キッシー (シエラレオネ)
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キッシー | |
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座標:北緯8度28分 西経13度12分 / 北緯8.467度 西経13.200度 | |
国 | シエラレオネ |
地域 | 西部地域 |
地区 | アーバン地区 |
等時帯 | UTC-5 (GMT) |
キッシー(Kissy)はシエラレオネの首都フリータウンの東端に位置する地区である。キッシーは合同メソジスト教会衛生産科院やシエラレオネ精神科病院など、さまざまな医療サービスがあることで知られている。またキッシーには、500人を超えるリベリアからの難民が避難している。キッシーには「キッシー・ロード聖三位一体教会」や、聖三位一体教会「キッシー・ロード」がある。後者の「キッシー・ロード」は1999年に反政府武装集団「革命統一戦線」の手によって焼失させられたが、後の修復プロジェクトで再建された。また「キッシー・ロード」は学校経営も行っていた。
歴史
[編集]キッシーは1816年にイギリス海軍西アフリカ戦隊がフリータウンに建設した集落である。建設の目的は、掌捕した奴隷船からのいわゆる奪還奴隷[1]の居住地とするためであった[2]:28。1820年、植民地時代のサハラ以南アフリカで初となる精神障害者向け施設「精神病アサイラム」(現在のシエラレオネ精神科病院)[3]が設置された。当初は自分自身の面倒を見ることができない精神的および肉体的な疾患を持つ人々を対象とする施設であった[4]:28。この施設は1844年に植民地病院[5]として指定された[4]:28。病院の管轄地域は、イギリスによる植民地支配の拡大とともにイギリス領西アフリカ全域へと拡がった[4]:28。
フェリー
[編集]キッシーの北部にある港からは、タグリン・ポイントまでのフェリーが就航している[6]。タグリン・ポイントではルンギ国際空港行きの送迎タクシーが利用できる[7]。
参考文献
[編集]- ^ 金田知子「精神障害を生きる(1)あるシエラレオネ人女性のライフヒストリー」『女性学評論』第37巻、84頁、2023年3月。CRID 1520859216114507520。ISSN 09136630。 NCID AN10066294 。
- ^ Sanneh, Lamin (2009). Abolitionists Abroad: American Blacks and the Making of Modern West Africa. Cammbrideg, Mass.: Harvard University Press
- ^ 落合雄彦; 金田知子『科学研究費補助金研究成果報告書』(レポート)〈シエラレオネ共和国都市部の精神保健状況に関する複合科学的な研究〉2011年4月1日、2頁。CRID 1040282257445634432 。
- ^ a b c Akyeampong, Emmanuel (2015). Akyeampong, Emmanuel; Hill, Allan G.; Kleinman, Arthur. eds. The Culture of Mental Illness and Psychiatric Practice in Africa. Bloomington: Indiana University Press
- ^ 落合雄彦 著「植民地期シエラレオネにおけるハンセン病コントロール」、落合雄彦 編『アフリカにおける障がい者と人権の社会誌』(レポート)龍谷大学人権問題研究委員会〈2021年度龍谷大学人権問題研究委員会研究プロジェクト報告書〉、2022年3月30日、16頁 。
- ^ “Kissy Ferry Terminal - Wikimapia”. 2012年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月18日閲覧。
- ^ Ferry arrives at Targrin in Sierra Leone. YouTube. 2021年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。