ガーター主席紋章官
ガーター主席紋章官(ガーターしゅせきもんしょうかん、英: Garter Principal King of Arms)は、イギリスの紋章官。ガーター紋章官頭とも訳される[1]。上級紋章官(キング・オブ・アームズ)の筆頭に位置し、典礼・紋章を統括する国務大官の軍務伯(ノーフォーク公爵家が世襲)を補佐する。2024年現在、デイヴィッド・ホワイトが主席紋章官を務める。
イギリス ガーター主席紋章官 Garter Principal King of Arms | |
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主席紋章官の紋章 | |
種類 | キング・オブ・アームズ |
所属機関 | 紋章院 |
任命 | 国王チャールズ3世 |
任期 | 陛下の仰せのままに |
創設 | 1415年 |
初代 | ウィリアム・ブルージュ |
俸給 | 年間 651,515 GBP(2021年)[2] |
ウェブサイト | College of Arms Official website |
概要
[編集]その起源は、ヘンリー5世が1415年にウィリアム・ブルージュを任命したことに始まる[1]。与えられた役割としては、上級紋章官としてガーター騎士団の紋章について取り仕切ること、紋章院を統べる立場(ただし名目上の紋章院総裁は軍務伯)にあることであった。この二つの役割はいずれもブルージュへの任官がイギリス史上初の事例であった[3][4]。その大きな権限から、ブルージュは周囲の紋章官の反感を買ったという[1]。
ガーター主席紋章官の他の職務としては、ガーター勲爵士叙任式の際に中心的な役割を演じる点にある。ガーター主席紋章官は黒杖官とともに新勲爵士を引き連れてウィンザー城「玉座の間」に入る[5]。新勲爵士は現役の騎士2名に伴われて君主の前に導かれ、君主から勲章(大綬章、星章)を授与される。その後、男性が左足につけるガーターを渡すのもガーター主席紋章官の役割である[5]。
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紋章院に飾られている上級紋章官のバナー。最も奥のものがガーター主席紋章官のもの。
歴史
[編集]初代主席紋章官のブルージュより連綿と続いているが、サー・ギルバート・デシックが1584年に死去した際、18か月ほど空位だった時期がある。後を継いだのは息子サー・ウィリアム・デシックだったが、ウィリアムは職権を越えた紋章の承認行為を行ったり、従来認められていなかった主席紋章官の役割(紋章の不正使用者を訪問する権利)を不正に勅許状に追加するなど、違法行為を犯しつづけたため、解任に追い込まれている[4]。
複数の主席紋章官が就任していたケースもある。例えば清教徒革命期、サー・エドワード・ウォーカーとサー・エドワード・ビッシュが共同就任していた時期がある[4]。さらに18世紀にも、ジョン・アンスティス主席紋章官の在職中(1727年)、その子ジョンの共同就任が決まり、1730年に正式に就任宣誓を行っている[6]。
その歴史を振り返ると、主席紋章官はガーターの剥奪にも関与した。第一次世界大戦勃発後に反独感情が高まった際、ジョージ5世は、「ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世のガーター勲章を過去の先例にならって剥奪すべし」という新聞投書を読み、アルフレッド・スコット=ゲティ主席紋章官にガーターを剥奪できるか問うてきた。スコット=ゲティは「投書の内容は史実であり、国王は騎士団の主権者として剥奪は可能」と回答している[7]。これを受けてジョージ5世は、1915年に騎士団員のヴィルヘルム2世以下ドイツ諸侯やオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世を対象にそのバナーを撤去した[8]。
服飾
[編集]15世紀以降、ガーター主席紋章官は、盾とロズンジであしらわれた冠(コロネット)を着用するのが正装となった[9]。その後18世紀以降に、外周を葉飾りであしらったデザインへ変更されて現在に至る[9]。
また職杖とバッジ(副紋章)も与えられ、いずれもガーター騎士団の紋章が描かれている。1906年に、主席紋章官に黒いバトンも下賜されることとなったが、1953年に現在の白いバトンへと変更されている[9]。
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サー・ジェラルド・ウォラストン主席紋章官。コロネット、バトンを手に持つ。
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エリザベス2世の国葬に参列するデイヴィッド・ホワイト主席紋章官。バトンを手に持つ。
俸給
[編集]ガーター主席紋章官の俸給は、国王から支払われる年収(49.07 英ポンド)に加えて、大蔵省からの公職に対する給与(2018年時点で35,000 英ポンド)が加算される[2]。2021年時点で、当時のガーター主席紋章官トマス・ウッドコックに支払われた総額は、651,515 英ポンドである。また公務に対する費用補填として74,579.02 英ポンドが支給されている[2]。
一覧
[編集]写真・
肖像 |
紋章 | 氏名 | 在任期間 | 出典 |
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ウィリアム・ブルージュ | 1417年 - 1450年 | [4] | ||
ジョン・スマート | 1450年 - 1478年 | |||
ジョン・ライズ | 1478年 - 1504年 | |||
トマス・ライスリー | 1505年 - 1534年 | |||
トマス・ウォール | 1534年 - 1536年 | |||
クリストファー・バーカー | 1536年 - 1550年 | |||
サー・ギルバート・デシック | 1550年 - 1584年 | |||
空位 | ||||
サー・ウィリアム・デシック | 1586年 - 1606年 | [4] | ||
サー・ウィリアム・シーガー | 1607年 - 1633年 | |||
サー・ジョン・バラ | 1633年 - 1643年 | |||
