ゲルトルート・フォン・バイエルン
表示
ゲルトルート・フォン・バイエルン Gertrud von Bayern | |
---|---|
デンマーク王妃 | |
| |
在位 | 1182年5月12日 - 1197年6月1日 |
出生 |
1152/5年 |
死去 |
1197年6月1日 |
埋葬 | デンマーク、スコーネ、ヴェー |
結婚 |
1166年 1177年 ルンド |
配偶者 | シュヴァーベン公フリードリヒ4世 |
デンマーク王クヌーズ6世 | |
家名 | ヴェルフ家 |
父親 | バイエルン公・ザクセン公ハインリヒ獅子公 |
母親 | クレメンティア・フォン・ツェーリンゲン |
宗教 | キリスト教カトリック |
ゲルトルート・フォン・バイエルン(ドイツ語:Gertrud von Bayern, 1152/5年 - 1197年6月1日)は、シュヴァーベン公フリードリヒ4世の妃、のちデンマーク王クヌーズ6世妃。デンマーク語ではゲアトルズ(Gertrud)。
生涯
[編集]ゲルトルートはバイエルン公・ザクセン公ハインリヒ獅子公とクレメンティア・フォン・ツェーリンゲンとの間に1152年または1155年に生まれた。1166年、ゲルトルートはドイツ王コンラート3世の次男シュヴァーベン公フリードリヒ4世と結婚したが翌1167年に夫フリードリヒ4世は死去した。1171年、ゲルトルートは当時デンマーク王子であったクヌーズ6世と婚約し、1177年にルンドで結婚した。夫妻は新婚の頃はスコーネ(当時はデンマーク領)で暮らした。1182年5月12日、クヌーズがデンマーク王として即位し、ゲルトルートは王妃となった。ゲルトルートは生涯子供ができなかった。2度目の結婚では、ゲルトルートは純潔を守り、クヌーズ6世とは同衾しなかった。アルノルト・フォン・リューベックは、王夫妻の結婚に関する記述で、クヌーズ6世のことを「純潔の妃とともに過ごし、最も純潔な人物である」としている。
参考文献
[編集]- Alf Henrikson: Dansk historia (1989)(スウェーデン語)
- Sven Rosborn: När hände vad i Nordens historia (1997)(スウェーデン語)
- Dansk biografisk Lexikon / VI. Bind. Gerson - H. Hansen(デンマーク語)