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オーストリア帝国芸術科学勲章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
芸術科学勲章
Ehrenzeichen für Kunst und Wissenschaft

オーストリア=ハンガリー皇帝による賞
種別文化勲章 / 名誉勲章
状態廃止
標語ラテン語: LITTERIS ET ARTIBVS(文学と芸術)
歴史・統計
創設1887年8月18日
初授与1887年8月18日
総授与数120人
関連芸術科学黄金メダル(前身)
オーストリア科学芸術勲章ドイツ語版(後継)

オーストリア帝国芸術科学勲章ドイツ語: k.u.k. Österreichisches Ehrenzeichen für Kunst und Wissenschaft)は、オーストリア=ハンガリー帝国勲章(名誉勲章)。 1887年8月18日フランツ・ヨーゼフ1世がオーストリアとハンガリーの首相の同意の下、1835年にフェルディナント1世が創設した「芸術科学黄金メダル」に代わる栄典として創設した[1]

意匠

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正章は外縁を黒い七宝月桂冠に囲まれた製の楕円形メダルである。正章とオーストリア帝冠を象った金具で繋がれている。

正章表面には「FRANC·JOS·I·AVSTR-IMP·REX·BOH·ETC·ET·HVNG·REX·AP(フランツ・ヨーゼフ1世。オーストリア皇帝にしてボヘミアとハンガリーの王)」の刻印に囲まれ、右を向いて金羊毛騎士団の正装をまとったフランツ・ヨーゼフ1世の胸像が彫刻されている。

裏面には上部が開いた月桂冠に囲まれて勲章のモットーLITTERIS ET ARTIBVS(文学と芸術に)」[2]が刻印されているが、このモットーは現在のオーストリア科学芸術勲章ドイツ語版にも受け継がれている。

佩用式

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男性は正章を赤い中綬を用いて首から吊るし、女性は右胸に小綬を用いて佩用した。

受章者

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自国民、外国人の区別なく受章できたが、1899年3月以降、存命の受章者の数は40人までという制限が課せられた。記録によれば、1918年の運用廃止までに自国民95名と外国人25名の受章者が確認できる。

受章者が亡くなった後、勲章は国家に返納される決まりがあった。

主な受章者

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1887年8月18日の勲章創設時に以下の8名に授与された。

その後の主な受章者には、

がいる。その他の受章者についてはこちらのリストを参照のこと。

出典

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  1. ^ Allerhöchstes Handschreiben vom 18. August 1887, abgedruckt in der amtlichen Tageszeitung Wiener Zeitung. Nr. 189 vom 20. August 1887, S. 1.
  2. ^ Peter Diem (9 September 1994). "Orden und Ehrenzeichen – einst und heute". Austria-Forum. 2017年11月24日閲覧
  3. ^ Henryk Sienkiewicz †. In: Wiener Zeitung, 16. November 1916, p. 8 (Online at ANNO)Template:ANNO/Maintenance/wrz

参考文献

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  • Johann Stolzer, Christian Steeb: Österreichs Orden vom Mittelalter bis zur Gegenwart. Akademische Druck- und Verlagsanstalt, Graz 1996, ISBN 3-201-01649-7, S. 291f.
  • Roman von Procházka: Österreichisches Ordenshandbuch. Graf Klenau oHG, München 1974, S. 62.

関連項目

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