コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

クレナルカエオール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クレナルカエオール
識別情報
CAS登録番号 487010-21-9
特性
化学式 C86H162O6
モル質量 1292.2 g mol−1
特記なき場合、データは常温 (25 °C)・常圧 (100 kPa) におけるものである。

クレナルカエオール(Crenarchaeol、クレンアーキオール)は、グリセロールジビファンタニルグリセロールテトラエーテル(glycerol dibiphantanyl glycerol tetraether; GDGT)生物膜脂質である。独特のシクロヘキサン部分を有し、遠洋アンモニア酸化古細菌(ammonia-oxidizing archaea; AOA)に対する特異的バイオマーカーとして提唱されている[1]。構造的には、細胞膜を通して延びる2つの長い炭化水素鎖からなり、それぞれがエーテル結合を介してグリセロールと結合して66員環構造を取っている[2]。クレナルカエオールは環境中に何億年もの間保たれることができ、TEX86英語版古水温計英語版ジュラ紀中期〔~160 Ma〕までの古気候を再建するために使われてきた海面温度のための温度指標)の一部である[3]

発見と分布

[編集]

古細菌の膜はジアシル脂質の代わりにイソプレノイドGDGT類を含むため細菌および真核生物のものとは異なっている。GDGT膜脂質は極限環境古細菌の故郷である環境において存在した高温への適応であることが提唱されており[1]、研究者らは沿岸水中で未知の古細菌GDGT類が検出された1997年に驚いた[4]。未知のGDGT類は海底堆積物中での見出され[5]Cenarchaeum symbiosum海綿共生する海洋アンモニア酸化古細菌)からも単離された[6]

熱水環境の外でのGDGT類の発見に続いて、2002年に海底堆積物中およびC. symbiosum抽出物中の主要なGDGT成分としてクレナルカエオールが初めて同定された[7]。化合物名はクレナルカエオールを生産するアンモニア酸化沿岸古細菌が属すると考えられていたクレン古細菌門(Crenarchaeota)に由来するが、Marine Group I Crenarchaeotaは異なるタウム古細菌門(Thaumarchaeota)であると提唱されている[8]

hot spring
クレナルカエオールは最初は遠洋環境でのみ生産されると考えられていたが、研究者らはこの写真のような温泉を含む高温環境中に生息する古細菌によっても生産されることを発見した。

クレナルカエオールはタウム古細菌門(以前はMarine Group 1クレン古細菌門に分類されていた)に属するAOAによって生産される。海洋中熱水性C. symbiosum[7]およびNitrosopumilus maritimus[9]、にやや好熱性のNitrososphaera gargensis英語版、超好熱性のCandidatus Nitrosocaldus yellowstonii[10]の純粋培養によって生産されることが確かめられている。Ca. N. yellowstoniiおよびN. gargensisにおけるクレナルカエオールの発見は、クレナルカエオールが中熱性のタウム古細菌門に特有であるというそれ以前の意見の一致の反証となった。

論争

[編集]

南太平洋環流英語版中の古細菌系統群の深度分布のメタゲノム研究は、クレナルカエオールがタウム古細菌に限定されておらず、Marine Group II ユーリ古細菌によっても生産されていることを示唆している[11]。しかしながら、Marine Group IIに属する古細菌はこれまでのところ培養されておらず[12]、相反する環境データはクレナルカエオールがタウム古細菌に限定されているという仮説を支持し続けている[13]

生物学

[編集]

化学と機能

[編集]

他のGDGT類と同様に、クレナルカエオールは独特の疎水性および親水性領域を持つ膜脂質である。長い非極性炭化水素鎖が疎水性であるのに対して、エーテル結合したグリセロール頭部は極性で親水性である。ほとんどの生物において、細胞膜は脂質二重膜から構成される。リン脂質はそれらの疎水性、非極性炭化水素尾部を互いの方を向けて、それらの親水性、極性頭部が細胞質あるいは細胞外部の極性環境と交わるように外側を向けて配列している。この構造化は疎水効果によって促進される。GDGTsは2つの親水性頭部を持つため、細部膜中に二重層ではなく脂質単層を形成する。これが、GDGT生産古細菌を生命の全ての系統の中で例外的なものとしている[14]。元々は、GDGT膜脂質は高温および酸性への生命の適応であると考えられていた。単層脂質の両側は二重膜の凝集を促進する弱い分子間力ではなく共有結合によって繋がれているため、典型的な二重膜よりも安定である[14]。この仮説は、一部の極限環境細菌が独自の膜貫通エーテル結合型GDGT類似物質を合成するという観察結果によって支持される[15]。GDGT類の環部分は超好熱条件への適応でもあるかもしれず[7]、GDGTの炭化水素長鎖中の環の数は温度依存性がある[16]。クレナルカエオールはその炭化水素鎖の一方に2つのシクロペンチル部分ともう一方に1つのシクロヘキシルおよび2つのシクロペンチル部分を有する。

