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ゲオルク・ハプスブルク=ロートリンゲン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゲオルク/ジェルジュ
GeorgGyörgy
ハプスブルク=ロートリンゲン家
2017年3月

全名 Paul Georg Maria Joseph Dominikus von Habsburg-Lothringen
パウル・ゲオルク・マリア・ヨーゼフ・ドミニクス・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン
称号 オーストリア大公
出生 (1964-12-16) 1964年12月16日(59歳)
西ドイツの旗 西ドイツバイエルン州シュタルンベルク英語版
配偶者 アイリーカ・フォン・オルデンブルク英語版
子女 ソフィア
イルディコー
カール=コンスタンティン英語版
父親 オットー・フォン・ハプスブルク
母親 レギーナ・フォン・ザクセン=マイニンゲン
宗教 キリスト教カトリック教会
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ゲオルク・ハプスブルク=ロートリンゲンドイツ語: Georg Habsburg-Lothringenハンガリー語: Habsburg György1964年12月16日 - )は、ハプスブルク帝国最後の皇太子オットー・フォン・ハプスブルクの次男、現在のハプスブルク家当主カールの弟。ハンガリー赤十字社ハンガリー語版総裁[1](2004~2012年)、ハンガリー外交官

年表

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1964年12月16日西ドイツバイエルン州シュタルンベルク英語版にて誕生した[注釈 1]洗礼式代父は、時のローマ教皇パウロ6世が務めた[2]

1987年、父オットーから金羊毛騎士団の騎士に叙任された。

1993年ハンガリーに移住し、ハンガリーの市民権を取得した。

1996年、ハンガリーの欧州連合加盟のための特別大使に任命された[3]

2004年ハンガリー赤十字社ハンガリー語版総裁に就任した。

2009年欧州議会議員選挙に、ハンガリー民主フォーラムから出馬したが、落選した[4]

2012年、ハンガリー赤十字社総裁を退任した。

2015年2024年夏季オリンピックの開催都市にブダペストが立候補した際、オリンピック招致特別大使に任命された(のち招致断念)[3]

2015年7月4日、兄カールとともにトンガ国王トゥポウ6世戴冠式に参列した[5]。なおこの戴冠式には、日本の皇太子徳仁親王や、ホーエンベルク公爵家英語版(=フランツ・フェルディナント大公の子孫)のマリア・テレジアも参列していた[6]

2017年12月16日、ハンガリー政府代表として[7]、兄カールや各国の王侯貴族とともに、元ルーマニア国王ミハイ1世の葬儀に参列した[8]

2018年3月、ハンガリーオリンピック委員会ハンガリー語版(MOB)の大使に就任した[9][10]

2021年3月、フランス共和国駐箚ハンガリー特命全権大使フランス語版に就任した[11]

家族

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ゲオルクの家族(左)と兄カールの家族(父オットーの葬儀にて。2011年)

1997年10月18日、ハンガリー共和国政府高官らも参列する中で、聖イシュトヴァーン大聖堂においてオルデンブルク公女アイリーカ(Eilika)と結婚式を挙げた[12][注釈 2]。アイリーカ夫人との間に1男2女がある。

栄典

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脚注

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注釈

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  1. ^ 父オットーは1961年にハプスブルク法を受諾し、自身と歴史的なハプスブルク王朝との絶縁をオーストリア共和国に宣誓していた。その後に生まれたゲオルクは、オットーの宣言を厳格に解釈するならハプスブルク一門としての権利を主張できないことになるが、一族内では問題視されていない。
  2. ^ アイリーカはルター派の信徒だったものの、子供にカトリック教育を施すことを条件に結婚が認められた[13]

