クレイグ・ベラミー
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カーディフ・シティFCでのベラミー(2013年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
クレイグ・ダグラス・ベラミー Craig Douglas Bellamy[1] | |||||
ラテン文字 | Craig BELLAMY | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ウェールズ | |||||
生年月日 | 1979年7月13日(45歳) | |||||
出身地 | カーディフ | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 68kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (CF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1988-1990 | ブリストル・ローヴァーズ | |||||
1990-1996 | ノリッジ・シティ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1996-2000 | ノリッジ・シティ | 84 | (32) | |||
2000-2001 | コヴェントリー・シティ | 34 | (6) | |||
2001-2005 | ニューカッスル・ユナイテッド | 93 | (28) | |||
2005 | → セルティック (loan) | 12 | (7) | |||
2005-2006 | ブラックバーン・ローヴァーズ | 27 | (13) | |||
2006-2007 | リヴァプール | 27 | (7) | |||
2007-2009 | ウェストハム・ユナイテッド | 24 | (7) | |||
2009-2011 | マンチェスター・シティ | 40 | (12) | |||
2010-2011 | → カーディフ・シティ (loan) | 35 | (11) | |||
2011-2012 | リヴァプール | 24 | (6) | |||
2012-2014 | カーディフ・シティ | 52 | (5) | |||
代表歴 | ||||||
1997-1998 | ウェールズ U-21 | 10 | (1) | |||
1998-2013 | ウェールズ | 78 | (19) | |||
2012 | イギリス | 5 | (1) | |||
監督歴 | ||||||
2024- | ウェールズ | |||||
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クレイグ・ダグラス・ベラミー(Craig Douglas Bellamy、1979年7月13日 - )は、ウェールズ・カーディフ出身の元同国代表の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。
経歴
[編集]ノリッジ・シティFCの下部組織で育ち、1997年3月15日のクリスタル・パレスFC戦でプロデビューを飾る。
2000年にコヴェントリー・シティFCに移籍したが活躍できず、それをクラブ側のせいにしたことから、コヴェントリーのファンから脅迫状まで届いた。2001年にニューカッスル・ユナイテッドFCに移籍したが、出場したUEFAチャンピオンズリーグの試合で相手に頭突きして3試合の出場停止処分を受けた。2002年、ナイトクラブで女性に暴行したとしてクラブから罰金を言い渡された。空港でコーチと喧嘩し、備品の椅子を放り投げる事件もあった。その後セルティックFC、ブラックバーン・ローヴァーズFCなどイギリスの中堅クラブを経て、2006年にリヴァプールFCに移籍。2005-2006シーズンはブラックバーン・ローヴァーズFCで17試合で13ゴールを挙げる活躍を見せた。しかし2007年、フェルナンド・トーレスの加入に押し出される形となり、僅か1年でウェストハム・ユナイテッドFCに移籍した。2009年1月19日、ブラックバーン時代の恩師、マーク・ヒューズ率いるマンチェスター・シティFCに移籍。同年12月19日、ヒューズが解任され、ロベルト・マンチーニが就任すると、監督に楯突き、出場機会が減少した。2010年8月からは故郷のカーディフを本拠地とするカーディフ・シティFCへレンタル移籍。
2011年8月31日に、マンチェスター・シティからリヴァプールへの移籍が決定した(マンチェスター・シティとの契約解除に伴いフリートランスファーでリヴァプールへ移籍)。契約年数は2年、背番号はマンチェスター・シティの頃と変わらず39を使う(リヴァプールへは4年ぶりの復帰となる)。
2012年8月10日、カーディフ・シティFCへ移籍。
2014年5月、現役引退を表明した[2]。
代表歴
[編集]ウェールズ代表として1998年にデビューし、瞬く間に同国のスター選手となった。獲得タイトルはないが、ウェールズという地方だけで見れば素晴らしい栄誉を既に手にしている。2012年にはイギリス代表としてロンドンオリンピックメンバーに選出された。2013年10月に代表引退を表明[3]。
指導者歴
[編集]現役引退後は、古巣カーディフ・シティのアカデミーで指導を行っていたが、2019年1月に若手選手に対する虐待行為が疑われたため、一時的にコーチの役割を外れることになった[4]。同年6月20日、ベルギーのRSCアンデルレヒトU-21の監督に就任[5]。2021年初めからマンチェスター・シティ時代の同僚のヴァンサン・コンパニが監督を務めるトップチームのアシスタントコーチに就任していたが、前年に告白したうつ病の治療のために9月12日に辞任[6][7]。
2022年7月9日、コンパニが新監督に就任したバーンリーFCのアシスタントマネージャーに就任した[8]。
人物
[編集]私生活では、2006年6月、長年付き合っていたクレア・ジャンセンと結婚し、3人の子供を授かっている。息子のエリス・ベラミーはニューポート・カウンティAFCのアカデミーに所属するサッカー選手である。
問題児のイメージが常に付き纏うが、数千ポンド支援し、シエラレオネにサッカースクールを設立させるなど、チャリティー活動に積極的な一面を持つ。
2020年5月18日、メンタルヘルス啓蒙週間の始まりに合わせ、Sky Sportsのインタビューで自身が3、4年前にうつ病と診断されたこと、度重なる負傷が克服を困難にしたことを告白した[10]。
タイトル
[編集]- クラブ
- セルティックFC
- スコティッシュカップ (1): 2004-05
- リヴァプールFC
- フットボールリーグカップ (1): 2011-12
- FAコミュニティ・シールド (1): 2006
- 個人
- PFA年間最優秀若手選手賞 (1): 2001-02
出典
[編集]- ^ Premier League clubs submit squad lists (PDF)
- ^ “ベラミーが現役引退”. Goal. 2014年5月23日閲覧。
- ^ “ベラミーが代表引退を表明”. Goal. 2013年10月9日閲覧。
- ^ ““元問題児”ベラミー、虐待の疑いでコーチを一時辞任。本人は「断固として否定」”. フットボールチャンネル. 2019年1月3日閲覧。
- ^ “コンパニ就任のアンデルレヒト、パワハラ疑惑の「元悪童」を電撃招聘”. Qoly. 2019年6月22日閲覧。
- ^ “Craig Bellamy steps down from role as assistant coach at Anderlecht to prioritise his mental health”. Sky Sports (2021年9月12日). 2021年9月13日閲覧。
- ^ “ベラミー氏がうつ病治療のためアンデルレヒトのコーチを辞任”. 超ワールドサッカー (2021年9月13日). 2021年9月14日閲覧。
- ^ “コンパニ監督就任のバーンリー、アシスタントにベラミー氏就任!“チーム・コンパニ”再結成”. 超ワールドサッカー (2022年7月9日). 2022年7月9日閲覧。
- ^ “Craig Bellamy appointed as Wales Head Coach”. FAW (2023年7月9日). 2024年10月22日閲覧。
- ^ “Off Script: Bellamy's battle with depression”. Sky Sports (2020年5月18日). 2021年9月13日閲覧。
外部リンク
[編集]- Craig Bellamy profile Liverpool FC
- Wales profile
- Craig Bellamy – FIFA主催大会成績
- クレイグ・ベラミー - Soccerbase
- The Craig Bellamy Foundation