ピアソン準男爵
ピアソン準男爵(ピアソンじゅんだんしゃく、Pearson baronets)は、イギリスの準男爵位[注釈 1]。いずれも「ピアソン」姓の者に授与されている。過去に連合王国の準男爵位として3回創設された。2010年現在、そのうち2つが存続している。
パドックハーストのピアソン準男爵(1894年)
[編集]サセックス州パドックハーストのピアソン準男爵(Pearson Baronetcy, of Paddockhurst, in the County of Sussex)は、ウィートマン・ピアソンが1894年6月26日に連合王国準男爵位として叙位されたことに始まる[1][2]。1910年にカウドレー男爵の称号を得たため、準男爵位は統合された[1]。この創設についての詳細は、カウドレー子爵を参照のこと。
セント・ダンスタンのピアソン準男爵(1916年)
[編集]ロンドン州セント・ダンスタンズのピアソン準男爵(Pearson Baronetcy, of St. Dunstan's in the County of London)は、新聞出版者アーサー・ピアソンが1916年7月12日に連合王国準男爵位として授けられたことを嚆矢とする[3][4]。初代準男爵は『デイリー・エクスプレス』の創始者である[4]。その息子である2代準男爵ネヴィル・ピアソンが1982年に死去すると、この準男爵位は廃絶した[5]。
- 初代準男爵サー・アーサー・ピアソン (Sir (Cyril) Arthur Pearson, 1st Baronet, 1866-1921)
- 第2代準男爵サー・ネヴィル・ピアソン (Sir Neville Arthur Pearson, 2nd Baronet, 1898-1982)
グレッシンガムのピアソン準男爵(1964年)
[編集]ランカスター王権伯領グレッシンガムのピアソン準男爵(Pearson Baronetcy, of Gressingham in the County Palatine of Lancaster)は、クリザーロー選挙区選出の保守党所属庶民院議員フランシス・ピアソンが1964年12月30日に連合王国準男爵位として叙されたことを発端とする[6][7]。
- 初代準男爵サー・フランシス・ピアソン (Sir Francis Fenwick Pearson, 1st Baronet, 1911-1991)
- 第2代準男爵サー・フランシス・ニコラス・フレイザー・ピアソン (Sir Francis Nicholas Fraser Pearson, 2nd Baronet, 1943-)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 準男爵位は爵位と異なり、準男爵という肩書だけ与えられる(「○○準男爵」といった形では与えられない)。他の準男爵位と区別する必要がある場合にのみ姓名を付けたり、由来する地名を付けたりして区別する
出典
[編集]- ^ a b Heraldic Media Limited. “Cowdray, Viscount (UK, 1917)” (英語). www.cracroftspeerage.co.uk. Cracroft's Peerage. 2021年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月5日閲覧。
- ^ "No. 26526". The London Gazette (英語). 26 June 1894. p. 3652.
- ^ "No. 29730". The London Gazette (英語). 1 September 1916. p. 8592.
- ^ a b McKernan, Luke. "Pearson, Sir (Cyril) Arthur, first baronet". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/35441。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ “Extinct United Kingdom Baronetcies”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2021年2月5日閲覧。
- ^ “Current United Kingdom Baronetcies I - P”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2021年2月5日閲覧。
- ^ "No. 43538". The London Gazette (英語). 1 January 1965. p. 83.