーリア音楽院で指揮法をフランコ・フェラーラに、作曲法をイルマ・ラヴィナーレに師事。17歳の時、クラウディオ・モンテヴェルディの《タンクレディとクロリンダの戦い》のローマ公演でデビューを果たす。その後ソビエト連邦に留学して、モスクワ音楽院で指揮法をキリル・コンドラシンに、音楽学をナジェージダ・ニコラーイェワに師事。次いでレニングラード音楽院イリヤ・ムーシンに指揮法を師事した。また、父イーゴリ・マルケヴィチの弟子であったヘルベルト・ブロムシュテットからも教えを受けている[2]

西ベルリンのカラヤン・コンクールに優勝した後、ベルリン国立歌劇場オトマール・スイトナーの助手として指揮活動に入る。その後はヴァイマル国立劇場フランクフルト歌劇場カペルマイスターヴィースバーデン歌劇場の音楽監督を歴任した。なお、ヴィースバーデンでの後任は上岡敏之である。

2001年メルボルン交響楽団を指揮してオーストラリアにデビュー。2005年1月に同交響楽団の首席指揮者兼芸術監督に就任した。2007年にはメルボルン交響楽団を率いて2度目のヨーロッパへの演奏旅行を行い、ベルリンミラノパリマドリードを訪問した。2008年3月にメルボルン交響楽団から任期を2010年の末まで延ばすと発表されている[3]。2008年8月7日には、ショスタコーヴィチの《交響曲 第13番「バビ・ヤール」》のオーストラリア初演を指揮した [4]。同楽団と共演して、シャンドス・レーベルにアレクサンドル・タンスマンの交響曲[5]ルディ・シュテファンの管弦楽曲[6]を録音する企画が進行中である。

2001年にはミラノのスカラ座にデビューして《トゥーランドット》の公演を指揮した。2003年にはイングランド・ナショナル・オペラにデビューして《ホヴァーンシチナ》を指揮している。2005年2月にイングリッシュ・ナショナル・オペラから、ポール・ダニエルの後任として翌2006年よりカエターニを音楽監督に迎えると発表された[7]。しかし、就任を打診した当時の芸術監督ショーン・ドーランが2005年11月に辞任したため、カエターニ自身の音楽監督への就任も12月に撤回された[8]。カエターニのオーストラリアでの活動が、イングリッシュ・ナショナル・オペラにおける活動を制限するとの問題も浮上した[9]。それでも2006年の《恋するサー・ジョン》の舞台上演の契約は実現させた[10]

私生活では、2度結婚しており、最初の結婚で2女を儲け、スザンナ夫人と再婚してからさらに1女を儲けた[1]

参考文献

[編集]
  • ヘルベルト・ブロムシュテット『ヘルベルト・ブロムシュテット自伝 音楽こそわが天命』力武京子訳、樋口隆一日本語版監修、アルテスパブリッシング、2018年、ISBN 978-4-86559-192-7

脚注

[編集]
  1. ^ a b Robin Usher (2005年2月24日). “Caetani shows his hand”. The Age. http://www.theage.com.au/news/Arts/Caetani-shows-his-hand/2005/02/24/1109180029565.html 2008年11月7日閲覧。 
  2. ^ ブロムシュテット (2018)、183頁。
  3. ^ "Melbourne's Chief Conductor Extends Contract" (Press release). Melbourne Symphony Orchestra. 31 March 2008. 2009年5月8日閲覧
  4. ^ Robin Usher (2008年8月6日). “A light in the darkness”. The Age. http://www.theage.com.au/news/arts/a-light-in-the-darkness/2008/08/05/1217702041463.html 2008年11月7日閲覧。 
  5. ^ Tim Ashley (2006年4月14日). “Tansman, Symphonies 4, 5 and 6 (Chandos)”. The Guardian. http://www.guardian.co.uk/music/2006/apr/14/classicalmusicandopera.art2 2009年5月8日閲覧。 
  6. ^ Robin Usher (2005年9月19日). “MSO's man for all seasons”. The Age. http://www.theage.com.au/news/arts/msos-man-for-all-seasons/2005/09/18/1126981943008.html 2009年5月8日閲覧。 
  7. ^ Charlotte Higgins (2005年2月18日). “Italian working in Australia to lead English National Opera”. The Guardian. http://www.guardian.co.uk/uk/2005/feb/18/arts.artsnews 2009年5月8日閲覧。 
  8. ^ Jack Malvern (2005年12月29日). “ENO chief sacked before he starts”. The Times. http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article783148.ece 2009年5月8日閲覧。 
  9. ^ Charlotte Higgins (2005年12月29日). “ENO changes tune on music director”. The Guardian. http://www.guardian.co.uk/uk/2005/dec/29/arts.artsnews 2009年5月8日閲覧。 
  10. ^ Tim Ashley (2006年3月4日). Sir John in Love (Coliseum, London)”. The Guardian. http://www.guardian.co.uk/music/2006/mar/04/classicalmusicandopera1 2009年5月8日閲覧。 

ディスコグラフィー

[編集]

外部リンク

[編集]