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オーランド諸島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オーランド自治州から転送)
オーランド自治政府
Landskapet Åland
オーランド諸島の旗
地域の旗 紋章
地域の標語:なし
地域の歌:オーランド人の歌
Ålänningens sång(スウェーデン語)
オーランド諸島の位置
公用語 スウェーデン語
主都 マリエハムン
最大の都市 マリエハムン
政府
知事 Peter Lindbäck
首相 Veronica Thörnroos
面積
総計 1,580km2N/A
水面積率 77.5
人口
総計(2020年 30,129人(N/A
人口密度 19.07人/km2
自治領1920
通貨 ユーロ€ EUR
時間帯 UTC+1 (DST:+2)
ISO 3166-1 AX / ALA
ccTLD .ax
国際電話番号 358(エリアコード 18)
オーランド諸島の位置(オーランド諸島内)
オーランド諸島
主都の位置(オーランド諸島)

オーランド諸島(オーランドしょとう、スウェーデン語: Landskapet Åland [ˈland.skɑːpət ˈoːland]フィンランド語: Ahvenanmaan maakunta、国連表記:Åland Islands)は、バルト海ボスニア湾の入り口の多島海域に位置する6,500を超える島々からなるフィンランド自治領[1]。住民のほとんどはスウェーデン系で、公用語スウェーデン語。自治政府の旗はスウェーデンの国旗の意匠である青地に黄色の十字架に、フィンランドの国章に使用されている赤を加味したものとなっている。フィンランドでは、他のと同じくmaakuntaと書かれるため、日本語でもオーランド(自治)県と表記されることもある。また、2010年1月1日に、オーランドを含むフィンランドの全州が廃止される[2]までは、他州と同様にlääniとも書かれたため、オーランド(自治)州と書かれることもあった。

なお、オーランド諸島はフィンランド領の一部であるが歴史的経緯から非武装中立が国際条約により義務づけられている地域である[3]

歴史

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オーランド諸島はフィンランドの一地方としてスウェーデン王国に帰属していたが、1809年ロシア帝国との第二次ロシア・スウェーデン戦争に敗れたことからフィンランドが割譲されたため、オーランド諸島もフィンランド大公国の一部としてロシア領となった[1]

1854年クリミア戦争に参戦したイギリスフランスはスウェーデンの参戦を確実にするため艦隊を派遣して同地のロシア軍を攻撃するが、これに対してロシアは、イマヌエル・ノーベル英語版を雇い、新兵器の機雷を使ってバルト海を封鎖する。被害拡大を憂慮したスウェーデン政府は中立政策を取ったが、英仏政府はさらなる参戦を促した。クリミア半島でのロシアの敗勢を見たスウェーデン政府はようやく参戦の意志を顕したが、すでに戦争は終結に向かっていた。

1856年のパリ講和条約によって、国境地帯であったオーランドは非武装地帯に指定された[4]。しかし第一次世界大戦の勃発とともにロシアは条約に違反してオーランドの要塞化を開始した[4]

大戦末期になるとフィンランド本土においてロシアからの独立の気運が高まり、これと並行するようにオーランドにおいてもフィンランドからの分離とスウェーデンへの再帰属を求める運動が起こり、フィンランド独立間近の1917年には、オーランドの代表がスウェーデンへの統合を求める嘆願をスウェーデン王に提出するに至る[4]。オーランド分離を阻止すべく、1920年にフィンランドはオーランドに対し広範な自治権を付与するオーランド自治法を成立させるも、オーランドは逆にスウェーデンに対し、島の帰属を決定する住民投票を実施できるように要請し、両国間の緊張が高まる結果となった[4]。このため、スウェーデンは国際連盟にオーランド問題の裁定を託し、フィンランドもこれに同意した[4]

1921年に、国際連盟の事務次官であった新渡戸稲造を中心として、オーランドのフィンランドへの帰属を認め、その条件としてオーランドの更なる自治権の確約を求めたいわゆる「新渡戸裁定」が示された。これらは両国政府の具体化作業と国際連盟の承認の後、1922年にフィンランドの国内法(自治確約法)として成立し、オーランドの自治が確立した[4]

現在フィンランド政府によって、スウェーデンへの復帰を認められているが、帰属国を問う住民投票では現状を望む人が半数を超える。スウェーデンに復帰すれば一つの県にすぎないが、フィンランドのもとでは大幅な住民自治を認められ、海洋地域であるオーランドにとって非常に自由が利くからだとされる[5]。また、現在ではスウェーデンとフィンランドは共にシェンゲン協定加盟国であり、国境を意識せず自由に往来が可能であるという事情もある。スウェーデンのストックホルムとフィンランドのヘルシンキトゥルクを結ぶフェリーのほとんどが主都マリエハムンの港に寄港する。距離的にはフィンランドよりスウェーデンのほうが近く、諸島の最西部と対岸のスウェーデンを結ぶ最短距離の航路だと、所要時間は2時間ほどである。また、航空便もストックホルムとヘルシンキ、トゥルクから飛んでいる。