しかしながら、クレナルカエオールや他のGDGT類が中熱水性環境中に生息する生物によって生産されるという発見は、超好熱適応仮説に疑問を投げ掛けた[14]。クレナルカエオールの特有のシクロヘキシル部位は遠洋生活への適応であることが提唱されている。これは、シクロヘキシル部位が炭化水素鎖の一方に「よじれ」を生み出し、高温下では好まれるが穏和な温度下では好まれない膜脂質の密な充填を防ぐためである[7]

堆積物中での保存と分解

[編集]

クレナルカエオールや他のGDGT類は適切な状況下では数億年間[3]にわたって環境中で保たれうる。ほとんどのGDGT類は240 °Cから300 °Cで分解するため、300 °Cを超える温度までの加熱を受けた岩石中では見出されない[17]。GDGT類は酸素に曝されると分解を受けるが、堆積物中のGDGT類の相対濃度は分解中でさえも同じままの傾向がある。これは、分解が異なるGDGT類の比に基づくTEX86[18]のような指標を邪魔しないことを意味する。

海洋窒素循環

[編集]

アンモニア酸化窒素循環(様々な生物学的および無機的形態を通して窒素を循環させる生物地球化学的循環)の重要な部分である。AOAは海洋におけるアンモニア酸化の大半を占めることが示されており[19][20]、したがって(AOA、特にタウム古細菌によって排他的に生産されると一般的に考えられている)クレナルカエオールはAOAおよびアンモニア酸化についての特異的バイオマーカーとして提唱されている。クレナルカエオール存在量はAOAの季節性大発生の跡を追うことが明らかにされており、AOA密度のための[21]、そしてさらに広く見ればアンモニア酸化のための指標としてクレナルカエオール存在量を使うことが適切かもしれないことを示唆している。しかしながら、偏性アンモニア酸化菌ではないタウム古細菌の発見[22]はこの結論を込み入らせており[12]、ある研究はクレナルカエオールがMarine Group II ユーリ古細菌によって生産されているかもしれないことを示唆している[11]

TEX86古水温計

[編集]

GDGTの炭化水素鎖中の環の数は温度依存的であり、古代の海面温度(SST)を評価するための指標であるTEX86古水温計に対する根拠を提供する[23]。TEX86古水温計はクレナルカエオールとその異性体の存在量の測定に依っている。クレナルカエオールは位置異性体を持ち、これは放射性炭素分析に基づくと他のイソプレノイドGDGT類と異なる起源を持っているかもしれない。この位置異性体は位置異性体が表層水中および遠洋性タウム古細菌の培養液中で少量であるため、可能性のある源としては底生古細菌とクレナルカエオールの続成作用がある。これにもかかわらず、TEX86計算からクレナルカエオールを除外すると、この古水温計の海面温度との相関は不明確となり、これはクレナルカエオール量がTEX86の必須要素であることを示している[24]

単離と測定

[編集]

クレナルカエオールといったGDGT類は抽出と酸加水分解英語版に続く高速液体クロマトグラフィー/大気圧化学イオン化英語版質量分析法(HPLC/APCI-MS)を使って分析することができる[25]。酸加水分解は極性頭部を分子から切り離し、非極性鎖が残る。これがクロマトグラフィーのために必要である。様々な抽出技術がGDGT類に有効であることが実証されてきた。1つの一般的な手法はメタノールを使った超音波による抽出と続くジクロロメタン溶媒による洗浄である[25]。GDGT類は特徴的な [M + H]+ - 18および [M + H]+ - 74 イオンを持ち[25]、クレナルカエオールではそれぞれ1218および1172 Daである。GDGT類の相対量はそれらの特徴的なイオンのピーク面積を積分することによって決定できる。

