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クラリオンガール

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

クラリオンガールは、カーオーディオメーカー・クラリオン1975年昭和50年)[1][2]から約30年に渡ってほぼ毎年選出していたキャンペーンガールである。人気芸能人への登竜門として知られたが、後年には、様々な分野での活躍が期待される女性への顕彰に変わっていた。

概要

1975年に初代のアグネス・ラムが選ばれて以降、烏丸せつこ宮崎ますみ蓮舫大河内志保立河宜子原千晶といった著名タレントを生み出してきた[注 1]1997年平成9年)までは水着審査などグラビアアイドル的な容姿が重視され、芸能界デビューの登竜門といわれていた。

1998年から「クラリオンガール・スカラーシップ」と改名され[4][5]、目標や夢の実現に向け頑張る人を応援するという企画として「何かしら目標を持ち、それに突き進む女性」という選考基準が採用され[6]、水着審査は廃止された[7][8]

2002年には中断したが、2003年からは、フジテレビジョンとの共催によるインターネット・携帯サイト連動型企画として「クラリオンガール・オーディション」の名称で再開された[4]。企画内容も「メディアデビューを目標とし音楽を愛する女性」に変更となり[4]歌唱、楽器演奏、ダンス、DJなどなどが審査対象になった[8]。しかし、クラリオンが日立製作所に買収された2006年(平成18年)の選出を最後に終了した[7]

歴代クラリオンガール

脚注

注釈

  1. ^ 書籍『アグネス・ラムのいた時代』によると、クラリオンガールという用語が正式に使用されるようになったのは1979年(第5代・田中なおみ)以降で、初代から第4代までは『平凡パンチ』とクラリオンの意向により、後付けのような形でクラリオンガールと呼ばれるようになったという[3]

出典

  1. ^ 北島友和 (2009年12月25日). “挑戦し続けるカーAV界のフロントランナー クラリオン 70年の歩み”. Response.. https://response.jp/article/2009/12/25/134219.html 2021年9月20日閲覧。 
  2. ^ “スター登竜門のキャンギャルの歴史 近年の新潮流は?”. 週刊ポスト: p. 1. (2018年4月14日). https://www.news-postseven.com/archives/20180414_665480.html?DETAIL 2021年9月20日閲覧。 
  3. ^ 長友, 健二、長田, 美穂『アグネス・ラムのいた時代』中央公論新社〈中公新書ラクレ 238〉、2007年2月、17-18, 28頁頁。ISBN 9784121502384NCID BA80583399 
  4. ^ a b c Web Scholarship Clarion MEDAMA -MEZASE DAIBA MUSIC AUDITION-を実施』(プレスリリース)クラリオン株式会社、2003年5月30日https://www.clarion.com/jp/ja/newsrelease/index_2003/030530_01/index.html2021年9月20日閲覧 
  5. ^ やかん (2000年9月12日). “2001クラリオンガール・スカラーシップ発表記者会見レポ”. web CG. https://www.webcg.net/articles/-/21260 2021年9月20日閲覧。 
  6. ^ “新クラリオンガールは歌手志望”. web CG. (1998年9月17日). https://www.webcg.net/articles/-/19997 2021年9月20日閲覧。 
  7. ^ a b 岡野誠 (2016年5月29日). “水着キャンギャルの終焉 背景に企業広告の方針変更”. 週刊ポスト. https://www.news-postseven.com/archives/20160529_414997.html?DETAIL 2021年9月30日閲覧。 
  8. ^ a b クラリオンガールオーディション2004&クラリオンミュージックオーディション2004”. スクランブルエッグ on the Web (2004年7月24日). 2021年9月20日閲覧。

外部リンク