オーランドの自治

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今日のオーランドの自治は、1991年に成立したオーランド自治法および1975年に成立したオーランド不動産取得法を基礎として確立している[6]。これらの法律はフィンランドにおける憲法改正手続きに加えて、オーランド議会による承認が無ければ改廃できず、憲法と同等の地位にあるとされている[6]。これらの法律により、オーランドにおけるスウェーデン語およびスウェーデン語文化の保護が実施されると同時に国の権限の大幅な委譲が行われており、オーランドでは独自の行政・財政・立法権限を保持している[7]

EU加盟に関しても自治法に基づいた運用を行っており、例えばフィンランドが批准しているEU関税同盟からは離脱しているため、オーランド地域においての関税については非加盟国に準じた扱いとなるなどの現象が実際に発生している[8]

気候

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オーランド諸島は湿潤大陸性気候に属しており、沿海に位置するため気候もその影響を受けている。夏はスウェーデンとフィンランド本土よりも涼しいものの、冬は近くのスウェーデン本土とほとんど同じで、近くのフィンランド本土よりわずかに暖かい程度である。

1981年から2010年までのマリエハムン周辺の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 10.9
(51.6)
10.5
(50.9)
15.4
(59.7)
21.1
(70)
26.7
(80.1)
29.4
(84.9)
29.9
(85.8)
30.7
(87.3)
24.8
(76.6)
19.0
(66.2)
14.1
(57.4)
10.1
(50.2)
30.7
(87.3)
平均最高気温 °C°F 0.3
(32.5)
−0.3
(31.5)
2.3
(36.1)
7.4
(45.3)
13.3
(55.9)
17.2
(63)
20.4
(68.7)
19.4
(66.9)
14.7
(58.5)
9.5
(49.1)
4.6
(40.3)
1.7
(35.1)
9.3
(48.7)
日平均気温 °C°F −2.5
(27.5)
−3.5
(25.7)
−0.9
(30.4)
3.5
(38.3)
8.5
(47.3)
12.8
(55)
16.2
(61.2)
15.3
(59.5)
10.9
(51.6)
6.5
(43.7)
2.2
(36)
−1.0
(30.2)
5.7
(42.3)
平均最低気温 °C°F −5.3
(22.5)
−6.6
(20.1)
−4.1
(24.6)
−0.5
(31.1)
3.7
(38.7)
8.2
(46.8)
11.8
(53.2)
11.1
(52)
7.1
(44.8)
3.5
(38.3)
−0.2
(31.6)
−3.7
(25.3)
2.1
(35.8)
最低気温記録 °C°F −32.3
(−26.1)
−32.9
(−27.2)
−25.0
(−13)
−18.9
(−2)
−6.5
(20.3)
−2.2
(28)
1.2
(34.2)
0.5
(32.9)
−6.7
(19.9)
−11.8
(10.8)
−20.0
(−4)
−28.9
(−20)
−32.9
(−27.2)
降水量 mm (inch) 49.7
(1.957)
31.4
(1.236)
33.4
(1.315)
28.6
(1.126)
33.4
(1.315)
52.3
(2.059)
55.6
(2.189)
75.1
(2.957)
60.0
(2.362)
68.1
(2.681)
66.5
(2.618)
56.5
(2.224)
610.5
(24.035)
出典1:Météo Climat[9]
出典2:Météo Climat[10]

祝祭日

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日付 日本語表記 スウェーデン語表記 備考
1月1日 元日 Nyårsdagen
1月6日 公現祭 Trettondagen
3月30日 非武装記念日 Ålands demilitariseringsdag 1856年のクリミア戦争終結を記念
変動祝日 聖金曜日 Långfredag 復活祭の2日前
変動祝日 復活祭 Påskdagen
変動祝日 イースターマンデー Annandag påsk 復活祭の翌日
4月30日 ワルプルギスの夜 Valborgsmässoafton
5月1日 メーデー Första maj
変動祝日 昇天祭 Kristi himmelsfärdsdag 復活祭から40日後
変動祝日 聖霊降臨祭 Pingstdagen 復活祭から50日後
変動祝日 ホワイトマンデー Annandag Pingst 復活祭から51日後
6月9日 ナショナル・ホリデー 地方政府の最初会合が行われたことを記念
6月第3金曜日 仲夏節の前日 Midsommarafton
6月第3土曜日 仲夏節 Midsommardagen
11月第1土曜日 諸聖人の日 Alla helgons dag
12月6日 独立記念日 Självständighetsdagen 1917年にフィンランドがロシアから独立したことを記念
12月24日 クリスマス・イヴ Julafton
12月25日 クリスマス Juldagen
12月26日 ボクシング・デー Annandag jul

自治体

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オーランド諸島とトゥルク諸島の地図

3つの郡と、その下に16の自治体がある。

マリエハムン郡

オーランド農村郡

オーランド諸島郡

人口

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出生率と死亡率

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ホマラ英語版で行われた伝統の結婚式の演出。この結婚式は1800年代の農民の結婚式(bondbröllop)の再現であり、主に観光スポットとして年1回行われる。

