クーロスのコルヴィル子爵
クーロスのコルヴィル子爵 | |
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創設時期 | 1902年7月15日 |
創設者 | エドワード7世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 10代卿チャールズ・コルヴィル |
現所有者 | 5代子爵チャールズ・コルヴィル |
相続人 | なし |
推定相続人 | ジェームズ・コルヴィル閣下 |
相続資格 | コルヴィルの姓と紋章を受け継ぐ男子相続人 |
付随称号 | クーロスのコルヴィル卿 クーロスのコルヴィル男爵 |
モットー | 我、忘るるあたわず (Oblier ne puis)[1] |
クーロスのコルヴィル子爵(英: Viscount Colville of Culross)は、イギリスの子爵、貴族、連合王国貴族爵位。
スコットランド貴族の第10代クーロスのコルヴィル卿チャールズ・コルヴィルが1902年に叙されたことに始まる。子爵家の歴代当主はコルヴィル氏族の氏族長を務める。
歴史
[編集]サー・ジェームズ・コルヴィル(1551-1629)が1604年4月24日にスコットランド貴族としてクーロスのコルヴィル卿(Lord Colville of Curloss)に叙されたことが子爵家の嚆矢である[2][3]。
その後、爵位は4代卿ジョン(?-1680)の代まで順当に初代卿直系の男子によって相続された。その4代卿は1680年に嗣子なく没したが、卿位の継承条件は『コルヴィルの姓と紋章を受け継ぐ初代卿の男子相続人』であったため、いとこのアレクサンダー・コルヴィル(1666-1717)が5代卿位を襲った[2]。
さらに5代卿の系統で爵位の継承は続いた。彼の孫にあたる7代卿アレクサンダー(1717–1770)はイギリス海軍の高名な提督で、七年戦争に際してはケベック包囲戦等を指揮している[4]。
また彼の甥である9代卿ジョン(1768–1849)も海軍軍人で王立海軍の白色大将にのぼったほか、1818年から1849年までスコットランドの貴族代表議員を務めた[5]。
9代卿の甥である10代卿チャールズ・ジョン・コルヴィル(1818-1903)は保守党の政治家として活動した。彼は1885年に連合王国貴族としてパース州クーロスにおけるクーロスのコルヴィル男爵(Baron Colville of Culross, of Culross in the County of Perth)に叙された後[6][7]、1902年7月15日にはクーロスのコルヴィル子爵(Viscount Colville of Culross)に昇叙した[6][8]。
現当主である5代子爵チャールズ(1959-) は1999年貴族院法制定以降も議席を維持する92人の世襲貴族のひとり(クロスベンチ所属)である[6]。
なお、サー・スタンリー・コルヴィル海軍大将(1861-1939)とは初代子爵の次男であり、彼の三男は高名な伝記作家サー・ジョン・ジョック・コルヴィル(1915-1987)である[6]。
子爵家の紋章に刻まれるモットーはコルヴィル氏族の標語でもある『我、忘るるあたわず(Oblier ne puis)』[6]。
一族の邸宅はサフォーク、ベクルズ近郊に位置するウォーリンガム・ホール(Worlingham Hall)[6]。子爵家の歴代当主はコルヴィル氏族の氏族長を務める[9]。
現当主の保有爵位
[編集]現当主である第5代クーロスのコルヴィル子爵チャールズ・コルヴィルは以下の爵位を有する[6]。
- 第5代クーロスのコルヴィル子爵(5th Viscount Colville of Culross)
(1902年7月15日の勅許状による連合王国貴族爵位) - 第14代クーロスのコルヴィル卿(14th Lord Colville of Culross)
(1604年3月10日の勅許状によるスコットランド貴族爵位) - 第5代パース州クーロスにおけるクーロスのコルヴィル男爵(5th Baron Colville of Culross, of Culross in the County of Perth)
(1885年12月31日の勅許状による連合王国貴族爵位)
一覧
[編集]クーロスのコルヴィル卿 (1604年)
[編集]- 初代クーロスのコルヴィル卿ジェームズ・コルヴィル(1551–1629)
- 第2代クーロスのコルヴィル卿ジェームズ・コルヴィル (1604–1654)
- 第3代クーロスのコルヴィル卿ウィリアム・コルヴィル (生年不詳‐1656)
- 第4代クーロスのコルヴィル卿ジョン・コルヴィル (生年不詳‐1680)
- 第5代クーロスのコルヴィル卿アレクサンダー・コルヴィル (1666–1717)
- 第6代クーロスのコルヴィル卿ジョン・コルヴィル (1690–1741)
- 第7代クーロスのコルヴィル卿アレクサンダー・コルヴィル (1717–1770)
- 第8代クーロスのコルヴィル卿ジョン・コルヴィル (1725–1811)
- 第9代クーロスのコルヴィル卿ジョン・コルヴィル (1768–1849)
- 第10代クーロスのコルヴィル卿チャールズ・ジョン・コルヴィル (1818–1903) - 1885年にクーロスのコルヴィル男爵に叙爵
クーロスのコルヴィル男爵(1885年)
[編集]- 初代クーロスのコルヴィル男爵チャールズ・ジョン・コルヴィル (1818–1903) - 1902年にクーロスのコルヴィル子爵に陛爵
クーロスのコルヴィル子爵 (1902年)
[編集]- 初代クーロスのコルヴィル子爵チャールズ・ジョン・コルヴィル (1818–1903)
- 第2代クーロスのコルヴィル子爵チャールズ・ロバート・ウィリアム・コルヴィル (1854–1928)
- 第3代クーロスのコルヴィル子爵チャールズ・アレクサンダー・コルヴィル (1888–1945)
- 第4代クーロスのコルヴィル子爵ジョン・マーク・アレクサンダー・コルヴィル (1933–2010)
- 第5代クーロスのコルヴィル子爵チャールズ・マーク・タウンシェンド・コルヴィル(1959-)
爵位の推定相続人は現当主の弟であるマスター・オブ・コルヴィル(儀礼称号)リチャード・ジェイムズ・イニス・コルヴィル(1961-)閣下。
関連項目
[編集]出典
[編集]- ^ Clan Colville Profile scotclans.com. retrieved 31 August 2013.
- ^ a b “Colville of Culross, Lord (S, 1604)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2019年12月19日閲覧。
- ^ Arthur G.M. Hesilrige (1921). 『Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc』. Wellesley College Library. London, Dean. p. 228
- ^ Douglas, W. A. B. (1974). "Colvill, Alexander, 7th Baron Colvill". In Halpenny, Francess G (ed.). Dictionary of Canadian Biography (英語). Vol. III (1741–1770) (online ed.). University of Toronto Press.
- ^ O'Byrne, William R. (1849年). “A Naval Biographical Dictionary - Volume 1”. John Murray. p. 220. 2019年12月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g “Colville of Culross, Viscount (UK, 1902)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2019年12月19日閲覧。
- ^ "No. 25544". The London Gazette (英語). 29 December 1885. p. 6299.
- ^ "No. 27455". The London Gazette (英語). 18 July 1902. p. 4586.
- ^ Clan Colville - ScotClans.com