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カウドレー子爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カウドレー子爵

紋章記述

Arms:Per fess indented Gules and Or in chief two Suns in Splendour and in base a Demi-Gryphon couped all counterchanged Crest:In front of a Demi Gryphon Gules holding between its claws a Millstone proper thereon Mill-Rind Sable a Sun in Splendour Supporters:Dexter: a Diver holding in his exterior hand his Helmet all proper; Sinister: a Mexican peon also proper
創設時期1917年1月2日
創設者ジョージ5世
貴族連合王国貴族
初代初代子爵ウィートマン・ピアソン
現所有者4代子爵マイケル・ピアソン英語版
相続人ペレグリン・ピアソン閣下
相続資格初代子爵の嫡出直系男子
付随称号カウドレー男爵
(パドックハーストの)準男爵
現況存続
旧邸宅カウドレー・パーク英語版
モットーDo It With Thy Might

カウドレー子爵(カウドレーししゃく、: Viscount Cowdray)は、イギリスの子爵貴族連合王国貴族爵位。実業家ウィートマン・ピアソン1917年に叙位されたことに始まる。

歴史

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初代カウドレー子爵ウィートマン・ピアソン
子爵家の邸宅カウドレー・パーク英語版を描いた絵画。

コングロマリット「ピアソン」を率いる実業家ウィートマン・ピアソン(1856-1927)1894年(パドックハーストの)準男爵(Baronet, of Paddockhurst)を授けられた[注釈 1][2][1]。ピアソンは続く1910年には連合王国貴族としてサセックス州ミッドハーストのカウドレー男爵(Baron Cowdray, of Midhurst in the County of Sussex)に叙されて貴族に列した[2][3][4]。彼はさらに1917年サセックス州カウドレーのカウドレー子爵(Viscount Cowdray, of Cowdray in the County of Sussex)を得て、子爵家を興している[2][4][5]

その息子である2代子爵ハロルド英語版(1882-1933)サフォーク州アイ選挙区英語版選出の庶民院議員を務めた[2][4]。彼ののちはその長男ジョンが爵位を襲った[2]

3代子爵ジョン英語版(1910-1995)第二次世界大戦従軍時に左腕を失うも、競技用義手を完成させるほどにポロ競技を愛した人物である[6]。1954年に叔父からピアソンの会長職を引き継いで1977年まで同職にあった[6]。彼が1995年に没すると、その息子マイケル英語版が爵位を継承した[2]。彼が2021年現在の子爵家当主である。


子爵家のカントリー・ハウスは、ウェスト・サセックス州ミッドハースト英語版近郊のカウドレー・パーク英語版である。4代子爵が2011年にその邸宅を売りに出し、後にアパートへの転用を提案している[7]

子爵家のモットーは『汝の力で為せ(Do It With Thy Might)[2][4]

現当主の保有爵位 / 準男爵位

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現当主である第4代カウドレー子爵マイケル・ピアソン英語版は以下の爵位及び準男爵位を有する[2]

カウドレー子爵(1917年)

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爵位の推定相続人は、当代の息子であるペレグリン・ジョン・ディッキンソン・ピアソン(1994年生まれ)。

脚注

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注釈

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  1. ^ 官報「London Gazette」では、『(サセックス州ワース教区パドックハースト及びロンドン州ケンジントン、セント・メアリー・アボッツ教区エアリー・ガーデンズの)準男爵(Baronet, of Paddockhurst, in the Parish of Worth, in the County of Sussex, and of Airlie Gardens, in the Parish of St Mary Abbots, Kensington, in the County of London)』の正式名称で触れられている[1]。ただし、本文では領地指定部分が長すぎるため、単に『(パドックハーストの)準男爵』とした。

出典

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  1. ^ a b "No. 26526". The London Gazette (英語). 26 June 1894. p. 3652.
  2. ^ a b c d e f g h Heraldic Media Limited. “Cowdray, Viscount (UK, 1917)” (英語). www.cracroftspeerage.co.uk. Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2021年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月5日閲覧。
  3. ^ "No. 28398". The London Gazette (英語). 22 July 1910. p. 5268.
  4. ^ a b c d Arthur G.M. Hesilrige (1921). Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. pp. 244-245. https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse/page/244/mode/2up 
  5. ^ "No. 29924". The London Gazette (英語). 30 January 1917. p. 1053.
  6. ^ a b Owen, Geoffrey. "Pearson, Weetman John Churchill, third Viscount Cowdray". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/59793 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  7. ^ Viscount Cowdray to Convert Ancestral Home into Luxury Flats

外部リンク

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関連項目

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