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1968年グルノーブルオリンピック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1968年グルノーブルオリンピック
第10回オリンピック冬季競技大会
X Olympic Winter Games
開催国・都市 フランスの旗 フランス グルノーブル
参加国・地域数 37
参加人数 1,158人
競技種目数 6競技35種目
開会式 1968年2月6日
閉会式 1968年2月18日
開会宣言 シャルル・ド・ゴール大統領
選手宣誓 レオ・ラクロワ
最終聖火ランナー アラン・カルマ
主競技場 スタッド・レディゲール
冬季
夏季
オリンピックの旗 Portal:オリンピック
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1968年グルノーブルオリンピック(1968ねんグルノーブルオリンピック)は、1968年2月6日から2月18日までフランスグルノーブルで行われた冬季オリンピックグルノーブル1968(Grenoble 1968)と呼称される。記録映画の『白い恋人たち』(監督クロード・ルルーシュフランソワ・レシャンバック)でも知られている。また、初めてマスコットが登場したオリンピックでもあった。

大会開催までの経緯

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グルノーブルの開催は、1964年1月28日にオーストリアインスブルックで開催されたIOC総会で開催が決定された[1]。ただし、1回目の投票で3都市が落選する異例の事態となった。また日本国内では札幌の他軽井沢・日光なども候補として上がっていた[2]

1968年冬季オリンピック 開催地投票
都市 1回目[1] 2回目[1] 3回目
グルノーブル フランスの旗 フランス 15 18 27
カルガリー カナダの旗 カナダ 12 19 24
ラハティ  フィンランド 11 14 -
札幌市 日本の旗 日本 6 - -
レークプラシッド アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 3 - -
オスロ  ノルウェー 1 - -

大会マスコット

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シュス(デザイン:M.Lafargue)

ハイライト

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大回転でフィニッシュしたジャン=クロード・キリー
  • 次回の4年後に1972年札幌オリンピックの開催が決まっていた日本勢はこの大会に過去最高の62選手を送り込んだ。しかし、1月28日に男子スピードスケート500mで世界新記録を出したばかりの鈴木惠一も8位とメダルはおろか6位入賞すら果たせず、次回の開催に不安と課題を残す結果となってしまった。
  • スキージャンプ90m級では藤沢隆が1本目2位に付けたが、2本目は失敗ジャンプでメダルを逃した(18位)。
  • 男子アルペンスキーでは地元フランスのジャン=クロード・キリーが滑降、大回転、回転の三冠を達成して大会のヒーローとなった。

実施競技

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競技会場

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  • スタッド・オランピック・ド・グルノーブル(開会式)
  • シャンルッス(男子アルペンスキー)
  • プランター・ムニシパレ(アイスホッケー)
  • オトラン(クロスカントリー、バイアスロン、ノルディック複合、スキージャンプ(70m級))
  • ピステ・デ・ボブスレー・リュージュ(ボブスレー、リュージュ)
  • ルコワン・デ・シャンルッス(女子アルペンスキー)
  • Saint-Nizier-du-Moucherotte(スキージャンプ(90m級))

各国の獲得メダル

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国・地域
1 ノルウェー ノルウェー 6 6 2 14
2 ソビエト連邦 ソビエト連邦 5 5 3 13
3 フランス フランス(開催国) 4 3 2 9
4 イタリア イタリア 4 0 0 4
5 オーストリア オーストリア 3 4 4 11
6 オランダ オランダ 3 3 3 9
7 スウェーデン スウェーデン 3 2 3 8
8 西ドイツ 西ドイツ 2 2 3 7
9 アメリカ合衆国 アメリカ合衆国 1 5 1 7
10 東ドイツ 東ドイツ 1 2 2 5
フィンランド フィンランド 1 2 2 5

主なメダリスト

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大会終了後

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日本では大会終了後の3月上旬よりフランス造幣局製造の大会記念銀メダルが2000個輸入され、直径5cmで銀50gの大が9000円、直径3.5cmで銀15gの小が4000円で発売された[3]

脚注

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  1. ^ a b c 冬季五輪札幌招致成らず IOC総会グルノーブル(仏)に決定 - 新聞と写真に見る北海道昭和史(北海道新聞社 1989年)157頁
  2. ^ 渋谷努「札幌オリンピック招致ポスターから見える北海道・アイヌと内地の境界」『社会科学研究』第39巻第2号、2019年3月、255-280頁、NAID 120006599368 
  3. ^ 告知板 読売新聞 1968年2月18日 朝刊9ページ

関連項目

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外部リンク

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