クロード・ド・ラ・コロンビエール
表示
聖クロード・ド・ラ・コロンビエール | |
---|---|
イエズス会司祭 | |
聖職 | |
司祭叙階 | 1669年 |
個人情報 | |
出生 |
1641年2月2日 フランス王国 ローヌ県 サン=サンフォリアン=ドゾン |
死去 |
1682年2月15日 フランス王国 パレ・ル・モニアル |
聖人 | |
列福 | 1929年 |
列福決定者 | ピウス11世 |
列聖 | 1992年 |
列聖決定者 | ヨハネ・パウロ2世 |
クロード・ド・ラ・コロンビエール(Claude de la Colombière 1641年2月2日 - 1682年2月15日)はカトリック教会の司祭、聖人、フランスのイエズス会士。
生涯
[編集]ローヌ県サン=サンフォリアン=ドゾンに生まれたクロードは1658年10月25日、イエズス会に入会、アヴィニョンやパリで神学を学び、1669年に叙階された。1675年、フランス中部のパレ・ル・モニアルの聖母訪問会の聴罪司祭として派遣され、そこでマルグリット・マリー・アラコクに出会う。そのとき、彼女はイエスの聖心の啓示を受け、同僚から迫害されていた。彼はアラコクの啓示の意味を知り、また、彼自身も神によって使わされた人物であると知り、霊的指導に当たった。 しかし、その期間は長くは続かず長上の命令でイングランドに送られ、ヨーク公爵夫人メアリー・オブ・モデナ付の司祭となり、やがてイングランド政府により投獄される。彼はそれに耐え国外追放され、フランスに帰国し、命は助かった。だが、過酷な生活を強いられていたために体調は衰え、1682年2月15日、思い出深いパレ・ル・モニアルで帰天(死去)した。1929年、ローマ教皇ピウス11世によって列福され、1992年、ヨハネ・パウロ2世によって列聖された。
出典
[編集]- イエズス会日本管区ホームページより
外部リンク
[編集]