出典

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  1. ^ Sandra Veljković (2018年5月8日). “Ne bojim se islama, već Europe koja odbacuje kršćanstvo”. Večernji list英語版. https://m.vecernji.hr/vijesti/ne-bojim-se-islama-vec-europe-koja-odbacuje-krscanstvo-1243935 2018年11月7日閲覧。 
  2. ^ MATYÁŠ ZRNO (2019年5月31日). “Orbán má jasnou politiku a velké úspěchy, fascinuje mě, co o něm píší, říká vnuk posledního rakouského císaře”. https://www.info.cz/svet/orban-ma-jasnou-politiku-a-velke-uspechy-fascinuje-me-co-o-nem-pisi-rika-vnuk-posledniho-rakouskeho-cisare-41838.html 2019年7月5日閲覧。 
  3. ^ a b BORIS KÁLNOKY (2016年11月23日). “Habsburg-Renaissance in Ungarn”. Die Presseドイツ語版. https://diepresse.com/home/panorama/welt/5123350/HabsburgRenaissance-in-Ungarn 2018年11月7日閲覧。 
  4. ^ Christoph Kotanko (2014年1月3日). “Früher war mehr Lametta: Die Polit-Pläne heutiger Habsburger”. Oberösterreichische Nachrichtenドイツ語版. https://www.nachrichten.at/nachrichten/meinung/kotanko/Frueher-war-mehr-Lametta-Die-Polit-Plaene-heutiger-Habsburger;art109300,1272276 2018年11月7日閲覧。 
  5. ^ Liam Fox (2015年7月5日). “Tonga crowns King Tupou VI in lavish public coronation, parties”. ABC. http://www.abc.net.au/news/2015-07-04/tonga-formally-crowns-king-tupou-vi-in-lavish-coronation/6595288 2017年7月17日閲覧。 
  6. ^ “Tonga King Tupou VI formally crowned”. BBC. (2015年7月4日). https://www.bbc.com/news/world-asia-33393492 2018年11月7日閲覧。 
  7. ^ “Ma temetik a volt román királyt”. bumm.sk. (2017年12月16日). https://www.bumm.sk/kulfold/2017/12/16/ma-temetik-a-volt-roman-kiralyt 2018年12月26日閲覧。 
  8. ^ “Rumänien verabschiedet sich mit Pomp von König Michael I.”. オーストリア放送協会. (2017年12月16日). https://orf.at/v2/stories/2419096/ 2018年12月13日閲覧。 
  9. ^ “MOB: az elnök felkérésére Habsburg György lett a nagykövet”. Nemzeti Sportハンガリー語版. (2018年3月6日). http://www.nemzetisport.hu/egyeb_egyeni/mob-az-elnok-felkeresere-habsburg-gyorgy-lett-a-nagykovet-2622995 2018年12月26日閲覧。 
  10. ^ “Habsburg György a Magyar Olimpiai Bizottság nagykövete lett”. Origoハンガリー語版. (2018年3月6日). http://www.origo.hu/sport/egyeni/20180306-mob-habsburg-gyorgy-a-magyar-olimpiai-bizottsag-nagykovete-lett.html 2018年12月26日閲覧。 
  11. ^ Nóra Shenouda (2021年6月4日). “Pikánsnak érzik Habsburg György nagykövetté kinevezését a francia kommentelők”. https://hu.euronews.com/2021/04/05/pikansnak-erzik-habsburg-gyorgy-nagykovetseget-a-francia-kommentelok 2021年12月26日閲覧。 
  12. ^ Boris Kálnoky (2009年3月12日). “Georg von Habsburg über Ungarns Weg”. ディ・ヴェルト. https://www.welt.de/dossiers/ungarn/article3344507/Georg-von-Habsburg-ueber-Ungarns-Weg.html 2018年11月7日閲覧。 
  13. ^ “Nagyon hiányoznak édesapja tanácsai Habsburg Györgynek”. sonline. (2019年5月10日). https://www.sonline.hu/sztarvilag/hazai-sztarvilag/nagyon-hianyoznak-edesapja-tanacsai-habsburg-gyorgynek-1562176/ 2019年7月5日閲覧。 

外部リンク

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