出生率と死亡率の出典は[11]を参照。

平均人口 出生数 死亡数 自然増加数 粗出生率(千人当り) 粗死亡率(千人当り) 自然増加率(千人当り)
1951 340 279 61
1952 362 221 141
1953 382 260 122
1954 331 244 87
1955 303 200 103
1956 330 209 121
1957 327 248 79
1958 330 217 113
1959 313 226 87
1960 328 250 78
1961 317 237 80
1962 297 229 68
1963 293 222 71
1964 315 264 51
1965 331 229 102
1966 324 226 98
1967 338 223 115
1968 314 244 70
1969 298 262 36
1970 283 225 58
1971 302 228 74
1972 296 219 77
1973 299 229 70
1974 283 255 28
1975 296 219 77 13.3 9.9 3.4
1976 275 203 72
1977 247 202 45
1978 268 215 53
1979 262 192 70
1980 22,700 300 236 64 13.2 10.4 2.8
1981 22,900 267 214 53 11.7 9.4 2.3
1982 23,100 287 214 73 12.4 9.3 3.2
1983 23,300 281 246 35 12.0 10.5 1.5
1984 23,500 273 230 43 11.6 9.8 1.8
1985 23,600 287 241 46 12.2 10.2 1.9
1986 23,600 272 213 59 11.5 9.0 2.5
1987 23,700 276 220 56 11.6 9.3 2.4
1988 23,900 345 216 129 14.4 9.0 5.4
1989 24,100 323 297 26 13.4 12.3 1.1
1990 24,400 362 226 136 14.8 9.3 5.6
1991 24,700 324 256 68 13.1 10.4 2.8
1992 24,900 325 278 47 13.0 11.2 1.9
1993 25,000 329 241 88 13.1 9.6 3.5
1994 25,100 303 261 42 12.1 10.4 1.7
1995 25,200 338 258 80 13.4 10.2 3.2
1996 25,200 290 281 9 11.5 11.1 0.4
1997 25,300 286 241 45 11.3 9.5 1.8
1998 25,500 311 237 74 12.2 9.3 2.9
1999 25,700 287 297 −10 11.2 11.6 −0.4
2000 25,700 258 247 11 10.0 9.6 0.4
2001 25,900 283 228 55 10.9 8.8 2.1
2002 26,100 269 236 33 10.3 9.0 1.3
2003 26,300 262 268 −6 10.0 10.2 −0.2
2004 26,400 281 262 19 10.6 9.9 0.7
2005 26,600 268 259 9 10.1 9.7 0.3
2006 26,800 295 257 38 11.0 9.6 1.4
2007 27,000 286 249 37 10.6 9.2 1.4
2008 27,300 294 250 44 10.8 9.2 1.6
2009 27,600 267 247 20 9.7 9.0 0.7
2010 28,007 286 255 31 10.2 9.1 1.1
2011 28, 355
2012 28,502
2013 28, 666
2013 29, 013

宗教

[編集]
フィンランド最古である聖オーロフ教会英語版

オーランド諸島の住民の大半がフィンランド福音ルター派教会に属する。諸島にはフィンランド最古のキリスト教会があり、うち13世紀末に建てられた聖オーロフ教会英語版はフィンランド最古である可能性が高い。諸島最大の教会はスンド教会フィンランド語版であり、聖オーロフ教会が建てられたほぼ直後に建てられている[12]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 百瀬2008、p.136。
  2. ^ New regional administration model abolishes provinces in 2010”. HELSINGIN SANOMAT. 2012年7月15日閲覧。
  3. ^ 石垣泰司「戦後の欧州情勢の変化とフィンランドの中立政策の変貌」 外務省調査月報 2000 No.2
  4. ^ a b c d e f 百瀬2008、p.137。
  5. ^ 百瀬1996、p.100。
  6. ^ a b 百瀬2008、p.138。
  7. ^ 百瀬2008、p.139。
  8. ^ 百瀬2008、p.141。
  9. ^ Finland climate averages 1981–2010”. Météo Climat. 2017年11月5日閲覧。
  10. ^ Extreme values for Jomala Maarianahaminan Lentoansema”. Météo Climat (2017年3月19日). 2017年11月5日閲覧。
  11. ^ Välkommen till ÅSUB! - Ålands statistik- och utredningsbyrå”. Asub.ax. 26 October 2017閲覧。
  12. ^ Churches in Åland”. Muuka.com. 26 October 2017閲覧。

参考文献

[編集]
  • 百瀬宏石野裕子『フィンランドを知るための44章』明石書店、2008年。ISBN 978-4-7503-2815-7 
  • 百瀬宏村井誠人監修『北欧』新潮社、1996年。ISBN 4-10-601844-6 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]

座標: 北緯60度15分 東経20度22分 / 北緯60.250度 東経20.367度 / 60.250; 20.367