出典

[編集]
  1. ^ a b “Crenarchaeol dominates the membrane lipids of Candidatus Nitrososphaera gargensis, a thermophilic group I.1b Archaeon”. The ISME Journal 4 (4): 542–52. (April 2010). doi:10.1038/ismej.2009.138. PMID 20033067. 
  2. ^ Minnaard, Adriaan J.; Schouten, Stefan; Damsté, Jaap S. Sinninghe; Holzheimer, Mira. “Total Synthesis of the Alleged Structure of Crenarchaeol Enables Structure Revision”. ChemRxiv. doi:10.26434/chemrxiv.13475928.v1. 
  3. ^ a b Jenkyns, H. C.; Schouten-Huibers, L.; Schouten, S.; Sinninghe Damsté, J. S. (2012-02-02). “Warm Middle Jurassic–Early Cretaceous high-latitude sea-surface temperatures from the Southern Ocean” (英語). Climate of the Past 8 (1): 215–226. Bibcode2012CliPa...8..215J. doi:10.5194/cp-8-215-2012. ISSN 1814-9332. 
  4. ^ “Ether lipids of planktonic archaea in the marine water column”. Applied and Environmental Microbiology 63 (8): 3090–5. (August 1997). doi:10.1128/AEM.63.8.3090-3095.1997. PMC 1389224. PMID 16535669. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1389224/. 
  5. ^ “Widespread occurrence of structurally diverse tetraether membrane lipids: evidence for the ubiquitous presence of low-temperature relatives of hyperthermophiles”. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 97 (26): 14421–6. (December 2000). doi:10.1073/pnas.97.26.14421. PMC 18934. PMID 11121044. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC18934/. 
  6. ^ “Dibiphytanyl ether lipids in nonthermophilic crenarchaeotes”. Applied and Environmental Microbiology 64 (3): 1133–8. (March 1998). doi:10.1128/AEM.64.3.1133-1138.1998. PMC 106379. PMID 9501451. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC106379/. 
  7. ^ a b c d “Crenarchaeol: the characteristic core glycerol dibiphytanyl glycerol tetraether membrane lipid of cosmopolitan pelagic crenarchaeota”. Journal of Lipid Research 43 (10): 1641–51. (October 2002). doi:10.1194/jlr.M200148-JLR200. PMID 12364548. 
  8. ^ “Mesophilic Crenarchaeota: proposal for a third archaeal phylum, the Thaumarchaeota”. Nature Reviews. Microbiology 6 (3): 245–52. (March 2008). doi:10.1038/nrmicro1852. PMID 18274537. 
  9. ^ “Intact membrane lipids of "Candidatus Nitrosopumilus maritimus," a cultivated representative of the cosmopolitan mesophilic group I Crenarchaeota”. Applied and Environmental Microbiology 74 (8): 2433–40. (April 2008). doi:10.1128/AEM.01709-07. PMC 2293165. PMID 18296531. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2293165/. 
  10. ^ “Cultivation of a thermophilic ammonia oxidizing archaeon synthesizing crenarchaeol”. Environmental Microbiology 10 (3): 810–8. (March 2008). doi:10.1111/j.1462-2920.2007.01506.x. PMID 18205821. 
  11. ^ a b “Planktonic Euryarchaeota are a significant source of archaeal tetraether lipids in the ocean”. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 111 (27): 9858–63. (July 2014). Bibcode2014PNAS..111.9858L. doi:10.1073/pnas.1409439111. PMC 4103328. PMID 24946804. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4103328/. 
  12. ^ a b “Lipids as paleomarkers to constrain the marine nitrogen cycle”. Environmental Microbiology 19 (6): 2119–2132. (June 2017). doi:10.1111/1462-2920.13682. PMC 5516240. PMID 28142226. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5516240/. 
  13. ^ “Phylogenomic analysis of lipid biosynthetic genes of Archaea shed light on the 'lipid divide'”. Environmental Microbiology 19 (1): 54–69. (January 2017). doi:10.1111/1462-2920.13361. PMID 27112361. http://www.vliz.be/imisdocs/publications/22/299122.pdf. 
  14. ^ a b c Schouten, Stefan; Hopmans, Ellen C.; Sinninghe Damsté, Jaap S. (2013-01-01). “The organic geochemistry of glycerol dialkyl glycerol tetraether lipids: A review”. Organic Geochemistry 54: 19–61. doi:10.1016/j.orggeochem.2012.09.006. ISSN 0146-6380. 
