ギヨーム・ソーヴレー
ギヨーム・ソーヴレー Guillaume Sauvlet | |
---|---|
出生名 |
ウィレム・ソーヴレト (Willem Sauvlet) |
別名 | William Sauvlet[1] |
生誕 | 1843年7月29日[2] |
出身地 | オランダ ミデルブルフ[2] |
死没 |
1902年9月30日(59歳没) アメリカ合衆国 エルパソ[3] |
学歴 | ギムナジウム・ウィレム3世[4] |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 |
ウィレム・ソーヴレト(Willem Sauvlet, 1843年7月29日 - 1902年9月30日)は、オランダ出身の作曲家、ピアニスト、ヴァイオリニスト、指揮者、音楽教師。フランス語名のギヨーム・ソーヴレー(Guillaume Sauvlet)で知られている。 お雇い外国人として1885年から1889年まで日本で活動した。
経歴
[編集]音楽家のフーベルト・ソーヴレト[5]とエリザベト・デ・ブランケ[6]の2番目の子としてミデルブルフに生まれ、オランダ領東インドのバタヴィア(現在のインドネシアのジャカルタ)にあるギムナジウム・ウィレム3世[7]で学んだ。1884年11月に香港を、1885年4月に上海を訪れ、演奏会の独奏者、音楽教師として活動した[8]。すでにシンガポールと香港に巡業していたマスコット歌劇団[9]の同年7月の上海公演から指揮者兼ピアノ伴奏者として出演した。マスコット歌劇団は三菱会社の広島丸で横浜に向かい、停泊した神戸の神戸体育館劇場で同年8月20日、21日に日本初公演を開催し、8月23日に横浜に到着すると8月25日から9月16日にかけて横浜パブリックホールで公演した。マスコット歌劇団は同年9月20日に日本を去ったが、ソーヴレーは日本に残って横浜と神戸で個人の演奏会に出演した。同年10月に上海に戻り、エミリー・メルヴィル歌劇団[10]の公演での指揮のほか、10月27日にはソーヴレーの告別演奏会に出演した。エミリー・メルヴィル歌劇団はソーヴレーとともに日本に渡り、神戸(11月2日)と横浜(11月10日から27日にかけて8回)で公演した[11]。
エミリー・メルヴィル歌劇団が再び神戸に向かうとソーヴレーは横浜に残り、離日するまで山手に居住した[12]。1886年4月1日からフランツ・エッケルトの後任として音楽取調所[13]の嘱託教師となり、唱歌、ピアノ、オルガン、弦楽、管楽、和声法、対位法を担当した。1887年10月4日に音楽取調所が東京音楽学校と改称されてからも1889年1月9日まで引き続き同校の教師を続けた[14]。そのほかに横浜合唱協会 (Yokohama Choral Society) 専任指揮者を務めた[15]。教え子に小山作之助、納所弁次郎[16]、白井規矩郎、山田源一郎[17]、幸田延[18]がいる[19]。
その後、ハワイ滞在を経て1890年11月21日にホノルルを出港したオーストラリア号でサンフランシスコに向かい、同地に移住した[20]。
作品
[編集]管弦楽曲
[編集]- 愛のよろこび(Liebes-Glück)
- 春花の曲
吹奏楽曲
[編集]- カラカウア行進曲(Kalakaua March. カラカウア皇帝に献呈)
オペラ
[編集]- 天国の娘(Keikilani. カラカウア皇帝に捧ぐ)
室内楽曲
[編集]- ヴァイオリンとピアノのためのエレジー 変ホ長調(Batavia: N. Schagen. オランダ領東インド総督 Johan Wilhelm van Lansberge に献呈[22])
ピアノ曲
[編集]- Wien Neêrlands Bloed. 華麗な幻想曲 Op. 7 (Amsterdam: Brix von Wahlberg, 1873)[23]
- 蝶々、ファンタジー・カプリス Op. 8 (Amsterdam: Brix von Wahlberg, 1873)[23]
- 希望、夜想曲 (Amsterdam: Brix von Wahlberg, 1873)[23]
- Liebes-Glück. アダージョ (Amsterdam: Brix von Wahlberg, 1873)[23]
- 夜想曲 変ホ長調 (Amsterdam: Brix von Wahlberg, 1883)[24]
- Ecume de Perle. 華麗な奇想曲 Op. 3 (Amsterdam: Brix von Wahlberg, 1883)[24]
- La Pompa di Festa. 演奏会用練習曲 (Amsterdam: Brix von Wahlberg, 1883)[24]
- 祝賀行進曲 (Amsterdam: Brix von Wahlberg, 1883)[24]
- コケット、奇想曲 (Amsterdam: Brix von Wahlberg, 1883)[24]
- 日本ワルツ(Nippon Valse. 1886年出版[19]. 伊藤博文夫人(伊藤梅子)に献呈)
- 4手のための明治行進曲(Meiji March. 1886年出版[19]. 日本皇帝(明治天皇)に献呈)
- La Linda. 性格的小品 (Leipzig: The John Church Co., 1897)[25]
- ポルカ
- ピアノソナタ ニ長調
- ガヴォット 第1番
- ガヴォット 第2番
- 舞踏界の女王(La Reine du Bal)
- 即興曲(Impromptu)
- 女王即位50年記念行進曲(The Queen's Jubilee March)
歌曲
[編集]- 2つのピアノ伴奏歌曲 (Amsterdam: Brix von Wahlberg (Leipzig: Hofmeister), 1865)[26]
- Gewissheit der Liebe
- Treue Liebe
- 唱歌『花鳥』
編曲
[編集]脚注
[編集]- ^ 中村 1993, p. 736.