サー・ヘンリー・セントジョージ | 1644年 | |||
サー・エドワード・ウォーカー | 1645年 - 1677年 | |||
サー・エドワード・ビッシュ | 1646年 - 1660年 | |||
サー・ウィリアム・ダグデイル | 1677年 - 1686年 | |||
サー・トマス・セントジョージ | 1686年 - 1703年 | |||
サー・ヘンリー・セントジョージ | 1703年 - 1715年 | |||
ジョン・アンスティス(父) | 1714年 - 1744年 | |||
ジョン・アンスティス(子) | 1727年 - 1754年 | |||
ステファン・リーク | 1754年 - 1773年 | |||
チャールズ・タウンリー | 1773年 - 1774年 | |||
トマス・ブラウン | 1774年 - 1780年 | |||
ラルフ・ビグランド | 1780年 - 1784年 | |||
サー・アイザック・ハード | 1784年 - 1822年 | |||
サー・ジョージ・ネイラー | 1822年 - 1831年 | |||
サー・ラルフ・ビグランド | 1831年 - 1838年 | |||
サー・ウィリアム・ウッズ | 1838年 - 1842年 | |||
サー・チャールズ・ヤング | 1842年 - 1869年 | |||
サー・アルバート・ウッズ | 1869年 - 1904年 | |||
サー・アルフレッド・スコット=ゲティ | 1904年 - 1918年 | |||
サー・ヘンリー・ファーナム・バーク | 1919年 - 1930年 | |||
サー・ジェラルド・ウォラストン | 1930年 - 1944年 | |||
サー・アルガー・ハワード | 1944年 - 1950年 | |||
サー・ジョージ・ベリュー | 1950年 - 1961年 | |||
サー・アンソニー・ワグナー | 1961年 - 1978年 | |||
サー・アレクザンダー・コール | 1978年 - 1992年 | [10][11] | ||
サー・コンラード・スワン | 1992年 - 1995年 | [12] | ||
サー・ ピーター・グウィン=ジョーンズ |
1995年 - 2010年 | [13][14] | ||
サー・トマス・ウッドコック | 2010年 - 2021年 | [15][16] | ||
デイヴィッド・ホワイト | 2021年 - | [17] |
脚注
[編集]注釈
[編集]
出典
[編集]- ^ a b c スレイター (2019), p. 38.
- ^ a b c “HM Treasury Payments to Garter King of Arms Thomas Woodcock - a Freedom of Information request to Her Majesty's Treasury” (英語). WhatDoTheyKnow (2021年1月3日). 2021年1月27日閲覧。
- ^ “Kings of Arms” (英語). College of Arms Official website. The Officers of Arms. College of Arms. 2024年12月6日閲覧。
- ^ a b c d e Walter H Godfrey; Anthony Wagner (1963年). “Garter King of Arms | British History Online”. www.british-history.ac.uk. 『British History Online』. ロンドン大学歴史研究所、イギリス議会. pp. 38-74. 2024年12月1日閲覧。
- ^ a b スレイター (2019), p. 158.
- ^ Godfrey, Walter H.; Wagner, Anthony (1963). "Garter King of Arms". Survey of London, College of Arms, Queen Victoria Street (英語). Vol. 16. London: Guild & School of Handicraft. pp. 38–74. British History Onlineより。
- ^ 君塚 (2014), pp. 170–173.
- ^ 君塚 (2014), p. 186.
- ^ a b c スレイター (2019), p. 41.
- ^ "No. 47657". The London Gazette (英語). 5 October 1978. p. 11838. 2024年12月15日閲覧。
- ^ "No. 53071". The London Gazette (英語). 8 October 1992. p. 16835. 2024年12月15日閲覧。
- ^ “Sir Conrad Swan obituary” (英語). www.thetimes.com (2019年2月12日). 2024年12月15日閲覧。
- ^ "No. 54193". The London Gazette (英語). 24 October 1995. p. 14335.
- ^ "No. 59385". The London Gazette (英語). 8 April 2010. p. 6033.
- ^ "No. 59385". The London Gazette (英語). 8 April 2010. p. 6033.
- ^ "No. 63408". The London Gazette (英語). 5 July 2021. p. 77.
- ^ "No. 63408". The London Gazette (英語). 5 July 2021. p. 77.
参考文献
[編集]- 君塚, 直隆『女王陛下のブルーリボン-英国勲章外交史-』(初版)中央公論新社、東京都中央区〈中公文庫〉、2014年。ISBN 978-4122058927。
- スレイター, スティーヴン 著、朝治 啓三 訳『【図説】紋章学事典』(第1版)創元社、2019年9月30日。ISBN 978-4-422-21532-7。