ガリナ・クラコワ
獲得メダル | ||
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グルノーブル五輪でのクラコワ | ||
ソビエト連邦 | ||
女子クロスカントリースキー | ||
オリンピック | ||
金 | 1972 札幌 | 5km |
金 | 1972 札幌 | 10km |
金 | 1972 札幌 | 3×5kmリレー |
金 | 1976 インスブルック | 4×5kmリレー |
銀 | 1968 グルノーブル | 5km |
銀 | 1980 レークプラシッド | 4×5kmリレー |
銅 | 1968 グルノーブル | 3×5kmリレー |
銅 | 1976 インスブルック | 10km |
剥奪 | 1976 インスブルック | 5km |
ノルディックスキー世界選手権 | ||
金 | 1970 Vysoké Tatry | 5km |
金 | 1970 Vysoké Tatry | 3x5kmリレー |
金 | 1974 Falun | 5km |
金 | 1974 Falun | 10km |
金 | 1974 Falun | 4x5kmリレー |
銀 | 1978 Lahti | 20km |
銅 | 1970 Vysoké Tatry | 10km |
銅 | 1978 Lahti | 4x5kmリレー |
ガリナ・クラコワ(Galina Alexeyevna Kulakova、ロシア語: Гали́на Алексе́евна Кулако́ва、1942年4月29日 - )はソビエト連邦ウドムルト自治ソビエト社会主義共和国(現在のロシア連邦共和国ウドムルト共和国)東部Logachi村出身の元クロスカントリースキー選手。冬季オリンピックに4度出場し計8個のメダルを獲得した。
プロフィール
[編集]自身初のオリンピックとなる1968年グルノーブルオリンピックの5kmで銀、リレーで銅と2個のメダルを獲得、10kmで6位と活躍し、女子クロスカントリースキー界の第一人者への道を歩みはじめた。
1970年ノルディックスキー世界選手権では金メダル2個、1972年札幌オリンピックと1974年ノルディックスキー世界選手権ではともに金メダルを3個ずつ獲得し、1970年代を代表する選手となった。1972年にはレーニン勲章を受章した。
1976年インスブルックオリンピックも有力選手として出場、最初の種目である5kmではヘレナ・タカロ(フィンランド)、ライサ・スメタニナ(ソビエト連邦)に次いで3番目のタイムでゴールしたが、禁止薬物のエンフェドリンを含む鼻炎スプレーを使用したため失格となった。しかしながらその後の10kmとリレーへの出場は認められ、10kmでは銅メダル、リレーでは金メダルを獲得した。
1978年ノルディックスキー世界選手権では20km銀メダル、リレーで銅メダルを獲得。1980年、4度目のオリンピックとなったレークプラシッドオリンピックでもリレーで銀メダルを獲得した。
その他1970年と1979年のホルメンコーレンスキー大会10kmで優勝、1978-1979シーズンのクロスカントリースキー・ワールドカップテスト大会で総合優勝。また1969年から1981年の間にソビエト連邦選手権で計39個のタイトルを獲得した。
1982年限りで現役を引退、1984年にはオリンピックオーダー銀賞を受賞した。
外部リンク
[編集]- ガリナ・クラコワ - 国際スキー連盟のプロフィール
- ガリナ・クラコワ - Olympedia
- ホルメンコーレン大会優勝者一覧(PDF)