- ^ a b 中村 1993, p. 654.
- ^ The Wyandott Herald 1902.
- ^ 中村 1993, p. 655.
- ^ Hubert Sauvlet
- ^ Elizabeth de Blanke
- ^ Gymnasium Willem III
- ^ 中村 1993, pp. 654–664, § ソーヴレーの経歴と香港・上海での活躍.
- ^ Mascotte Opera Company
- ^ Emelie Melville Opera Company
- ^ 中村 1993, pp. 664–676, § マスコット歌劇団およびエミリー・メルヴィル歌劇団と共に.
- ^ 中村 1993, p. 692.
- ^ コトバンク. 音楽取調掛 - 音楽取調掛は1885年2月に音楽取調所と改称された.
- ^ 中村 1993, pp. 703–718, § 音楽取調掛および東京音楽学校教師として.
- ^ 中村 1993, pp. 693–702.
- ^ 日本の作曲家 2008, pp. 507–508, 納所 弁次郎.
- ^ 日本の作曲家 2008, pp. 709–710, 山田 源一郎.
- ^ 平高 2014, p. 193, §3. 留学までの教師たち.
- ^ a b c 三浦 1931, p. 194.
- ^ 中村 1993, pp. 730–736, § ハワイからサンフランシスコへ.
- ^ 中村 1993, pp. 728–730.
- ^ Sauvlet, Guillaume. Elegie voor viool met piano-begeleiding : gecomponeerd, en opgedragen aan Z. E. den Gouverneur Generaal van Ned. Indie Mr. J. van Lansberge. Batavia: N. Schagen
- ^ a b c d Musikalisch-literarischer Monatsbericht. Leipzig: Friedrich Hofmeister. (1873). pp. 195-196 2020年5月16日閲覧. "Sauvlet (Guill.) Kompositionen. Amsterdam, Brix von Wahlberg: / Op. 7. „Wien Neêrlands Bloed“. Fantaisie brill. 17(1/2) ngr. / – 8. Le Papillon. Fantaise-Caprice. 13 ngr. / L’ Espoir. Nocturne. 16 ngr. / Liebes-Glück. Adagio. 5 ngr."
- ^ a b c d e Musikalisch-literarischer Monatsbericht. Leipzig: Friedrich Hofmeister. (1883). p. 258 2020年5月16日閲覧. "Sauvlet, Gme., Compositions p. Piano. 1. Liv. (No. 1. Nocturne [Es]. No. 2. Liebesglück. Adagio. No. 3. Op. 3. Ecume de Perle. Caprice brillant. No. 4. La Pompa di Festa. Etude de Concert. No. 5. Wien Neêrlandsch bloed. Fantaisie brillante. No. 6. Op. 8. Le Papillon. Caprice. No. 7. Jubel-Marsch. No. 8. La Coquette. Caprice.) Amsterdam, Brix v. Wahlberg Mk 2."
- ^ Musikalisch-literarischer Monatsbericht. Leipzig: Friedrich Hofmeister. (1897). p. 162 2020年5月16日閲覧. "Sauvlet, G., La Linda. Characteristic Piece f. Pfte. Mk 0,80. Leipzig, The John Church Co."
- ^ Musikalisch-literarischer Monatsbericht. Leipzig: Friedrich Hofmeister. (1865). p. 86 2020年5月16日閲覧. "Sauvlet, W., 2 Lieder. No. 1, Gewissheit der Liebe. No. 2, Treue Liebe. Amsterdam, Brix von Wahlberg (Leipzig, Hofmeister) à 5 Ngr."
参考文献
[編集]- “A Noted Pianist Dead”. The Wyandott Herald: p. 1. (1902年10月2日) 2020年5月14日閲覧。
- 三浦俊三郎『本邦洋楽変遷史』日東書院、1931年 。2020年7月28日閲覧。
- 中村理平「第11章 ギヨーム・ソーヴレー」『洋楽導入者の軌跡 : 日本近代洋楽史序説』刀水書房、1993年、643-739頁。ISBN 978-4887081468。
- 細川周平、片山杜秀 監修『日本の作曲家 : 近現代音楽人名事典』日外アソシエーツ、2008年。ISBN 978-4-8169-2119-3。
- 平高典子「幸田延のボストン留学 Studium in Boston von Nobu Koda」『論叢 : 玉川大学文学部紀要』第54号、玉川大学文学部、2014年3月31日、191-211頁、ISSN 0286-8903、2020年6月7日閲覧。
- “音楽取調掛”. コトバンク. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2020年7月28日閲覧。