カール・ライヒェルト
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カール・ライヒェルト Carl Reichert | |
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アントン・ロマコによる肖像画 | |
生誕 |
1836年8月27日 オーストリア帝国,ウィーン |
死没 |
1918年4月5日 (77歳没) オーストリア=ハンガリー帝国,グラーツ |
カール・ライヒェルト(Carl Reichert または Karl Reichert 、1836年8月27日 - 1918年4月5日)はオーストリアの画家である。 J. Hartung の名前でも活動した。風景画や動物画を描いた。
略歴
[編集]ウィーン生まれ。父親は歴史画の画家、版画家、写真家のハインリヒ・ライヒェルトである[1]。グラーツの絵画学校(Ständische Zeichnungsakademie)で学び、教師で友人となったJosef Kuwasseg (1799-1859) と1854年に画集「Burgalbum für Erzherzogin Sophie」を出版した。これはグラーツ城が一部取り壊される前後を描いた画集である。1865年に父親の都市景観の画集を完成した[2]。
ミュンヘン美術院で学び1866年から1869年の間はイタリアで修行した後、オーストリアに戻り、都会の景観や動物画。特に犬や猫を描いた。1874年にウィーン画家組合の会員になり。ウィーンのキュンストラーハウスの展覧会に出展した。
作品
[編集]-
「家族の最愛の犬」(1915)
-
「パグ」
脚注
[編集]- ^ Margarete Payer In: Literatur- und kulturgeschichtliches Handbuch der Steiermark online, Eintrag: 'Carl Reichert', Juni 2011
- ^ Constantin von Wurzbach In: Biographisches Lexikon des Kaiserthums Oesterreich, Band 25, S. 179–180
参考文献
[編集]- Constantin von Wurzbach: Reichert, Karl. In: Biographisches Lexikon des Kaiserthums Oesterreich. 25. Theil. Kaiserlich-königliche Hof- und Staatsdruckerei, Wien 1873, S. 179 f. (Digitalisat).
- G. Gsodam: Reichert Karl. In: Österreichisches Biographisches Lexikon 1815–1950 (ÖBL). Band 9, Verlag der Österreichischen Akademie der Wissenschaften, Wien 1988, ISBN 3-7001-1483-4, S. 34.
- Ruth Binder, Der Maler und Graphiker Carl Reichert (1836–1918) unter besonderer Berücksichtigung seines topographischen Werkes, Universität Graz, Dissertation, 1982.