  15. ^ “Iso- and Anteiso-Branched Glycerol Diethers of the Thermophilic Anaerobe Thermodesulfotobacterium commune”. Systematic and Applied Microbiology 4 (1): 1–17. (1983-01-01). doi:10.1016/S0723-2020(83)80029-0. PMID 23196295. 
  16. ^ Schouten, Stefan; Hopmans, Ellen C.; Schefuß, Enno; Sinninghe Damsté, Jaap S. (2002). “Distributional variations in marine crenarchaeotal membrane lipids: a new tool for reconstructing ancient sea water temperatures?” (英語). Earth and Planetary Science Letters 204 (1–2): 265–274. Bibcode2002E&PSL.204..265S. doi:10.1016/S0012-821X(02)00979-2. 
  17. ^ Schouten, Stefan; Hopmans, Ellen C.; Schefuß, Enno; Sinninghe Damsté, Jaap S. (2002-11-30). “Distributional variations in marine crenarchaeotal membrane lipids: a new tool for reconstructing ancient sea water temperatures?”. Earth and Planetary Science Letters 204 (1): 265–274. Bibcode2002E&PSL.204..265S. doi:10.1016/S0012-821X(02)00979-2. ISSN 0012-821X. 
  18. ^ Mollenhauer, Gesine; Eglinton, Timothy I.; Hopmans, Ellen C.; Sinninghe Damsté, Jaap S. (2008-08-01). “A radiocarbon-based assessment of the preservation characteristics of crenarchaeol and alkenones from continental margin sediments”. Organic Geochemistry. Advances in Organic Geochemistry 2007 39 (8): 1039–1045. doi:10.1016/j.orggeochem.2008.02.006. hdl:1912/2459. ISSN 0146-6380. https://darchive.mblwhoilibrary.org/bitstream/1912/2459/1/Mollenhauer%20et%20al_Organic%20Geochemistry_revised%20manuscript.pdf. 
  19. ^ “Archaeal dominance in the mesopelagic zone of the Pacific Ocean”. Nature 409 (6819): 507–10. (January 2001). Bibcode2001Natur.409..507K. doi:10.1038/35054051. PMID 11206545. 
  20. ^ “Isolation of an autotrophic ammonia-oxidizing marine archaeon”. Nature 437 (7058): 543–6. (September 2005). Bibcode2005Natur.437..543K. doi:10.1038/nature03911. PMID 16177789. 
  21. ^ Pitcher, Angela; Wuchter, Cornelia; Siedenberg, Kathi; Schouten, Stefan; Sinninghe Damsté, Jaap S. (2011). “Crenarchaeol tracks winter blooms of ammonia-oxidizing Thaumarchaeota in the coastal North Sea”. Limnology and Oceanography 56 (6): 2308–2318. Bibcode2011LimOc..56.2308P. doi:10.4319/lo.2011.56.6.2308. ISSN 0024-3590. http://www.vliz.be/imisdocs/publications/49/256149.pdf. 
  22. ^ “Thaumarchaeotes abundant in refinery nitrifying sludges express amoA but are not obligate autotrophic ammonia oxidizers”. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 108 (40): 16771–6. (October 2011). Bibcode2011PNAS..10816771M. doi:10.1073/pnas.1106427108. PMC 3189051. PMID 21930919. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3189051/. 
  23. ^ Kim, Jung-Hyun; van der Meer, Jaap; Schouten, Stefan; Helmke, Peer; Willmott, Veronica; Sangiorgi, Francesca; Koç, Nalân; Hopmans, Ellen C. et al. (2010-08-15). “New indices and calibrations derived from the distribution of crenarchaeal isoprenoid tetraether lipids: Implications for past sea surface temperature reconstructions”. Geochimica et Cosmochimica Acta 74 (16): 4639–4654. Bibcode2010GeCoA..74.4639K. doi:10.1016/j.gca.2010.05.027. ISSN 0016-7037. 
  24. ^ Shah, Sunita R.; Mollenhauer, Gesine; Ohkouchi, Naohiko; Eglinton, Timothy I.; Pearson, Ann (2008). “Origins of archaeal tetraether lipids in sediments: Insights from radiocarbon analysis” (英語). Geochimica et Cosmochimica Acta 72 (18): 4577–4594. Bibcode2008GeCoA..72.4577S. doi:10.1016/j.gca.2008.06.021. hdl:1912/2486. http://nrs.harvard.edu/urn-3:HUL.InstRepos:41543200. 
  25. ^ a b c “Analytical methodology for TEX86 paleothermometry by high-performance liquid chromatography/atmospheric pressure chemical ionization-mass spectrometry”. Analytical Chemistry 79 (7): 2940–4. (April 2007). doi:10.1021/ac062339v. PMID 17311408. 

関連項目

[編集]