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カバリエリエース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カバリエリエース
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1978年5月11日
死没 1981年11月29日
ハーディカヌート
カバリダナー
母の父 パーシア
生国 日本の旗 日本北海道門別町
生産者 賀張仲川牧場
馬主 (有)賀張仲川牧場
調教師 佐藤勝美美浦北
競走成績
生涯成績 10戦3勝
獲得賞金 6345万1400円
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カバリエリエースは、日本競走馬。おもな勝ち鞍は、クイーンカップ4歳牝馬特別(オークストライアル)

なお、当項目では馬齢を当時の表記方法(数え年)で記述する。

経歴

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母・カバリダナーと同じく4歳シーズン開幕早々の1981年1月24日にデビュー。結果は、3番人気であったが鮮やかに差し切り勝ち。母と同じく、デビュー戦を飾った。この勝利の勢いに乗ってか、果敢にも2戦目に重賞・クイーンカップに挑戦となった。同レースには、前年の3歳牝馬チャンピオン・テンモンが大本命として参戦した結果、僅か6頭と言う寂しいメンバー構成となった。このレースで、カバリエリエースは最低人気を跳ね返し優勝。良馬場でテンモンを破った初の馬となった。

その後、次走を重馬場に足を掬われたか1番人気を裏切る3着敗退に終わったものの、母が2着惜敗に終わった4歳牝馬特別を1番人気で快勝。『打倒テンモンの本命』として、オークスには母と同じ2番人気で挑戦となった。

だが、カバリエリエースのオークス(24頭)は、スタート直後の信じられないヨレが致命傷となり、後ろには21番人気のカイエンオーカンだけと言う惨敗を喫してしまう。

このレース惨敗以降、ツキを無くしたカバリエリエースは良い所なく負け続け、同年11月29日ダービー卿チャレンジトロフィーではとうとうレース中に故障を発症し予後不良となった。

なお、1歳下に弟・タカラテンリュウ毎日王冠東京新聞杯ダイヤモンドステークス)がいるが、当馬も1番人気に支持された1983年秋の天皇賞惨敗以降不振に陥り、1986年2月16日目黒記念でレース中に故障を発症し予後不良と言う、カバリエリエースと同様の運命を辿っている。

血統表

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カバリエリエース血統ファリス系 / Blandford 4x5=9.38%) (血統表の出典)

*ハーディカヌート
Hardicanute
1962 黒鹿毛 イギリス
父の父
*ハードリドン
Hard Ridden
1955 鹿毛 イギリス
Hard Sauce Ardan
Saucy Bella
Toute Belle Admiral Drake
Chatelaine
父の母
Harvest Maid
1949 鹿毛 イギリス
Umidwar Blandford
Uganda
Hay Fell Felstead
Hay Fever

カバリダナー
1972 栗毛 日本
*パーシア
Parthia
1956 鹿毛 イギリス
Persian Gulf Bahram
Double Life
Lightning Hyperion
Chenille
母の母
*トライスティングロード
Trysting Road
1963 栗毛 アメリカ
Hasty Road Roman
Traffic Court
Countess Rullah Count Fleet
Nasrulline F-No.4-k


※母・カバリダナーは京都牝馬特別優勝馬。

外部リンク

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